ノイバラ山荘

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「板谷波山展」@泉屋博古館分館

2014-08-03 11:19:29 | 工芸

近代陶芸の先駆者、板谷波山の没後50年回顧展
「板谷波山展」に行ってまいりました。


前回、前々回は休館で涙をのんだのですが、
今度は大丈夫。

にゃんこの寄り道的に1時間しか
いられなかったのですが、
泉屋博古館分館
住友コレクションを保存・展示、
六本木にありながら木々に囲まれて気持ちのいい
こじんまりした美術館です。

開館時は誰もいなくて、
ゆっくりと鑑賞できました。

板谷波山についてはいくつかの代表的な作品と
雨戸を窯の焚きつけにしたという
エピソードしか知らなかったのですが、
今回の展示によって、全貌が明らかになり、
今までのイメージが覆りました。

何より驚いたのが、波山が明治5年に生まれ、
昭和38年に91歳で亡くなっていることです。

そう、佐佐木信綱と同じなのです。
2か月早く生まれ、2か月早く亡くなっています。

没後50年を記念しての回顧展、
展示は4つの部分に分けられています。
Ⅰ修行期、Ⅱ高揚期、Ⅲ完成期、Ⅳ円熟期。

彼の歩みは長い修行期を経て、
アールヌーボーとの出会い、
清朝スタイルの結晶釉などを用いた作品や
大作を作りだした高揚期、
彼の特徴とされる「葆光釉」の完成期、
端正な彫りを施した白磁青磁、茶道具を試み
和様アールヌーボーを再び始めた円熟期に
分けられ、分かりやすかったです。

まず、東京美術学校で彫刻を高村光雲に習い、
赴任先の石川工業学校で彫刻科の廃止に伴い
陶芸の指導をすることになり、
陶芸の技法をマスター、
陶芸家としての独立を決心します。

初めて築窯した田端に移ったのが明治36年。
『思草』の発行年ではありませんか!
遅いスタートも同じです。

東京工業学校に再就職した波山。
そこで彼の作品の特徴である
アールヌーボー様式を摂取します。

当時ヨーロッパではジャポニズムが終焉を迎え、
アールヌーボーが台頭してきたことから、
日本の窯業は危機感を覚え
資料収集をしていました。


カタログを写したので歪んでいて
分かりにくく申し訳ないですが、
「彩磁金魚文花瓶」

右下、展示では参考作品として
ロイヤルコペンハーゲンの「金魚文皿」が
並べられており、比較できるようになっています。

左下、デザイン画が見えますが、
彼は当初デザイナーとしてスタートし、
作陶を始めてからも作品のデザイン画をまず描き、
それを参考にして、後述の轆轤師が作品を挽いていたそうです。


ポスターの作品「葆光彩磁葡萄唐草文花瓶」
「葆光釉」はマットな不透明釉。
彩色された植物文様がうっすら白みがかって
精神性を感じさせます。


「葆光彩磁孔雀尾文花瓶」

  
ノイバラの好きな「彩磁蕗葉文花瓶」と
「彩磁蕗葉文大花瓶」は、葆光彩磁ではないのですが、
蕗の葉の青緑、薄緑がことのほか美しく、
カタログでは非常に残念な色になっていました。
実物を是非ご覧ください。


この辰砂釉の紫のきれいだったこと。
ところどころに入っている空色も。

面白かったのは、金工や漆の方との
茶器のコラボ作品です。


天目茶碗とそれを乗せるための「堆朱薊文天目台」
この作品を作った堆朱陽成は田端のご近所さんで
親交があったらしいです。
「堆朱」とは中国に伝わる彫漆の技法。
漆に油を混ぜて厚塗りにしたものを彫刻するらしいです。
きれいな朱、波山のシンプルな御茶碗とよく合いますにゃ~。


お茶碗の完璧な形。

 
ため息がでますにゃ~。

 
白磁、青磁、実物は歪んでいません。
彫りも形も素晴らしい~。

彼は完璧な形を期するため、
轆轤師をパートナーとしていました。
50年連れ添った現田市松が亡くなると
後を追うように亡くなっています。

晩年の波山の様子がお孫さんの
8ミリフィルムに遺されていて、
会場で上映されていました。

風で草木が揺れる庭に座り、
猫を抱き犬を引き寄せて撫でる波山は
穏やかな美しい顔をしていました。

いい展覧会でした。

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