サドメル(サド・ジョーンズ&メル・ルイスオーケストラ)が1974年に来日したときの衝撃は、たとえばフィンガーマジックのように指一本でつわものジャズマンを操るその指揮ぶり、そこから変幻自在に生み出される音の嵐とうねり、体の一本一本の毛が総立ちになるような興奮だった。ラッパのジョン・ファディス、テナーのビリー・ハーパー、ヴォーカルのディー・ディー・ブリジウォーターなど初めて実物に接する元気一杯の若手のプレイもすごかった。
このときのライヴは「ライブ・イン・トウキョー」としてCDで聴くことができるが、これに先立つこと6年前、1968年7月にサドメルは初来日をしており、新宿ピットイン、紀伊国屋ホール、赤坂都市センターホールで公演を行っていたということはあまり知られていない。というか僕も最近知ったばかりなのだ。
7月11日公演予定も決まらぬまま突如来日、なんでもサドの兄弟エルビン・ジョーンズの日本人妻が呼んだらしいのだが、翌日から急遽ピットインで2日連続ライヴ、14日は紀伊国屋ホール、この3日間でベースのリチャード・ディヴィスは帰国、あとの公演は当時ヒノテルバンドのベース稲葉国光がトラでつとめたのだという。その来日メンバーは、
サド・ジョーンズ(flh,cond)、メル・ルイス(ds)、ジミー・ノッティンガム、スヌーキー・ヤング、ダニー・ムーア、リチャード・ウイリアムス(tp)、ボブ・ブルックマイヤー、ガーネット・ブラウン、クリフ・ハサー、ジミー・ネッパー(tb)、ジェローム・リチャードソン、ジェリー・ダジオン(as)、セルダン・パウエル、エディ・ダニエルス(ts)、ペッパー・アダムス(bs)、リチャード・デイヴィス(b)、ローランド・ハナ(p)
ボブ・ブルックマイヤーがいた初期の黄金メンバー、1967年のヴィレッジバンガードのライヴ版とほぼ同じメンバーだ。こんなメンバーが公演予定も定まらないのに、いきなり大挙日本にきちまったんですよ!しかも、ピットインでライヴをやる。このことだけで興奮するではあーりませんか。
一体どんな演奏だったのか。どんな曲を演奏したのか。当時の「スイングジャーナル」でも見ればでているのかしらん。その演奏は残っていないのか。実際にこのピットインライヴを聴いた人がいたら、ぜひ話をきかせてほしいと願うばかりだ。
サドメル初のスタジオ録音版「PRESENTING」はいまCDでおめにかかれない。一刻も早く復刻するのがレコード会社(いまこういう呼び方でいいのか分からんが)の責務と思うのだがいかがなもんでしょうかね。
このときのライヴは「ライブ・イン・トウキョー」としてCDで聴くことができるが、これに先立つこと6年前、1968年7月にサドメルは初来日をしており、新宿ピットイン、紀伊国屋ホール、赤坂都市センターホールで公演を行っていたということはあまり知られていない。というか僕も最近知ったばかりなのだ。
7月11日公演予定も決まらぬまま突如来日、なんでもサドの兄弟エルビン・ジョーンズの日本人妻が呼んだらしいのだが、翌日から急遽ピットインで2日連続ライヴ、14日は紀伊国屋ホール、この3日間でベースのリチャード・ディヴィスは帰国、あとの公演は当時ヒノテルバンドのベース稲葉国光がトラでつとめたのだという。その来日メンバーは、
サド・ジョーンズ(flh,cond)、メル・ルイス(ds)、ジミー・ノッティンガム、スヌーキー・ヤング、ダニー・ムーア、リチャード・ウイリアムス(tp)、ボブ・ブルックマイヤー、ガーネット・ブラウン、クリフ・ハサー、ジミー・ネッパー(tb)、ジェローム・リチャードソン、ジェリー・ダジオン(as)、セルダン・パウエル、エディ・ダニエルス(ts)、ペッパー・アダムス(bs)、リチャード・デイヴィス(b)、ローランド・ハナ(p)
ボブ・ブルックマイヤーがいた初期の黄金メンバー、1967年のヴィレッジバンガードのライヴ版とほぼ同じメンバーだ。こんなメンバーが公演予定も定まらないのに、いきなり大挙日本にきちまったんですよ!しかも、ピットインでライヴをやる。このことだけで興奮するではあーりませんか。
一体どんな演奏だったのか。どんな曲を演奏したのか。当時の「スイングジャーナル」でも見ればでているのかしらん。その演奏は残っていないのか。実際にこのピットインライヴを聴いた人がいたら、ぜひ話をきかせてほしいと願うばかりだ。
サドメル初のスタジオ録音版「PRESENTING」はいまCDでおめにかかれない。一刻も早く復刻するのがレコード会社(いまこういう呼び方でいいのか分からんが)の責務と思うのだがいかがなもんでしょうかね。
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