思考の踏み込み

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ブッダ22

2014-05-26 00:26:57 | 
しかしそんなに大袈裟に考えることもない。

大事なことはいかに有意義に人生を送るかということだろう。



そのための指針としてもD先生の研究は有効である。

例えば子供になぜ人を殺してはいけないの?と尋ねられたら、なんとこたえるだろうか。

いろいろな理屈や倫理観を説いたところで子供の腑に落ちることはない。
(この腑に落ちる、という慣用語も身体感覚の優れた表現であることにお気づきだろうかー 。)


そうではなくて、正しい身体感覚を持っていれば、人間は人間を殺せる様にできてなどいない、ということに気づかせるだけでいい。
誰も不快な事は普通したくはないからだ。

だからまず子供の教育で一番初めに教えなければならない事は、正しい快と不快なのであるという。
倫理や道徳などは "正しい快" に従えば、自然とついてくるものだから。

従って必要に迫られない限り、人間どころか、食の対象となる動物のすら自ら行うことができる者は少ない。




なのになぜ殺人がおこるのかなどは説明するまでもないが、そこまで追い詰められた者の苦しみを想像できる者なら、人間の本来無垢な姿を知っている者ならば、殺人を犯してしまうほどに闇に追いやられた者の悲しみが見えてくるだろう。

だが中には、ごく普通の者が思想や狂信的なオカルト宗教によって人を殺めてしまうこともある。

その理由をD先生はこう語る。

ー 身体感覚を伴わない思考は "邪悪性" を生む。

おわかりだろうか。

引きこもりの男がある日突然通り魔になる。
部屋で頭ばかり働かせ、気血は上がり身体を使わない。想像しなくともまともな精神を保ち難いことはよくわかる。
その先に邪悪性が芽生えてくるのも必然だろう。

(邪悪性までゆかずとも、例えば本だけの知識や経験の無い内容についてどれだけ素晴らしい事を他者に語っても、ほとんど影響力を持たないという理由も身体感覚という一点から理解することができる。)



この意味で今日の機械文明の利便性に過ぎる傾向は危険である。ボタン一つで事足りるというのは、身体を置き去りにしているからだ。本当に進んだ文明ならばそろそろここに着目していかなければならない。


こうした感覚の狂いを修正する方法としD先生は "禁糖" が有効だと説く。

調味料も含めてあらゆる糖分を断つのである。(味醂は可だそうだ。)
それを数週間続けると正しい感覚が身に付くというが、これはかなり辛いらしい。

それはともかく、いかに正しく生きるか、そもそも何が正しいのか。
それは生き生きと生命を輝かす方向へ向いているか ー 。
そうした基準や手段までD先生の世界観には内包されている。



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