遊 悠 素 敵

なんて事ない日々を、野の花や野菜の花とともに綴っています。

トトロから ≪カラスウリ≫

2008-07-19 22:10:42 | 思い出

≪カラスウリ≫
先日≪キカラスウリ≫を投稿しました。こちらの方が、夜行性が強いようです。
暗くなってから開き、夜明け前には、萎んでしまうそうです。去年は、開ききる前でした。



マルコビッチさんの教えていただいて、夜8時過ぎに行って見ました。
花びらの形も、≪キカラスウリ≫とは、明らかに違っています。



昨夜は、テレビで、【隣りのトトロ】をやってるのを、何とはなしに見ていました。

子供の頃のことを思い出しました。
母は、私達姉弟を祖母に預けて働きに、出ていました。
帰ってくるのは、2・3・・・4ヶ月に一度でした。
そんな日は、弟と二人、駅に迎えに行くのです。
も少し後の電車だと、祖母たちが言うのも聞かず、
誰もいない駅の待合室で、待ってる時間は楽しかったと 

傘を持ってお父さんの帰りを待つ姉妹の姿とダブります。

電車が来て、ポツリポツリと、降りてくる乗客の中に母がいなくって、
次の電車(たぶん1時間後)まで、そのまま待っていたり、
弟と、駅の広場で遊んでいたり ・・・・・・

若い駅員さんが、「もう、来んよ。帰れ」と、ぶっきらぼうに言った事がありました。
その言葉は、決して意地悪く聞こえませんでした。
「次まで待ってみる。」と言った私も、来ないかもしれないとも感じていました。
そんなことは、よくありました。
家に電話もなかったので、急に予定が変わっても、連絡の仕様が無かったのです。

若い駅員さんには、そんな幼い姉弟を見るのは、辛かったのかもしれません。

弟の手を引いて帰る道々、何を話していたんでしょう 
明日になったのかもとか、もう一回来てみようとか、
暗い夜道に、トトロは来てはくれませんでしたし、猫バスも走っていませんでした。

大きな弟を、チビでやせっぽちの私がおんぶする事はありませんでした。

母は、祖母たちに預けている事で、安心しきっていたのでしょう。
お土産にケーキを持って、後は母親らしい事は何もしませんでした。
お嬢さん育ちの母が、家族を支えていくのは、大変だったと思います。
家に帰ってきたら、もうクタクタだったのでしょう。

少しは、私たちと向き合って欲しいと、思いました。
それを言った事は、無いと思います。

若い駅員さんに、可哀相と思われたくなんかないと、
誰にも同情なんかして欲しくない。
寂しくなんか無いし、可哀相でもない。って、思っていました。

何時頃から、お迎えに行かなくなったのでしょう。

物分りの言い、意地っ張りな、そのくせ、甘ったれな女の子の出来上がりです。

でも、そんな自分が、嫌じゃありません。

でも、
おばあちゃんがいても、
寂しく無いけど、

お母さんといっぱい話がしたいし、
遊んで欲しい。
って、言えばよかった。とも、思います。

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8 コメント

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私も^^; (soyoko)
2008-07-20 11:02:28
のん太さん、おはようございます。
私も幼い頃(小学校3年生まで)兄・妹と共に祖父母の家に預けられていたので、のん太さんの今日の記事に、じ~~んときました。
少し年の離れた姉だけが父母と一緒に住んでいました。
中学生だった姉が土曜日の午後、学校帰りに私たち三人を祖父母の家に迎えに来てくれて、バスに乗って帰っていました。
バス停で兄弟姉妹4人でバスを待つ時の気持ちを懐かしく思い出しました。
平日仕事で疲れた母は、ほとんど私たちの面倒をみてくれず、姉がお母さん代わりをしてくれていました^^;
のん太さんの思いが自分の思い出と重なってすっごく伝わってきました。
長くなってしまってごめんなさい
そのころは、それが普通って思っていたんですけどね。
大人になって、普通の家庭じゃなかったんだぁって気づいたくらいで
母から母親らしいことはしてもらわなかったけれど、仕事を頑張っている姿を見ていたので、なんの反発も感じなかったのかもしれませんね。
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書き忘れ^^; (soyoko)
2008-07-20 11:05:31
そのころは、土日だけ父母の家に帰って、平日は祖父母の家に預けられていたんです^^
土日、父母のところに帰っても面倒をみてくれるのは姉でした
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soyokoさん、こんにちは。 (のん太)
2008-07-20 15:37:18
私も、母が疲れきってるのは判りましたので、
何も言わなかったのだと、思います。
soyokoさんは、判ってもらえるかなと思うのですが、
決して、不幸ではなかったのです。楽しく暮らしていました。

祖母たちは、弟の担任から、
「とっても、素直に育っています。お婆さんの愛情のおかげでしょう」
と誉められた事を、自慢にしていました。
私も、ぐれる事無く 成長しました。 

母は、弟の中学生の頃帰ってきたので、弟は高校卒業まで一緒に暮らしました。
私は、その前に家を出ましたので、

でも、実家のある町には、母子寮があったり、
我家は特別って気もしませんでしたね。
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こんばんわ (悠々笑顔)
2008-07-20 20:10:43
二人ともそんな過去があったのですね。
昔は自分が置かれている立場が普通と思ってましたよね。
決して自分は違うとか思わなかったよね。
我が家も私が高校一年のときに単身赴任をし
離れて暮らしてました。
誰から言われたわけでもありませんが長女の私が高校卒業と同時に父の世話のため大学もあきらめ父のもとへ行きました。
それから六年父と二人暮し。勿論家事一切私の仕事。
でも不思議と素直に受け入れ頑張ってましたよ。今より料理も上手だったような気がします。
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悠々さん、こんばんは。 (のん太)
2008-07-20 22:18:04
ホームドラマのようなお家は、少ないのでしょう。
私の進学のとき、母は短大へと望みましたが、
大叔母が、弟の事と母の負担を考えて、大反対。
手に職をと、洋裁学校に行くことに。
材料費捻出の為にバイトしたり、友人知人の服を縫わせてもらったり、

そんな一人暮らしの部屋に弟が遊びに来て、
目いっぱい頑張って料理を振舞ったら、
母に、「ネェちゃんの料理の方が美味しかった」って言ってたそうです。


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子供の頃、、 (のぶっち)
2008-07-21 21:49:10
我が家は農家なので、両親は必ず畑や田んぼにいて。
保育園に通っていた、私のお迎えは姉と兄でした。

一緒に住んでいた祖父は、痴呆症。祖母は何にもしない人で、料理を作ってくれた記憶も無いなぁ。

母の手伝いをしなくては、と、姉と私で家事を分担してたりしました。


のん太さんのお母さんは、のん太さんが支えだったと思いますよo(^-^)o
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こんばんはです (せいや)
2008-07-21 23:52:22
凄い花ですね。
宇宙とかで見たらこの花がなんか攻撃しているように見えたり感じますね。
ガンダムでいえばノイエ・ジールですね。
(。_・☆\ ベキバキ
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こんにちは ♪ (のん太)
2008-07-22 10:47:23
 のぶっちちゃんのお母様は、ご苦労なさったのですね。
でも、のぶっちちゃんたちの心遣いって、お母様にとって、すっごい助けだったでしょうね。


 せいやさん、上手く撮れなかったのですが、
幻想的でした。ただ、民家の生垣で見つけたので、脅かさないように
(見つからないように  )気をつけて  


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