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ノイバラ山荘

花・猫・短歌・美術な日日

春の雲

2013-04-11 15:17:07 | 自然
おーい。

春の雲は楽しそうだ。

山から生まれて
木の白い花になったり、
雪柳になったり。

あなたの心に入り込んで
ぽんぽんと弾む。

数日前の
職場の風景です。

     

       

  
この一重の山吹が撮りたくて外に出てきた昼休み。

 
咲き残る桜。


あら? これは何かしら?


何かの木の花なのでしょうけれど、
かわいいです❤

 
ああきれい。







森鴎外記念館@千駄木②

2013-04-11 13:01:05 | アート
こんにちは(*^_^*)

やっと春がやってきましたね。
いかがお過ごしですか。

忙しくしています・・。

先週、食い倒れ隊で行った森鴎外記念館
信綱の書簡をもう一度見たいと思い、
今度は一人で訪れました。

午後から出かけたにもかかわらず、
ほとんど小走りでたくさん見学しました。

須藤公園→森鴎外記念館→
大名時計博物館→根津神社→谷中霊園


お昼を食べる時間がなかったので、
急いで握ったおむすびを持ち、どこで食べようか、
千駄木駅の地図で見ると、公園があるではありませんか。

須藤公園です。

加賀藩の支藩の大聖寺藩の屋敷跡らしいです。
庭園をそのまま残したのでしょうか。


入るとまず藤棚があります!
とてもいい匂いです。

   
池を囲む形でぐるっと藤棚です。


池の橋をわたってみました。

 
滝があってびっくり。
須藤の滝というらしいです。

 
傾斜地を利用しているので、
高いところから池を眺められます。


大木です。
この下でおむすびを大急ぎでたべます。


登り切ったところから出ると、
どうやらここが正しい入り口のようです。
昭和25年に建てられた碑でしょうか。
文京「區」立とありました。


沿革が書いてあります。

行き止まりの道が多く、迷いながらも
森鴎外記念館にたどりつきす。

今回は14時からの学芸員による
ギャラリートークが目的です。

コレクション企画「手紙で語る鴎外の交流」
第2期 「千駄木の先生 鴎外」について
展示の説明を聴きました。

保存されている書簡は
巻物に仕立ててあります。
これは本郷図書館所蔵時なされたそうです。
軸装されているものは、
遺族がなさったそうです。

前回解説も読んだつもりだったのですが、
実際に説明していただくと、
周辺の事情もふくめて
よく理解することができました。


ぐるっと回って玄関。


今回は鴎外が踏んだ敷石を忘れずに撮ります。

 
そして今回、この玄関の塀にはめこまれてる
「観潮楼址」のプレートの文字が
佐佐木信綱の書であることを知りました!

素晴らしい字ですよね。

昭和37年、前記念館を建てるに当たって
鴎外の長男於菟から頼まれたらしいのです。
「観潮楼あと」の「あと」の字について、
どれが適当であるか、址、阯、趾、跡の字をあげ、
「址」であろうという信綱の書簡があります。

熱海西山から出されたもので、
どなたの字でしょうか、代筆です。

この書簡を含め、
信綱のものは4通が解読されていて、
その解読の文字も読めない字があり、
図書室の方にお尋ねしながら
大意は理解することができました。

鴎外に宛てたものより、於菟さんに
宛てられたものが多く残っています。

今回特におもしろかったのが、
明治36年の11月、12月
明治37年1月にかけて
信綱から当時13歳の於菟さんに
送られた絵葉書です。

当時信綱は清国へ旅行していましたが、
その旅先から少年に4枚の
中国の市井の写真の絵葉書が
送られているのです。

信綱の清への旅行は文章や歌では知っていましたが、
こんな風物を観たのであろうと写真をみながら
身近に感じることができした。

信綱は筆マメですね。
しかしこれだけ書いているというこは、
妻雪子や長男逸人には
もっと送っていたに違いありません。

すべての書簡が画像で見られるように
なっているのがありがたいです。

名残惜しいですが、次を急ぎます。


これは鴎外記念館の近くにあります
旧安田楠雄邸です。

前回標識を見て、
気になっていたので来てみました。
残念ながら3時を少し過ぎていたので、
見学できませんでした。
大正時代の和洋折衷の建物らしいです。

大名時計博物館は4時までですので走ります。

ここから先は次の「大名時計博物館と根津神社」へどうぞ。

大名時計博物館@谷中と根津神社

2013-04-11 12:55:16 | アート
千駄木から谷中へ。
大名時計博物館は4時までですので走ります。

途中で立派な筍300円を八百屋で購入。
谷中は物価が安いです。
筍を下げて走ります。


ぜーはー(・ω・;A
ここだっ。

 
大名時計博物館
今日は門が開いています。


2年前は4時を過ぎていて入れませんでした。


うわー、鬱蒼としています。

 
石碑があったり蔵があったりします。


博物館入り口。

大名時計とは?
江戸時代に作られた和時計というと
分かりやすいかもしれません。

江戸時代に大名お抱えの御時計師が
長い年月をかけて製作したそうです。
そのすぐれた技術と外観は
世界に類をみない独特の
美術工芸品ということです。

館内撮影禁止だったのですが、
検索するとずいぶん画像が出てきました。

「大名時計」の名付け親は陶芸家上口愚郎です。
大名時計博物館は私設博物館。
彼のコレクションを公開しているのです。

勝山藩下屋敷跡の広い敷地に
ひっそりと建っています。

昭和45年に建てられて以来、
そのままなのかもしれません。

昭和の香りの古い建物に
スリッパに履き替えて入ると、
一部屋だけの展示室。

大きなものではやぐら時計が多かったですが、
台時計、枕時計、尺時計、置時計、掛時計・・
和前時計、御籠時計、印籠時計・・。

めずらしいところでは香盤時計といって、
お香の燃えた時間で1日を図るという
時計もありました。

動いているものもあったのですが、
さっぱり何だかわからないので、
受付の男の子に質問したら、
よく答えてくれました。

明治6年までは不定時法といって、
一時間の長さが季節によって
また地方によって変わっていたのです。

日の出から日の入りまでを昼、
日の入りから日の出を夜として、
それぞれを六等分して一時間と決めたのです。


台時計ですと見えますが、
やぐら時計は下の台座部分に
錘が隠されています。

この錘が動力として下がりながら
上の時計部分の歯車を回す仕組みらしいです。

この錘を一日2回
上げてやらなければならないし、
24節季ごとに
昼、夜それぞれの分銅の位置調整、
尺時計では時間の目盛りの
調整をせねばならず、
家来でもいないと維持できないらしいです。

しかし、内部の精巧な歯車を見ると、
その技術の確かさに驚かされます。

4時になってしまったので
つづじ祭りの根津神社にむかいます。


根津神社入り口から入りました。

 

 
八重桜は満開です。

 

  
ツツジはまだですにゃ。


ドウダンツツジは満開。

  
本殿。


お神輿を展示してありました。


根津神社を出たところにある「ツバメブックス」。
ひょっとして、これはK並さんの
お知り合いのかたのお店では?
センスのよいお店ですが、
ひらいていなかったのが残念です。

夜店通り、谷中銀座をぬけて。

 
夕焼けだんだん。

なぜこちらまで足を伸ばしたかというと、
前回は嵐で谷中霊園は傍を通っただけ。


信綱先生のお墓にごあいさつしたかったのです。
どうぞわたしたちの研究をお守りください。


もう霊園内の染井吉野は
葉桜になっていました。

 
鬱金桜は満開。

ながいながい半日でした。