下松から写真が届きました。
東鳳翩山登路の展望地からの眺め1:登山口近くの金鶏湖が眼下に。
東鳳翩山への登路にて
登路脇に咲いていたリンドウの花
アキノキリンソウ;登路沿いに多く咲いていた。
山頂近くにて:左後方が山頂。
東鳳翩山の山頂(岩崎元郎の新日本百名山:734mの山頂は360度の大パノラマ)
山頂からの眺め1:山口市街地の眺め1
山頂からの眺め2:山口市街地の眺め2
山頂から北面の眺め:後方に秋吉台
萩往還の最高地の板道峠附近
長門と周防の国境の碑(板道峠の近く)
杉木立の中の萩往還。
途中には石畳が敷かれた場所も。
萩往還の最難所の休憩地・六軒茶屋付近。
険しい坂道が続く萩往還の難所。
ご主人のコメントです
一昨日、家内と姪の三人で久し振りに山歩きをして来ました。
登った山は、山口市街地の北方に位置する東鳳翩山(ひがしほうべんざん:734m)で、中高年が登り易い山という点を加味して選定された「岩崎元
郎の新日本百名山」の一つです。
最もポピュラーな「二つ堂コース」を登り、下山はアップダウンの多いい中国自然歩道を歩いてショウゲン山(710.8m)から板道峠(萩往還の最 高地)
に下り「萩往還」を辿って登山口に戻りました。
参考までに(萩往還について;説明版より抜粋)
萩往還は、江戸時代のはじめに萩城と三田尻(防府市)の御船倉を結ぶ、参勤交代の道として整備された街道です。
行程は12里(約53km)だが、政治的に重要な道であった為に道幅二間(約4m)の大道として位置づけられた。
そのために利用する人も多く、山口県の歴史にとって大変に意義のある道といえる。
しかし、中国山脈を最短距離で越えるこのルートには険しい坂や峠が多く、道行く人にとっては険しい旅であった。
途中には石畳が敷かれ、人馬の往来に必要な施設として一里塚、御茶屋、御駕籠建場、通行人の取り締まりなどにあたる口屋等があった。そして、往還 の両側
には往還松が植えられていた。
遠い江戸につながるこの道を、武士や庶民そして憂国の志を抱いた維新の志士たちはどんな思いで歩いたのでしょう。
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