日暮らし通信


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今が幸せかも?

2015年09月16日 16時43分07秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

青空・雲・コスモス

空堀川沿いにて
(撮影: H270915)



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水、木曜日は妻がDSへ行くのでその時だけが私には自由時間があるが、だがそれも僅かな時間だ

いつも終日妻の傍にいると、いささか戸惑ったような感覚に陥って 「ああ、たまには独りになって数日を過ごしたいものだ」 と、溜息みたいに呟くこともある

さて、妻がDSへ行って独りになるとやっとホッとするのだが、何故かあまりすっきりした気持ちにならないのが不思議だ

 「お前が望んだ独りの時間だぞ、喜べ」 と、何かに急かされているようだが、あまり喜べないのは何故だろうか

独りの時間と言っても、水曜日は16時過ぎ、木曜日は17時過ぎには妻が帰ってくるから、その限られた時間では遠出することも控えてしまうから喜べないのかもしれない

考えてみれば妻との二人暮らしは、妻が要介護という立場を除けば、案外気楽な生活でもある

それは生活上は主婦としての仕事を休んでいる妻だから、私が主夫として生活を成り立たせているのを我慢すれば、私たちにとっては人生の中でも幸せな時かもしれない

本来、家庭内のことは殆どが妻がいろいろな事を考えて取り仕切るのだろうが、妻は将来のことも、毎日の食事の事も、そして一番重要な経済的なことも何もかも心配することから解放されているから、妻にとっては最も幸せなことではなかろうか?

勿論、二人暮らしのリスクの深さは経験者で無いと理解できないだろうが、それ以上に大きなメリットもあることも忘れてはならないことだ

でもこのような二人暮らしは 「家系の存続」 と言う大きな目標からすれば全く的外れな現在形であることに危惧してしまう

さらに考えれば、昔の大家族構成での暮らし方はそれなりにいい面を多く持っていたと考えさせられることばかりだ

老いも若きもそして幼子の誰もが年齢に応じたミッションを持っていて、持ちつ持たれつの生活の中で、子は年長者から無意識の内にいろいろと学んで 「常識」 と言う社会で通用する大事な感覚をだんだんと育てていった

私の家族もかつては7人の賑やかさだったが、当時の情景はどれを想い出しても懐かしいものばかりだ

さて要介護の妻との二人暮らしを 「今は幸せな時」 と観念するしかないが、時折、思うのはやはり先行き不安な気持ちに押し潰されそうになること

そんな不安な気持ちはいつも 「そんなことは忘れて生きること」 と、いつも同じ結論になって自分の胸の内でいつしか消えてしまう

この投稿、毎度のことですがまた纏まりのない内容になってしまいました