届かない言葉、もどかしい思い

2005年11月15日 | Weblog
世に倦む日日の記事の中で、山口二郎氏は民主党は自民党の左に寄ることで政治の方向性を変えるべきと論じているが、そうではなく、筆者は共産党が右によることで政治のパラダイムに有効な変化がありえると論じられている。私も一読者として、興味深く読んだ。また、先般の世に倦む日日氏とカッシーニでの朝食さんとの日本共産党の理念、歴史、名称についての激論も読ませてもらった。
結論から先に言うと、共産党を右に寄らすのは極めて困難ではないだろうか。私自身は政党名とは結局、一つの記号でしかないと思っているが、共産党が、それ捨て去ることは殆どないだろうと、思っている。また彼らの二段階発展論は歴史を、きわめて俯瞰的に捉え、人類がいつか到達する永い永い物語として設定しているように思われる。ところが、一般の有権者は彼らの物語に付き合う忍耐力も想像力も持ちあせていない。よしんば、共産党が近々に綱領を書き変えて、赤旗紙上で華々しく発表しても、どれだけの人が注目するか、私には疑問だ。ただ、誤解してほしくないのは、だから共産党はダメだ、と決め付けたいわけでもない。そうではなく、彼らは政界のなかでも、外界の存在ともいえるわけで、私には、彼らが凡百の政局論にはのってはこない感じがする。テレビの討論番組で、自衛隊について、各党討論会があるとする。他党の議員が防衛費と発言するところを共産党の議員は軍事費と発言し、司会者あたりに窘められる。よく、ありがちな風景ではないか。それを観て、私などは、あ~、共産党らしいなあ、と微苦笑してしまう。まず、彼らは自分達の世界の言葉で政治を論じるのだ。ワイドショー政治をみるまでもなく、政局ぐらい、一般人に通ずる言葉で喋ればいいのにな、としばしば思う。世に倦む日日氏が言葉を尽くし、共産党よ現実をみよ、と述べられても、可能性は低いと言わざるを得ないのではないか。
一方山口二郎氏の民主党は左に寄れという主張も現実的だろうか。世に倦む日日氏は新自由主義に走る前原民主党では政局が好ましい方向には向かない、と論じている。私もその危険性はあると思っている。しかし、現在必要なのは小泉、竹中路線にどう、ブレーキをかけるかであり、また出来ることなら、その政権を倒すことだ、と思う。現状、それを実現するには社民党、国民新党、新党日本、新党大地、そして民主党を有権者が利用するしかないのではないか。かつての革新という言葉も古臭く、社共相乗りの首長も望むべきもない現状、中国や北朝鮮、韓国に対する、安価なナショナリズムがこんなにも世に受け入れられる現代ではそれも仕方ないのではないか。相手は政局の天才、小泉氏率いる自民党だ。他党が左側へ、左側へ寄り、その立ち位置から言葉を発しても、多分多くの有権者には届かない。またも改革の二文字は与党のためだけに使われる。利用できるものは利用しつくして、小泉、竹中路線を一日も早く終焉さすべきだ。その成果がたとえ、高速道路無料化だけだったとしても、私なら評価する。公共性の概念を我々の為のものに入れ替えるのはけっこうしんどい戦いだ。だが、私は共産党が目覚め、名前を変える日までは、とてもじゃないが待てない。