縁は異なもの味なもの 2014年08月23日 11時11分03秒 | 日暮らし通信 日暮らし通信日暮らし通信■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■ゼラニューム空堀川沿いにて● 写真の上でクリックしてご覧ください ●妻と園内を散歩していたら、また 「あら~ いいわねえ~」 と老婦人から声をかけられた やはり私が妻の手を握って歩く姿が羨ましいとのことだった 年に数回はこのような声かけがあるが、決まって自らの境遇を説明する人が多い そのご婦人も既にご主人を亡くしたとのことだったが 「わたしなんか、親の決めた人と一緒になって・・・・」 と、夫婦(めおと)になった経緯(いきさつ)を話してくれた そのご婦人と別れた後、私はある先輩のことを想い出したが、以下はその先輩から聞いた話である 先輩は鹿児島の出身、20歳代で上京して米軍・ジョンソン基地 (現在の航空自衛隊入間基地) に就職した 当時のジョンソン基地はまだ米軍の爆撃機部隊が常駐していたが、その機体はB57爆撃機 (通称・キャンベラ) で、J65ジェットエンジンを二基搭載していた 先輩はそこでジェットエンジンの整備技術を学んだ 私が入社した頃はまだ新人教育など無い時代、見よう見まねで仕事を憶えるのがやっとだったが、ジェットエンジン関連の技術や整備の基本などをその先輩から教えてもらった その先輩にある日、親元から写真同封の手紙が届いた 「○月○日○○時、お前の嫁が東京駅に着くから迎えに行くように」 との内容だった 先輩もびっくりしたらしい、見ず知らずの女性なのに親はもう結婚を決めて進めていたのだ 現代の若者だったら 「プライバシーがどうの?」 「個人の権利はどうの?」 と文句を言うのだろうが、当時は結婚相手を親が決めるのは当たり前の風潮もあったから、別におかしなことでは無かったのかもしれない これには先輩も驚いたがその女性はもっと驚いたらしい でも鹿児島の女性は立派です。自然豊かな土地で育ったから東京なんて知る術(すべ)もないのに 「写真一枚持って東京へ行けなんて、あまりにもひどい」 とは思わなかったそうです 先輩が言ってました。東京駅で写真見ながらお嫁さんを探す、同時にお嫁さんも写真見ながら夫になる男性を探す、二人とも必死で探したそうです 今のように通信手段の無い時代だったから、それこそ実物をお互いに確認する以外に方法が無かったよ、と、先輩は笑って話してくれました 親が子の結婚相手を勝手 (ちょっと表現が悪いですが) に探すことをどう思うでしょうか? 今の時代は受け入れられないでしょうが、私は経験豊かなご両親が子の最良の相手を決めることはそれなりに意味のあることだと賛成です もっともその当時は若者でも 「耐え忍ぶ」 という人生航路の基本操船技術をわきまえていたから、親の言う通りにしたのでしょう さて、先輩はその後どうしたのでしょうか? 私は何回も先輩の家にお邪魔していつもご馳走になりましたが明るい家庭でした 奥さん? それは可愛い、可愛い奥さんでした 先輩は180センチクラスの偉丈夫、それに比べて奥さんは150センチクラスの撫子、でも似合いの夫婦でした その後、双子の男の子が生まれ、成長後は二人とも医師になったそうです。凄いですね 私も奥さんのように可愛い人を妻にと願いましたが、それが今の妻です あまり願いどおりになりませんでしたが、ある時期まではまあまあでした 夫婦って不思議ですね? どうして一緒になるのでしょうか? 誰が決めるのでしょうか? 俗に言う 「縁は異なもの味なもの」 の定義に合うのは夫婦だと私は思っています さあ~て 「お前たちはどうして一緒になった?」 の質問は、申し訳ありませんが、もう時間がありませんのでお受けできません あしからず