ちゅう年マンデーフライデー

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『マルガリータ』を読み、やはり天草四郎は千々石ミゲルの子と思いたい。

2010年08月09日 | 
 以前、若桑みどりさんの「クアトロ・ラガッツィ」を読んだとき、天正少年使節のうち唯一棄教した千々石ミゲルについて、天草の乱があったとき、天草四郎はミゲルの隠し子ではないかという噂が、天草や周辺のキリシタンが多くいた地域でまことしやかにささやかれたというエピソードが紹介されていて、もしそれが本当だったらおもしろいのにと思っていた。まるで、山田風太郎の世界ではないかと。

 新人の村木嵐・著『マルガリータ』は、そんな伝承を巧みに入れながら、千々石ミゲルの帰国後の人生を描いた小説だ。棄教したミゲルに関しては、他の3人の消息がイエズス会の記録に残っているのに対し、清左衛門となって結婚し、2人の子供をもうけ、大村や有馬に仕官していたというくらいしか分かっていない。ミゲルはなぜ棄教したのか。これは最大の謎だ。「クアトロ・ラガッツイ」でも、よく分からないとされている。この謎に挑みながら、「マルガリータ」は見事な愛の物語を紡ぎ、幼くしてローマを見た、キリシタン少年4人の心の絆の深さを描いている。

 問題は、ミゲルの棄教が、神への絶望や憎しみによるものだったのか。別の理由があるとすればそれは何が推測されるかということだ。

『マルガリータ』では、帰国後4人が秀吉と謁見したことでその後の運命が決まる。一般的には、秀吉との謁見で4人は、リュート、チェンバロなどの楽器を演奏して聞かせ、秀吉から仕官の勧めを受けるが断ったとされている。小説では、そこで何があったかは次第に明かにされるのだが、果たして天下人の勧誘をことわれたのかということは素朴な疑問として残ろう。この小説では次のような仮説を展開する。少年使節4人の目的は日本人の司祭になるということだ。出発前と違い、秀吉による禁教令と迫害の中で、いかにすればその目的を達成できるか。全員仕官の誘いを断れば、相手は天下人だ、何をするか分からない。ならば、ミゲル一人が棄教することで、他の3人が司祭になる道を残そうとしたというわけだ。一方の秀吉は、棄教者ミゲルほど反キリシタンの最良の広告塔はないと思ったはずだ。これはあり得る。だが、ミゲルは本当に信仰も棄てたのか。なぜミゲルだったかは、『マルガリータ』を読まれよ。

 天草の乱は1637年、中浦ジュリアンが長崎で逆さ吊りの刑にあって死んだのが1633年。ミゲルの死は不明だが、ジュリアンと同じ頃という説があり、この小説もそれを踏まえている。ミゲルは棄教者としてキリシタンからは悪魔扱いされたという。さながらルシファーのごとくである。天草四郎=ミゲルの隠し子説は、島原一体のキリシタンたちの3大天使を見るがごとき天正少年使節の少年たちへの強い憧れと表裏ではないだろうか。少年天草四郎のなかに、ローマを見た少年たちの伝説が蘇り、4人の少年のなかで唯一子供をもうけることができたミゲルへの屈折した期待(それは棄教者として迫害した己の所業への懺悔の念も含めて)が立ち上っても不思議ではないだろう。

 マカオへ追放になり、彼の地で司祭として生涯を終えた原マルチノの望郷、キリシタン拷問の中でも最も残酷といわれる逆さ吊りの刑で死んだ中浦ジュリアンの殉教、司祭として布教の途上で倒れた使節の正使・伊東マンショの無念、いずれも悲劇だが、千々石ミゲルの棄教ほど、想像力をかきたてられるものはない。「マルガリータ」を知った時、あっ、やられたと思った。すばらしい仮説が美しい物語として紡がれた。冒頭、清左衛門の妻珠の独白によってミゲルの子=天草四朗説は、年齢を理由に否定されるが、それでもミゲルの隠し子こそ天草四朗であると思いたい。

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