チェット・ベイカーのRCA-italia盤「チェット・イズ・バック」は、1962年にイタリアのミラノで録音されたアルバムだが、ヤク中でブタバコにぶちこまれ17カ月ぶりにシャバに出た、そのご祝儀に地元のミュージシャンたちと「ヤクからは足を洗って出直そうや」てな調子で演奏した感じがなかなかよく、好きな1枚だ。(最近CDが復刻された)
とくに「虹の彼方に」は、久々にシャバの空気を吸って、塀のなかで見た空を思い出しつつ、そしていま少しつかみかけている小さな希望にむかってチェットが吹いているようで、「きっと明日になればいいことあるよ」といった気分のときに心に響く演奏だ。
テクニックもない、充実感あるプレイというわけではないのに、なぜかこのトランペットの音は心をとらえる。雨後の青空にかかる虹といより夕焼けみたいなんだけど。
こういう下手くそなラッパの音がなぜ人の心をとらえるのか、きっとウィントン・マルサリスはわかんねーだろうな。だから、おいらマルサリスを聴かないよ。
で、この後ベイカーさんは、アメリカに帰るけどやっぱりヤクがやめられなくて、あげくにトランペッターにとって大切な前歯を暴漢に襲われて折ってしまうわ、それでも何度となく復帰して、ぼろぼろになっても演奏を続けたけれど、最後はアパートから転落して死んじゃったのでした。南無阿弥陀仏。
ベイカーさん虹の向こうは晴れていましたか?
とくに「虹の彼方に」は、久々にシャバの空気を吸って、塀のなかで見た空を思い出しつつ、そしていま少しつかみかけている小さな希望にむかってチェットが吹いているようで、「きっと明日になればいいことあるよ」といった気分のときに心に響く演奏だ。
テクニックもない、充実感あるプレイというわけではないのに、なぜかこのトランペットの音は心をとらえる。雨後の青空にかかる虹といより夕焼けみたいなんだけど。
こういう下手くそなラッパの音がなぜ人の心をとらえるのか、きっとウィントン・マルサリスはわかんねーだろうな。だから、おいらマルサリスを聴かないよ。
で、この後ベイカーさんは、アメリカに帰るけどやっぱりヤクがやめられなくて、あげくにトランペッターにとって大切な前歯を暴漢に襲われて折ってしまうわ、それでも何度となく復帰して、ぼろぼろになっても演奏を続けたけれど、最後はアパートから転落して死んじゃったのでした。南無阿弥陀仏。
ベイカーさん虹の向こうは晴れていましたか?