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読書、映像・音楽の鑑賞の記録など

ウォン・カーウァイ『花様年華』

2008-01-15 00:31:08 | 映画
花様年華 IN THE MOOD FOR LOVE
(香港、2000、98min)

 監督・製作・脚本:ウォン・カーウァイ
 撮影:クリストファー・ドイル、リー・ピンビン

 出演:トニー・レオン、マギー・チャン、
     スー・ピンラン、レベッカ・パン、ライ・チン

 東洋と西洋の文化が混在する1962年の香港が主な舞台。同じ日に隣り合う部屋に引っ越してきた男女―チャウ・モウワンとスー・リーチェン(チャン夫人)―が見事な色彩感に彩られた濃密な画面の中で、互いが互いの存在をなくてはならぬものと感じるほどに関係を深めていきながら、決して一線を越えずに別れていく。主役二人のストイックなさと周囲のデカダンスの対比、そして二人の距離が近づき、また遠ざかることを表象する音楽の使い分けが印象深い。

 しかし、何より印象的なのは時間の描き方だった。刻々と現実的な時は過ぎ行くことを示す形象(時計)が画面上に随所に挟み込まれるが、弦のピツィカートに導かれた「夢二のテーマ」にのせたコマ落とし気味のスローモーションのシークエンスが繰り返される度に二人の距離が近づき、二人を取り巻く時間の感覚はゆるやかに溶解していく。そして観る者もしばしば二人を取り巻く時間を見失う。

 たとえば時間的なジャンプ・カットとでもいえばよいのだろうか、チャウ・モウワンがスー・リーチェンに小説を貸してやるカットに、数日後スー・リーチェンが小説を返しにくるカットが続く。あるいは時間的なパンとでも呼ぼうか、二人がレストランで食事をする場面では、二人の様子をゆっくりとパンしながら捉えていたカメラが一旦、二人を視界から外し、再び二人を捉えると二人の服装も変わっており、別の日に二人が会っていることを示す。こうした編集は、一定の速度に推移し、時計などによって計測可能な物的時間とは異なる心的時間の表象なのだろう。

 こうした時間の描き方とともに、興味深いのが主役二人のそれぞれの配偶者はその声や後姿などでしか画面上に登場しないこと、そして舞台となった香港の外とつながっていることだった。スー・リーチェンの夫は日本企業に勤めており、しばしば日本に出張しているようだし、チャウ・モウワンの妻はスー・リーチェンの夫と不倫関係にあり、外=日本に出奔する。二人の周囲は常に外の世界へと開かれているが、上に書いたような時間の描き方の効果もあって、二人の関係はカメラの可視的世界の外にある世界からは切り離された閉域の中での出来事であるかのように感じさせられる。

 この閉ざされた空間は、チャウ・モウワンの部屋、屋台に続く狭い階段状の路地、レストラン、そして二人が共同で小説を書くホテルの部屋(2046号室)、タクシーの座席などで、ただし、外の空間が常に視野に入ってくるタクシーの車内では、スー・リーチェンの手にそっと重ねられたチャウ・モウワンの手は一度拒絶される。一方、二人の影をしばしば印象的に映ずる褐色の染みのある壁の前―外に開かれた空間であることが映像的にも示されるその場所で、二人の身体的接触はより緊密になるが、互い強く惹かれあいながら、ついに互いに触れえない関係であることが繰り返し確認される。閉ざされた空間の中で、決定な言葉を常に迂回しながら未完に終わる恋愛。

 この二人の秘められた、未完成のロマンスに終止符が打たれたあと、チャウ・モウワンは閉域から自ら身を引き剥がすようにシンガポール(という外)に向かう。しばらくしてスー・リーチェンもチャウ・モウワンを訪ねて来る。彼女がチャウ・モウワンのいない部屋で、かつてチャウ・モウワンの部屋で過ごした時間と、その思い出の形見である古い室内履きを持ち去り、自分が部屋を訪れた痕跡を残していく。しかしながら閉域の外では、二人は出会うこともなく、言葉を交わすこともない。交わされるべき言葉は、さらに外に向かったチャウ・モウワンによって、二人が過ごした時間の記憶とともに、アンコール・ワットの石の柱に穿たれた穴の中に封印されるだろう。

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 シーンごとに変わるスー・リーチェンのチャイナ・ドレス。最後に彼女が登場したとき着ていたものは、それまでのものと比べて前襟の高さが低いものだった。こうしたデザイン上の変化は、髪型の変化と併せ、当時の服飾史のなかでどのような意味をもっていたのだろうか。




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