今日は午後から雨という事で、午前中畑仕事を、、
午後、まだ晴れてるし、、お散歩&ハハ(姑)なの写真を調達。と、思ってたのですが、
本棚を整理したら、それに伴いアチコチ移動、結局、、午後はそれに掛かり切り、
で、私の唯一のこだわりのお花の写真がありません。
って、暮れの28日、お散歩よりも、
お部屋の模様替えよりも、
することがありそうなものですが、、
ブログ友も年末モードに入っていらっしゃるようです。
なのに、、のんびり投稿の私が、写真が無いと言いつつ
なので、模様替え中の作業コーナー・・・狭い所にひしめき合ってる道具たち
少し今年を振り返ってみようと、、ひっそり連続投稿です。
今年に入って、
1月初め、ソラジの通院でも義妹にハハ(姑)を頼めなくなって、
初めてショートスティを頼みました。いきなりですから、まずは1泊。
朝、ハハ(姑)を送り出し、すぐに出発、
1泊して、大急ぎで帰ってきます。それでもハハ(姑)の帰宅には間に合わないので、
こればかりは義妹に頼みました。
次は月末、と、ホッとしてたら、ハハ(姑)がインフルエンザにかかり、1週間自宅待機、
私達にうつったら、大変です。マスク着用・ウガイ手洗い・義妹には、絶対来ないようにと勧告しました。
何とか乗り切り、月末にソラジの通院、
ハハ(姑)がショートスティに慣れてくれたら、2泊してもらうと助かるんだけど、、
そんな中、和歌山でソラジが病院へ行ってる間、お城見物しっちゃってます。
そして2月末、ほぼ1ヶ月ぶりの通院、義妹も「もう大丈夫」と言ってくれ、
私も少し休めたかな?と、和歌山へ出発したのでした。
と言っても、
実は、ソラジは腰痛で和歌山までの運転に自信がありません。
私は田辺までしか運転した事がありません。なので、嫁が田辺まで送り迎えしてくれていたのです。
12月は毎週、1月は2度、2月に入って、ようやく月に一度、
よく嫌な顔も見せずに、やってくれたものだと思います。感謝・感謝です。
私といったら、和歌山田辺間は、ひたすら眠りこけていました。
帰って、翌日はハハ(姑)のディサービスがお休みなので、体力温存です。
そして、、ディサ-ビスの日、ハハ(姑)も喜んで出かけ、
私も午前中に用事を済ませ、ホッと一息のときにあの電話がかかってきたのです。
長時間の車は 腰によくないでしょうけど 和歌山に良い先生がいらっしゃるから
遠くても 通われたんですよね。
義妹さんや お嫁さんの協力も ありがたいですね。
わたしも 病気したとき 自分がやらないといけないと思い込んでいた
家事をしてくれるために 姉や嫁 娘たちが みんなで協力して
通ってきてくれたとき ひとりで 抱え込まないで 頼ってもいいんだと気づき
ありがたかったです。
お疲れ様でした。
母が癌で闘病中は、看護婦だった妹が面倒を見てくれました。
私は東京で仕事をしていたので、月1回程度しか帰れませんでした。
もう、35年以上前の話です。
私には息子しかおりませんので、出来るだけ面倒をかけない様、
健康に気をつけないといけないですね。
嫁に送り迎えしてもらってたのが、今は二人で往復しています。
腰痛は、完治は無理なようですが、、少しでも改善されればと
ハハ(姑)は、自分でしないと気が済まない人で
何も言わずにやってしまう、、で、疲れてイライラする、、
そんな姿を見ていて、状況や希望を話しようにしています。
傍にいるわけじゃないので、言わないと判らないと思うので^^
まず、無理をしないことですが、、
里の母は元気なので、、、ですが、弟と重ならない時期に
交代で様子見に行くのも、、、けっこう負担に感じます^^;
35年も前に、お母様亡くされたのですか?
お寂しいですねぇ~~
ソラジは、未だに寂しそうです。
割烹着も見ました、面白いです、すごいなぁ。
あんなものがちょちょいのぱ~ってできちゃうんでしょ。
それと、アンサンブルにも見えるTシャツ、
なんだこりゃ~っと画面拡大して見入ってしまいました(笑)
読みながらあまりのハードには~っとため息つきながらすごいな~~って
さすがはのん太さんだ~って思っています。
すべてこなしてますもん。
来年もまた切れ味最高のブログ、宜しくお願いします。
私も姑の介護中は自身の時間は皆無でした。
おまけに、変わってくれる親戚は勿論、主人は1人っ子なので私の肩に全部かかってました。
そのお蔭で、虚弱体質の私は丈夫になったと、今では感謝してます。
介護中は ひたすら 嘆いてましたが・・・ご褒美は後から来ますよ!
アイデアが浮かぶと楽しいです。ただ、それを思うように形に出来ない事も、
あのアンサンブル風は、t-soieildorさんのカーディガンの応用です。
良いでしょ~~
義妹を頼っていましたしね、、
それが、この3年
そして今年、凝縮したように
でも、自分が倒れちゃ元も子もないのだと言い聞かせつつ
抜ける手は全て抜いて、楽しみは出来るだけ、抜かないようにしていました。^^
認知症が軽い頃は、私が家のことをしてる間
猜疑心いっぱいの目で、私の行動を追っていました。
そのうち、私を認識できなくなり、
自分の姉だと思うようになっていました。
そして持病があるのに、入院も拒絶し続けていたのですが、
せざるおえなくなり、これは運命が私達を助けてくれたのだと思っています。
ゆる~く生きてたのに、ハハ(姑)のおかげで強くなれたと思っています。