ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

『めぐらし屋』を読んだら同級生のレーミン君を思い出した。

2007年06月13日 | 
 堀江敏幸『めぐらし屋』は、蕗子さんという女性が主人公で、作中でも「蕗子さん」として語られるせいか、あるいは焼肉やら、ジャズの流れるこじゃれたうどん屋やら、食べ物の話題がさりげなくちりばめられているためか、なんか川上弘美の小説に似ているなー、これは。

 蕗子さんは、たぶん40歳前後の独身女性。倉庫業の会社のベテランOL。落語で言う粗忽者という表現がぴったりのキャラクター。蕗子という名前も、路子と命名したはずが、役場に届出に行った父親が、役所の職員が読み間違えてほめられたことがきっかけで、急遽、路に草冠がついて、蕗子にしてしまったという次第。こういうどこか調子っぱずれな人物が出てくるところが、この作家の魅力だ。

 亡くなった父親の机を整理していたら、蕗子さんが小学校のとき父親にプレゼントした黄色い傘の絵の切抜きを貼り付けた大学ノートが出てくる。表紙には「めぐらし屋」と記されてあり、日記とも備忘録ともつかぬメモで埋められている。ときおり新聞の切抜きが貼ってある。父親は蕗子さんが幼い頃、昔で言う蒸発してしまっていたので、成人してからの蕗子さんは、父親が何を生業に生きていたのかよく知らない。偶然受けた電話をきっかけに、やがて、父親が暮らしていたアパートのある街の造り酒屋のせがれがひょうたん池でおぼれかけたのを助けたこと、それが縁で、訳ありの人に隠れ家を斡旋するらしい奇妙な「めぐらし屋」という活動をしていたこと、未完の百科事典を訪問販売していたことなどが明らかになってくる。いかにも暢気そうな会社の部下や上司、離婚した幼馴染レーミンなどが、蕗子さんを取り巻いて奇妙な物語が進行していくのだが、父のアパートでたまたま取った電話が「めぐらし屋」の依頼で、それを蕗子さんが受けてしまうという展開。

「めぐらし屋」という訳のわからない、何か必殺仕置き人のような雰囲気を漂わせ、ボランティアなのか商売なのかも分からない奇妙な仕事にかかわることで、蕗子さんは、父親を自分の中に復権させ、人生にぽっかり空いた空白やら喪失感を埋めていくのだろう。その空白は、父親のアパートの前に、水をたたえて、向こう側と隔てているひょうたん池のようではないか。

 そういえば、中学時代、二つ年上で字は異なるが「富貴子」さんという美人がいたっけ。中学の同級生には、玲民と書いてレイミンと読む中華料理店の息子もいた。父母が共産党員で、かのレーニンにちなんでレーミンと名づけたのだった。名字には「菊」がついていて、菊の紋章とヴ・ナロードが同居するありがたい名前の友人であった。

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