ELLの足跡

人は最後は一人だという・・・でも、・・・今は妻が傍にいてくれる・・・

67回目の終戦の日・・・

2012-08-15 | 雑記
娘達は、旦那の仕事の兼ね合いで一昨日帰っていった・・・息子も、今朝7時頃に静岡へ向けて帰っていった・・・

また静かないつもと変わらない日常がやってくる。

昨夜、息子は現在の心情を吐露していた・・・が、親として的確な回答を出してやることが出来なかった・・・

今朝、分かれ際に・・・「まぁ、ぼちぼちやるさ~!お互い頑張ろうぜ!」と声をかけたのが、私の精一杯の気持ちだった。


ふと新聞に目をやれば、今日は67回目の終戦の日だ・・・

そう云えば、親父が生きていた頃、軍隊で握り拳で殴られた事など・・・結構色々と話してくれていたように思うが・・・

その親父も亡くなり38~9年経とうとしている・・・

長い年月、親父の墓参りもしていない・・・妻方の墓参りも、ここ2年くらいしてないかも・・・

目先の日常生活に追われ、お墓参りをするタイミングさえ失っている・・・こんな事では駄目だとは思っているのだが・・・


今朝は、読売新聞の編集手帳から転載してみます。

~以下、8月15日読売新聞朝刊より抜粋~

編集手帳
 隣近所との疎遠は珍しくないご時世だが、墓地内の隣近所となるとさらに縁が薄い。霊園の、我が家と同じ区画に寂しい墓がある。お参りの人を見かけたことはない。墓石には鳥の糞がこびりつき、生い茂った笹が藪をつくっている
傍らの墓誌には、昭和19年(1944年)に21歳で亡くなった青年と、昭和51年(1976年)に81歳で死去した父親とおぼしき人の名前が刻まれている
戦死した一人息子のために墓を建てる。父親が、やがて母親が亡くなる。母親の名を墓誌に刻んでくれる人もなく、守り手のいない墓は荒れた・・・。想像にすぎないが、戦後67年とはそういう歳月だろう
戦後と"災後"。東京タワーとスカイツリー。東京五輪とロンドン五輪。春から夏にかけて、<終戦まで>よりも<終戦から>を振り返る日々が続いた。戦争の犠牲者に、少しさびしい思いをさせなかったか。小さな痛みが胸をよぎらぬでもない
ひしゃくの水と数本の線香だが、笹藪の墓に供養のお裾分けをしている。歳月というものに香りがあるとすれば夏草の匂いだろうかと、この季節に墓参りをしていつも思う。



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