ノイバラ山荘

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森鴎外記念館@千駄木②

2013-04-11 13:01:05 | アート
こんにちは(*^_^*)

やっと春がやってきましたね。
いかがお過ごしですか。

忙しくしています・・。

先週、食い倒れ隊で行った森鴎外記念館
信綱の書簡をもう一度見たいと思い、
今度は一人で訪れました。

午後から出かけたにもかかわらず、
ほとんど小走りでたくさん見学しました。

須藤公園→森鴎外記念館→
大名時計博物館→根津神社→谷中霊園


お昼を食べる時間がなかったので、
急いで握ったおむすびを持ち、どこで食べようか、
千駄木駅の地図で見ると、公園があるではありませんか。

須藤公園です。

加賀藩の支藩の大聖寺藩の屋敷跡らしいです。
庭園をそのまま残したのでしょうか。


入るとまず藤棚があります!
とてもいい匂いです。

   
池を囲む形でぐるっと藤棚です。


池の橋をわたってみました。

 
滝があってびっくり。
須藤の滝というらしいです。

 
傾斜地を利用しているので、
高いところから池を眺められます。


大木です。
この下でおむすびを大急ぎでたべます。


登り切ったところから出ると、
どうやらここが正しい入り口のようです。
昭和25年に建てられた碑でしょうか。
文京「區」立とありました。


沿革が書いてあります。

行き止まりの道が多く、迷いながらも
森鴎外記念館にたどりつきす。

今回は14時からの学芸員による
ギャラリートークが目的です。

コレクション企画「手紙で語る鴎外の交流」
第2期 「千駄木の先生 鴎外」について
展示の説明を聴きました。

保存されている書簡は
巻物に仕立ててあります。
これは本郷図書館所蔵時なされたそうです。
軸装されているものは、
遺族がなさったそうです。

前回解説も読んだつもりだったのですが、
実際に説明していただくと、
周辺の事情もふくめて
よく理解することができました。


ぐるっと回って玄関。


今回は鴎外が踏んだ敷石を忘れずに撮ります。

 
そして今回、この玄関の塀にはめこまれてる
「観潮楼址」のプレートの文字が
佐佐木信綱の書であることを知りました!

素晴らしい字ですよね。

昭和37年、前記念館を建てるに当たって
鴎外の長男於菟から頼まれたらしいのです。
「観潮楼あと」の「あと」の字について、
どれが適当であるか、址、阯、趾、跡の字をあげ、
「址」であろうという信綱の書簡があります。

熱海西山から出されたもので、
どなたの字でしょうか、代筆です。

この書簡を含め、
信綱のものは4通が解読されていて、
その解読の文字も読めない字があり、
図書室の方にお尋ねしながら
大意は理解することができました。

鴎外に宛てたものより、於菟さんに
宛てられたものが多く残っています。

今回特におもしろかったのが、
明治36年の11月、12月
明治37年1月にかけて
信綱から当時13歳の於菟さんに
送られた絵葉書です。

当時信綱は清国へ旅行していましたが、
その旅先から少年に4枚の
中国の市井の写真の絵葉書が
送られているのです。

信綱の清への旅行は文章や歌では知っていましたが、
こんな風物を観たのであろうと写真をみながら
身近に感じることができした。

信綱は筆マメですね。
しかしこれだけ書いているというこは、
妻雪子や長男逸人には
もっと送っていたに違いありません。

すべての書簡が画像で見られるように
なっているのがありがたいです。

名残惜しいですが、次を急ぎます。


これは鴎外記念館の近くにあります
旧安田楠雄邸です。

前回標識を見て、
気になっていたので来てみました。
残念ながら3時を少し過ぎていたので、
見学できませんでした。
大正時代の和洋折衷の建物らしいです。

大名時計博物館は4時までですので走ります。

ここから先は次の「大名時計博物館と根津神社」へどうぞ。

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