ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

スーダラ、ゴリガン、五万節、植木等は永遠です。合掌

2007年03月29日 | アフター・アワーズ
 小学校のとき日曜日の昼、たぶん「ロッテ歌のアルバム」で初めて聴いた「スーダラ節」は、強烈だった。翌日月曜日の学校では、お調子モンたちが早速「スイスイ、スーダララット」なんて腕をぶらつかせ、「見た? 見た?」と、誰もがその衝撃を語りたがった。「ドント節」「五万節」と続いて、ほぼ1年後の「ハイそれまでよ」もひっくり返った。スローなバラードが一転、ツイストのリズムに変わって突っ走る。唐突だが、おそらく「シンドバット」から「エリー」へのサザンの流れの原点はここにあると思う。それにしても、スローからアップテンポへの展開は、ジャズではよくあること。植木等をはじめクレージーキャッツの面々が有能なジャズマンであったことを考えれば、納得のいく展開だったのかもしれない。(サン・ラにそっくりなハナ肇を見よ!)

「無責任男」の映画は、小学校の夏休み有楽町の東宝の大スクリーンで観た。田舎の映画館とは比べ物にならない大スクリーンを飛び回るC調男に、子供心に憧れたとしても不思議はない。「大人の漫画」「シャボン玉ホリデー」何を観ても面白かった。

 そして、僕自身のあるいいかげんさ、テキトーさの原点も、数々の植木ギャグの影響によるところが大なのだ。林家三平と植木等、TV「てなもんや三度笠」、漫画の滝田ゆう「カックン親父」、赤塚不二夫「おそ松くん」は僕の少年時代の笑いの王様だった。現世に「ハイそれまでよ」してしまった植木さんに合掌。ナンデアルアイデアル
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バット・ビューティフルなのだ。

2007年03月23日 | 音楽
 なぜ最近、ブログにJAZZのことばかり書いているのか。

 毎日仕事で遅くなる。夜の10時過ぎに寄れる店といったら飲み屋かコンビニ。飲食店以外はお姉さん相手のブティック、ヘアサロン、これは行かないし。そんななかタワレコは23時まで開いている。そんなわけで、22時過ぎのタワレコ通いが続いている。

 帰りがけにちょっと寄る。廉価版シリーズなら毎日買ってもたいした金額ではない。それならまとめて、と思うが、まとめては買わない。帰ってから聴けるのはせいぜい1枚。気分で買う。買っても買わなくても、試聴したり、カヴァーをながめたりするのが日々の息抜きだ。

 スタン・ゲッツ「プレイズ」(カヴァー・フォトがいい。もちろん演奏も)、ヘレン・メリル「ザ・ニアネス・オブ・ユー」(ちょっと熱唱しすぎ)、ビル・エヴァンス「シンス・ウィ・メット」(晩年のエヴァンスは味わい深い)、ドン・フリードマン「サークル・ワルツ」。

 最近のお気に入りの1曲は「バット・ビューティフル」。「それでも恋はすばらしい」といった意味だろうか。「ゲッツ&エヴァンス」の2曲目、「シンス・ウィ・メット」にも入っている。何よりゲッツのテナーにしびれる。これを聴いたら、ちょっと喧嘩しても、But beautiful、「だけど恋はすばらしい」と思えてしまう。そうなのだ、いろいろあっても恋は素敵だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガトーを聴きながらしたいこと。

2007年03月16日 | 音楽
 70年代のジャズ喫茶で一世を風靡したアルゼンチンのテナーマン、ガトー・バルビエリ。「アンダー・ファイヤー」が人気だった。ベルトルッチの快作「ラスト・タンゴ・イン・パリ」の音楽も、男女のまぐわいの痛さ、痛いようなニヒリズムのあの映画には扇情的すぎる、とはいえサウンド・トラックだけ聴いていると、オリバー・ネルソンの洗練されたアレンジとあいまってなかなか官能的である。

「ボリビア」の中古があったので買い、もっぱら1曲目スパニッシュ・リズムの「Merceditas」を聴いている。ワンパターンのアドリブなのだが、これが腰にくる。いいネッ!バルビエリ! この哀愁フレーズと泣き節は、たまらんね。これはバルビエリの中では買いです。でもね、この人すべてがいいわけじゃない。たいがい、1、2曲。それにしても、ガトーといい、スタン・ゲッツといい、テナーマンは個性的な連中が多い、というかノイジーな音、ゆがんだ音を出しやすく、激情を伝えやすい楽器なのだ。テナーを聴けるということは少し元気が出てきたのかもしれない。明日は、ひさびさに休める。うれしい。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲッツとエヴァンスとエルヴィンで爺さんのワルツ

2007年03月10日 | 音楽
 最近すっかり、マンフラならぬマンサタ状態になっている。あーいやだ、いやだといいながら、もう3月。

 春三月縊り残され花に舞う

とは、かのアナーキスト大杉栄が大逆事件後に詠んだ一句。幸徳秋水らが処刑される中で、獄中にいたため大逆事件に連座することを免れ、生き残ってしまった心情を「縊り残され」と表現しながら、「花に舞う」に天性のアナーキーな明るさが表れていて、僕は好きだ。えーい、おいらもドンチャン花に舞ってしまおうか。

 そんなら音楽だ。ではワルツでも。CDの「スタン・ゲッツ&ビル・エヴァンス+5」には、「グランド・ファーザーズ・ワルツ」が2テイクも収められている。このスタン・ゲッツがいい。眠そうなゲッツの音色があっているんですこの曲に。もう最初のフレーズの吹き方で心を奪われてしまいやした。ゲッツの歌心満開です。別テイクよりエヴァンスのピアノは本テイクがいいです。

 で、ドラマーはエルビン・ジョーンズです。ベースはリチャード・ディヴィス。コルトレーン軍団参上。白人フロント対黒人リズム隊。エルビンのドラムは眠たいやつをたたき起こすような音。だから妙な緊張感があって、ガチンコのプロレスみたいなのだ。エルビン、後ろから煽ります。スタタタタンズドドッ。同じジャズワルツだからって「マイ・フェイヴァレット・シングス」じゃないですよ、相手はゲッツなんだから。エルビンの扇動とゲッツの歌心は合わない。でも、そこがいいんです。別テイクはエルビンが少し自重しています。だから、ゲッツも落ち着いて吹いていますが、本テイクは熱くなりすぎている。

 この二人同い年、エヴァンスが二つ年下。ボサノバで荒稼ぎしたゲッツ、コルトレーンのアフロ回帰のフリーツアーに同道するエルビン、ラファロを亡くして迷い道のエヴァンス。そうみるとなんか面白いアルバムだが、ゲッツの歌心を楽しもう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マッシモ・ファラオのマカロニジャズでモリコーネ。

2007年03月06日 | 音楽
 マッシモ・ファラオ・トリオの「プレイ・モリコーネ」2枚組みがお安くなって1,560円だったので買ってみた。

 もともとは4枚組みのエンリオ・モリコーネのトリビュートアルバムらしいが、これはそれをおそらく編集したもので、なんと韓国版。曲名はイタリア語とハングル表記、ライナーノーツもハングルなので、よく分からないのだが、とりあえず曲名は単語と一部ネットなどで調べて、「荒野の用心棒」「続・荒野の用心棒」とか「ニューシネマ・パラダイス」「海の上のピアニスト」「アンタッチャブル」「ミッション」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」など、有名どころはなんとか10曲くらいは分かったのだが、あとは聴いてみて、あーあ、あれあれ、あの曲なんだっけなーとか、ちょっとくずしているけど聴いたことあるとかで、目下全曲解明するのが目標になっている。

 ほとんどの曲が原曲を活かして弾いているようだけれど、安っぽいエレキ・ギターサウンドのマカロニ・ウエスタンの一曲が軽快なスイングナンバーになったり、まあ、気軽に聴くにはうるさくないアルバムだ。ラウンジ・ミュージックとか、イージーリスニングと片付けるには惜しい。むしろ分かりやすいジャズピアニストといったほうがいい。最近は、もっぱらこのマカロニジャズを電車の中の愛聴版にしているのだった。

 そういえばマカロニ・ウエスタンの命名者はかの淀川長治さん。イタリア製西部劇だからなのだが、撮影はスペインとかユーゴスラビアの南部、正統西部劇と違って、暴力的などといわれたが、そもそも舞台設定がだいたいメキシコかその国境なので、そこからして大分西部劇とは雰囲気が異なっていたのだった。ジャンゴーッ! 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする