暇人短剣符

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発展と教育

2008-12-07 00:31:29 | ウェブの向こう
むかし、某テレビ番組のドキュメンタリーでアフリカに一人で海外協力隊として派遣され、そこでは小学校で絵画の教育に携わるというものでした。
その派遣された女性曰く、現場の教師たちとよく口論になるそうです。
口論の争点は、教育のあり方について。絵画の時間、自転車の絵を描く時間でした。現地の教師たちは生徒に絵を描かせる前に、私たちの国の百科事典に書かれてあるようなきっちりした絵を目の前で描きます。
そして、彼らはこれを生徒たちに模倣させるのです。ここの線は太すぎる、長すぎる。とか指導していきます。
日本から来た女性教員はこれを見て激怒します。これでは個性が育たない。自転車でもいろいろな角度から見たり、生徒たちにはもっと別のものが見えているかもしれない。
現地の教員たちには理解されません。「なぜ?これは正しい自転車の絵だ。」

焦燥感の中、やりきれない気持ちで、でもあきらめずに訴えていく日本人教師の姿が映し出され、番組は終わりました。

    †    †

わたくしたちは先進国に生まれ、ある程度の生産性を保持しています。そこで初めて余裕があると考えるんですね。日本もむかしは欧米諸国の模倣から始めたじゃないですか。発展途上国にとってはまず、正しい自転車を描き覚え、正しい自転車を作れるように技術力をあげて、少しでも早く追いつきたい一心なのです。
そこに創造性や自由性を求めても、民族が一丸となれずに奔走することになると思います。
図工、製図と絵画の区別をつければよかった。ただそれだけなのですが。そう考える前に、絵画という思想を押し付けることは先進国の余裕、欺瞞だと思います。

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