明治の久慈港(九戸郡久慈町)全景
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/42/17fe899047e95d07a16883f570c907e7.jpg)
タイトルは久慈港全景となっていますが、写真には所謂港らしい風景はありません。
撮影場所を地図と照らし合わせて推測しますと、遠くに見える島影(弁天鼻と牛島?)や中央の細長い砂州を見ると、現在の湊町の金刀比羅神社吹きの高台から俯瞰したものでしょうか。
写真上半分を横断する川は夏井川とすると、海側の砂州は現在と較べると狭小です。写真の右端には鮭の川止めと思われる柵が見られます。手前の葉の落ちた木立や民家の煙突の煙などから冬季の撮影と思われます。
現在の久慈港は長内町の埋め立てが進み大型船も寄港できる近代的な港湾となっていますが、当時は未だ港湾整備されていなかったのかもしれません。但しVOL17の「鍬ケ崎湊2」で既述したように、明治44年には三陸汽船の久慈航路が就航していますのでその後徐々に港が整えられていき、大正11年に内務省指定港湾になっています。
写真で気にかかるのは、この地区も明治の三陸大津波で大きな被害を蒙ったはずですか、この撮影時は早くも海辺近くまで民家が密集して建てられていることです。今回の東日本大震災で大きな被害を受けていなければよかったのですが…。(因みに明治の大津波の際は、NHKのあまちゃんでも有名になった近くの小袖海岸の「つりがね洞」の由来となった釣り鐘状の岩が、その大波で落下と云われています)
※「明治の三陸博覧会」記念写真帳とは?