今日はお彼岸の中日。この日になると毎年想い出すことがある
妻が元気な頃のこの日は、朝食は妻が作った 「ぼたもち」 を食べるのが楽しみだった
「ぼたもち」 は別名 「おはぎ」 と同じかどうかは諸説があるようだが、昔からこの辺りに住んでいる人たちは 「おはぎ」 とは言わず、 「ぼたもち」 と呼んでお彼岸には欠かせない食べ物となっている
だがスーパーなどではもっぱら 「おはぎ」 の名で売り出されている
「ぼたもち」 と言う名の由来も諸説があるようだが、最近知ったのはサンスクリット語 (古代インド・アーリア語に 属する言語) に由来するとの説で、サンスクリット語の bhukta (ブッダ) + mridu (ムチ) が 「ぼた-もち」 になったという説で、bhukta (ブッダ) は 「飯」、mridu (ムチ) は 「柔らかい」 を意味するそうです
少し脱線したが、かつて妻は中日の前日の夕方になるとこの 「ぼたもち」 を作る準備を始める
私はどんな食材を使ったのかはよく判らないが、もち米を準備して、夕方から夜にかけて餡こ作りをするが、時には食卓の椅子に座りながらコックリ、コックリと襲ってくる眠気を堪(えて味見しながら餡こ作りをしていた
その翌朝、妻は早起きしてもち米を蒸す。その蒸されたもち米を丸めたものに餡をまぶして出来あがりとなる
妻が作った 「ぼたもち」 はまずは仏前にお供えしてから、私も朝食として食べる。その味は?
私はあまり美味(い、不味(いを言わない男だがこの 「ぼたもち」 は思わず 「美味い」 と叫びたいほどの甘くて美味しい絶品の味だった
蒸したお米もふっくらと歯ごたえもあって、その餡この甘さは絶妙の味だったのでそれを妻に言うと 「特別なことはしてないけど」 とのことだったが、そんな手法はやはり 「手打ちうどん」 作りの達人でもあった妻の母親から知らずの内に伝わった伝統のような食作りなのだろう
そんな絶品だった 「ぼたもち」 も、もう食べることもできなくなったが、この中日が来るとそのことが必ず想い出されてくる
今日、仏前にはスーパーで買った 「おはぎ」 を供えた。おそらく、ご先祖さまたちも妻の作った 「ぼたもち」 の味を想い出しているのかもしれない
かつては料理上手だった妻だったが、今日も8時半、迎えの車に乗って元気にDSへ向かった。その車が遠ざかるのを見ていたらまた少し複雑な気持ちになってしまった
今日空堀川沿いを散歩して見た彼岸花はどれも満開、さすが中日に照準を合わせて咲いているようだった
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