ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

テナーマンヤ魂

2006年02月24日 | アフター・アワーズ
 「プレイボーイ」誌のコルトレーン特集がきっかけで「セルフレスネス」について書いたとき、記憶が頼りだったのでかなりいい加減な記事になっていた。プレーヤーが壊れてレコードが大分聴けなくなっていたので、あらためてCDを買って聴いてみたら、司会のアナウンスは演奏の後だったし、コルトレーンのソロは2回合わせて10分くらいだった。

 「マイ・フェイヴァリット・シングス」のすばらしさはいうまでもないが、2曲目の「アイ・ウォント・トゥー・トーク・アバウト・ユー」がとてもこころに響いた。この曲は、プレスティジ時代の「ソウルトレーン」、1963年の「ライヴ・アト・バードランド」でも熱演が聴かれ、コルトレーンお気に入りの1曲だったようだが、「セルフレスネス」でのカデンツァは歌心と咆哮が一緒になって、夏のニューポートの青空と潮風に包まれたような気分になった(ニューポートに行ったことはないし、この演奏が昼だったのか定かでないが、そんなことはこの際どうでもよい)。テーマのあとすぐバイテンになって展開されるアドリブのよどみない演奏がそう感じさせるのかもしれないが、バラードの名演で、最近は聴くたびに「いいな、いいなあ」と一人でつぶやいている次第。

 ところで、回文俳句も飽いたなと思っていたら、みうらじゅんが回文映画を作ってしまった。毎度やることが馬鹿げていて、みうら教信者ののりへいさんでなくても、頭が下がる。この人、リリー・フランキーと連名で「グラビアン魂」なんて写真集も出していたっけ。コルトレーンならテナーマンヤ魂かい。

 まったくの余談だが、角川文庫の『歳時記・冬』をめくっていたら、「木流し」の季語のところに、僕のじいさんの句が載っていて驚いた。実家の母に話したら「原稿料はくれないのかい」だって。
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床屋でアダ-ジョ・カンタービレ

2006年02月23日 | 音楽
 コーエン兄弟監督の映画「バーバー」でベートーヴェンのピアノソナタ8番「悲愴」の第2楽章アダージョ・カンタービレがなかなか効果的に使われていたので、普段あまりベートーヴェンなど聴かないのだが、ヴィルヘルム・バックハウスによる大変お得な廉価版(1,000円)を買ってみた。

 映画では主人公の床屋が美少女役のスカーレット・ヨハンソンが弾くこのアダージョに「君がつくったのかい」なんてたずねるくだりがあって、なんとそこからこの中年おやじの悲愴がはじまるのだった。第一楽章の暗さに比べればこのアダージョは、「悲愴」というよりセンチメンタルな恋心に触れるような曲の色合いだ。そもそもこの曲に「悲愴」とつけたのは、ベートーヴェン本人ではなく音楽出版社のほうだったという話だが、映画でも美少女に夢中になる中年おやじのせつない心情をこの曲がうまく表していたと思った。
 
 そのせいか、ぼくにもこの曲はセンチメンタルな恋か旅に似合っているなと思うが、中年おやじの恋なんて、結局その行方は悲惨なものかも知らんよな。フフッ。

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サラサーテのちぎり蒟蒻

2006年02月23日 | 
 鈴木清順監督「ツィゴイネルワイゼン」は蒟蒻をひたすらちぎり、目玉をなめるおばけ映画だったが、その原作となった内田百の「サラサーテの盤」(筑摩文庫)を最近読んだら、ちゃんとちぎり蒟蒻を入れた豚鍋を食べるシーンが出てくる。目玉をなめるのは、同じ文庫所収の幻想奇譚「東京日記」にあって、いずれにしろ原作も映画もどちらも傑作だと思った次第。

 ヴァイオリンの名手だったサラサーテが後に自らの名前がつけられるストラディバリウスで弾く「ツィゴイネルワイゼン」は、録音の途中で入ったサラサーテの声が聴ける珍盤として知られていて、それが百の小説のモチーフにもなっているが、小説でも清順映画でも「なんといっているか」は問題とされない。小説では、主人公が死んだ中砂の後妻に「サラサーテの盤」を返しに行き、そこでレコードをかけると、サラサーテの声が聞こえたところで後妻が顔を覆って泣き出すという場面でお話しは終わってしまう。あの世にいる人の声として扱われるところがおもしろさだ。

 なんでも、これをサラサーテが録音した頃は、レコードの片面は5分しか録音できなかったので、弾いている途中で録音が終わってしまうことから「もう終わる」とか言っているらしい。真相を聞けば大しておもしろくないのだから、これはあの世からの声と思ったほうが楽しい。

 このブログにもときどき顔を出すのり平さんは百ファンらしいが、確かにおもしろい。ぼくは「東京日記」のかずかずの幻想奇譚がとても気に入った。ところで、ツィゴイネルワイゼンのツィゴイネルがドイツ語で「ジプシー」を意味し、ワイゼンは「歌」の意味だそうだ。
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1968年のサドメル、ピットインライヴ

2006年02月16日 | 音楽
 サドメル(サド・ジョーンズ&メル・ルイスオーケストラ)が1974年に来日したときの衝撃は、たとえばフィンガーマジックのように指一本でつわものジャズマンを操るその指揮ぶり、そこから変幻自在に生み出される音の嵐とうねり、体の一本一本の毛が総立ちになるような興奮だった。ラッパのジョン・ファディス、テナーのビリー・ハーパー、ヴォーカルのディー・ディー・ブリジウォーターなど初めて実物に接する元気一杯の若手のプレイもすごかった。

 このときのライヴは「ライブ・イン・トウキョー」としてCDで聴くことができるが、これに先立つこと6年前、1968年7月にサドメルは初来日をしており、新宿ピットイン、紀伊国屋ホール、赤坂都市センターホールで公演を行っていたということはあまり知られていない。というか僕も最近知ったばかりなのだ。

 7月11日公演予定も決まらぬまま突如来日、なんでもサドの兄弟エルビン・ジョーンズの日本人妻が呼んだらしいのだが、翌日から急遽ピットインで2日連続ライヴ、14日は紀伊国屋ホール、この3日間でベースのリチャード・ディヴィスは帰国、あとの公演は当時ヒノテルバンドのベース稲葉国光がトラでつとめたのだという。その来日メンバーは、

 サド・ジョーンズ(flh,cond)、メル・ルイス(ds)、ジミー・ノッティンガム、スヌーキー・ヤング、ダニー・ムーア、リチャード・ウイリアムス(tp)、ボブ・ブルックマイヤー、ガーネット・ブラウン、クリフ・ハサー、ジミー・ネッパー(tb)、ジェローム・リチャードソン、ジェリー・ダジオン(as)、セルダン・パウエル、エディ・ダニエルス(ts)、ペッパー・アダムス(bs)、リチャード・デイヴィス(b)、ローランド・ハナ(p)

 ボブ・ブルックマイヤーがいた初期の黄金メンバー、1967年のヴィレッジバンガードのライヴ版とほぼ同じメンバーだ。こんなメンバーが公演予定も定まらないのに、いきなり大挙日本にきちまったんですよ!しかも、ピットインでライヴをやる。このことだけで興奮するではあーりませんか。
 
 一体どんな演奏だったのか。どんな曲を演奏したのか。当時の「スイングジャーナル」でも見ればでているのかしらん。その演奏は残っていないのか。実際にこのピットインライヴを聴いた人がいたら、ぜひ話をきかせてほしいと願うばかりだ。

 サドメル初のスタジオ録音版「PRESENTING」はいまCDでおめにかかれない。一刻も早く復刻するのがレコード会社(いまこういう呼び方でいいのか分からんが)の責務と思うのだがいかがなもんでしょうかね。
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嫁泣く夜 回文俳句7

2006年02月13日 | 回文俳句

 しばらくお休みした回文俳句。 

 

 よく舐めよ珍味君ん家嫁泣く夜。  

  よくなめよちんみきみんちよめなくよ。

  あー、またしても裏回文俳句だな、と思いきや、 貧窮問答句のつもりなんですけど。沢庵の尻尾ばっかりなめて暮らさねばならぬほどの貧乏に毎夜嫁が泣く君んちはなんと哀れなことよ。

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空想漱石美術館

2006年02月13日 | 
 「『草枕』変奏曲」読了後、もっと興奮する本に出会った。新関公子著「「漱石の美術愛」推理ノート」(平凡社・2,000円)だ。漱石に関する研究書は数多あるが、新関さんは美術史家といった具合に文学以外の分野からのアプローチのほうがとても新鮮で、漱石の世界を鮮やかに描き出してくれる。

 漱石の小説には油絵から屏風絵に至るまで古今東西の絵画が頻繁に登場する。あの「坊ちゃん」でだって赤シャツがターナーを持ち出したりする。「草枕」あるいは「夢十夜」のジョン・エヴァレット・ミレー(写真:美しき土佐衛門?「オフィーリア」。この絵では憐れが足りないと漱石はいうが)、「三四郎」の青木繁など、こうした作中に登場する絵画を特定したり推理したりするのはもちろん、作品のイメージやシーンにも絵画から着想を得ているものが少なくないと推理していくのである。
 
 小説に登場する絵画作品を実際に写真で見るだけでも楽しいが、「三四郎」の池の女の登場場面は藤島竹二の「池畔納涼」、美禰子や美禰子をモデルにした「森の女」は黒田清輝の「湖畔」の女やラファエル・コランの「帽子を持つ婦人」からイメージを得たのではないかといった推理は実に手際よく、その実際の画像を見せられると、漱石の世界が一段と魅力的に見えてくるのだった。

 この本自体が「空想漱石美術館」であって、こんな美術展でも作品集でも企画したらさぞかし楽しかろう。それにしても漱石の博覧強記ぶりは、絵画への造詣をみただけでもすごいと改めて思うのだった。
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ふたたびグールドと漱石

2006年02月13日 | 
 横田庄一郎著「『草枕』変奏曲-夏目漱石とグレン・グールド」を読む。
 
 グールドが生涯に2回スタジオ録音したバッハ「ゴールドベルク変奏曲」を模して30章のエッセイで綴られている。ゴールドベルク初回録音(1956年)と再録音(1981年)の間には26年の歳月があり、その間にグールドは漱石の「草枕」に出会い、死の床に聖書とともに置かれていたほどの座右の書になっていた。著者はこの間に確実にグールドが「草枕」から影響を受けており、グールドが「草枕」の何に共感したのかを少ない資料、英訳本のグールドの書き込み、ラジオ放送用にグールド自らが抜粋編集した朗読原稿、周辺の人たちの証言取材など、を頼りに解き明かそうと試みている。
 
 グールドが「草枕」をラジオドラマとして構想し、それが音の対位法的ドラマになるはずであったとか、「草枕」を楽譜のように読んでいたと想像される書き込みがあるとか、「草枕」への傾倒ぶりを示す興味深いエピソードも少なくない。この本は、2人の精神的な相似性に言及しながら、2人の天才があたかも時空を超えて共振しあうような構成になっているが、グールドは「草枕」で展開された漱石の芸術論に共感したことは間違いないようだ。
 
 死の一年前に録音された1981年版「ゴールドベルク変奏曲」を聴くと、燠火のように奏でられる終わりのアリアには胸が詰まるが、この本を読んだあとでは、たとえば第一変奏など、左手の強いツービートを刻む音はまるで山を登る足取りのように聞こえ、ところどころに「草枕」のシーンがイメージされるのだった。
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株価下落!玉すだれ 回文俳句6

2006年02月08日 | 回文俳句

 昨日、株をやる方からコメントをいただきましたので、それに応えて一句。

  株価も下落さかさ海月も歌舞か。 

 かぶかもげらくさかさくらげもかぶか

 「歌舞か」は「傾く」の意味、「くらげも歌舞かあー」と芝居の口上のように読んでくださいな。

 

 なぜか玉すだれという言葉が浮かぶ。そこで一句。

 

 玉簾紅葉にじみ漏れ出す股 

 たますだれもみじにじみもれだすまた

 玉すだれはかわいい白い花なのに、なぜかこんな裏俳句みたいなものしかできない。

  玉すだれのように可愛いきみを秋の紅葉の紅が包む、その姿を見ているといつのまにか何か漏れ出していた。

 ついでに、

 玉簾だ!見てみて!乱れだす股。

 たますだれだみてみてみだれだすまた

 玉簾はヒガンバナ科の多年草でゼフィンランサス、雨のあと咲くのでレインリリーともいわれる。レインリリーなんてとてもいい名前だ。夏から秋にかけて6弁の白い花をつけ、細い葉の密生した姿がすだれのようなので、玉簾といわれる。早野凡平さんで思い出す南京玉簾は江戸時代から伝わる大道芸で当時は「唐人阿蘭陀南京無双玉簾」。いつしか省略されて南京玉簾となった。遠く南蛮より伝わりし玉のように可愛らしくも珍なる簾との意味らしい。

  とても愛らしい花だが回文の世界では「また」を有しているので、どうしてもまたのお世話をしなくちゃならないのでした。

 

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回文俳句5 木枯し

2006年02月07日 | 回文俳句

 昨日道半ばの方からのコメントにヒントを得て一句。

 

 道半ば椿も奇抜馬鹿な君。

   みちなかばつばきもきばつばかなちみ

  「君」を、古典的な3流会社のシャチョーさんみたいに「ちみ」と読ませるところに無理があるかな。

 

 で、本日の一句。

 遠き大陸の荒野にて満蒙の民と酒酌み交わして捻り出す。

   白髪濃い民汽笛みたい木枯し。

  しらがこいたみきてきみたいこがらし

    今朝は雪でしたね。

 

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回文俳句4 草の名は

2006年02月06日 | 回文俳句

 日に日に、頭の中がさかさまになっていく気がする。

 本日の回文一句。

 

 草の名は八重と一重や花の咲く。

 くさのなはやえとひとえやはなのさく。

 

 

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