ELLの足跡

人は最後は一人だという・・・でも、・・・今は妻が傍にいてくれる・・・

ALSを生きる・・・呼吸器をつけ一人暮らし

2012-06-07 | 梅肉エキス
血液をサラサラにすることにより<br>
       身体の中から活力がわきます<br>
                 飲み続けることで<br>
                    インフルエンザの予防も・・・





昨日に続き、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の告知を受けた人の生き様を紹介した記事を転載してみます。

~以下、6月7日読売新聞朝刊より抜粋~

 医療ルネサンス
ALSを生きる  












 ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、全身が動かなくなるだけでなく、次第に呼吸にかかわる筋肉もまひする。人工呼吸器をつければ長く生きられるが、大半の患者は装着せずに亡くなっているのが現実だ。
「人工呼吸器を付けて良かった」
と話す大神さん
(山口県下関市で)
 

2003年6月にALSを告知された山口県下関市の大神和子さん(54)も、当初は呼吸器をつけるつもりはなかった。

 6歳上の兄は20歳で交通事故死し、父も他界した。家族は高齢の母親一人だったため、介護の負担をかけたくない。限られた時間を精一杯生きればいい、と思っていた。

 発症後、まだ車を運転できた時、ふいに「今なら楽に死ねる」と思い、アクセルを踏み込んだ。しかし、兄を亡くして父が男泣きした姿が脳裏に浮かび、急ブレーキを踏んだ。「自分まで母を残して死ぬわけにはいかない」と心に決めた。

 パソコンを初歩から習い、多くのALS患者とメール友達になった。亡くなった親友2人は、本当は生きたかったのに「家族に迷惑をかけるから」と人工呼吸器をつけなかった。その親友の悔しさの分まで自分が生きてやろうとも思っていた。

 1年半を福岡県内の実家で過ごした後、昨年6月まで長期入院した。人工呼吸器をつける意思は示していたが、息苦しさを訴えても、病院では装着の目安になる血中酸素濃度をなかなか調べてくれなかった。
 「単身で生活保護を受けているから、呼吸器をつけて医療費をかけない方がいいと考えたのでは」

 そんな時、日本ALS協会理事の知人に、障害者自立支援法を使い一人で暮らす道もあると教えられた。
 病院も親戚も猛反対したが、24時間体制で支援してくれる団体が下関市に見つかり、昨年6月、その団体が借りている一軒家で一人暮らしを始めた。間もなく地元の病院で人工呼吸器をつけた。
 「今は友達とメールしたり、買い物に行ったり、普通の生活を楽しんでいます、若い世代のALS患者は、ぜひ人工呼吸器をつけて欲しい」

 ALSが重症化すると、眼球も動かなくなり、意思表示の手段を失う事もあるが、大神さんは「何とかなるかな」と前向きだ。

 数多くのALS患者を見ている国立病院機構新潟病院の中島孝副院長は「患者が人工呼吸器を使って生きるかどうかの自己決定は、実は療養環境に左右されている場合が多い。良い介護を受けられる体制を整備するべきだ」と話している。

(佐藤光展、坂上博、藤田勝)



改めて、人がこの世に生を受けてから・・・己の人生をどの様に生き抜くのか・・・

どの様に全うすれば良いのだろうか・・・私は漠然としか考えていなかったように思います・・・恥ずかしい限りです・・・

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