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思考の踏み込み

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前田智徳19

2014-08-15 00:06:40 | 
僅か0,1秒を極限まで長く使う事を可能にするには限界までムダを省いた打撃フォームと鋭いスイングスピードが必要になるだろう。


この ー スイングスピードは筋力ばかりでは生まれない。
体幹や腰の回転の速さが最も重要である。体幹の回転の速さという点で、我が愛すべき江藤智は群を抜いていたがそれでも江藤の回転は外側の回転だった。
前田智徳の回転はこの点で見事なほどに中心、体幹の内側の回転であった。



(ルーキーの頃の前田を見た水谷はそのスイングスピードが早過ぎてむしろ身体がついていってない、と言っている。このことからも前田のスイングが外的な筋力に頼ったものでないことがわかる。)



それは達川に対して前田が言った言葉からも良くわかる。

「前田おまえ、どんなボールを普段待っとるんや?」
「? 」「いや、来た球を打つんですよー。」


当たり前のセリフじゃないか、と思われた方は0,1秒の攻防という事実を思い出して欲しい。

僅か0,1秒でもって球種、コースを判断し振る振らないの選択など人間にはできるものではない。

だからプロの選手達はみな配球を読むのである。それはヤマを掛ける、といってもよい。

ところが前田だけは、配球など読まなくても、この ー 0,1秒の世界で自由に動けたのである。




もちろんケガをする以前の事である。ケガをしてからはさすがの前田智徳も配球を読むということをやり出してはいる。

だが後年、円熟期を迎えた頃の前田は、スイング速度などはむしろ遅いくらいがちょうどいい、と語っている。

この言葉を聞いたとき、私はこの男が天才である事を実感したことを記憶している。

つまり、スイングスピードばかりを追求すればミートの正確性は一定範囲で犠牲にされる。
だが、前田ほどのスイングスピードがあればもはやある程度その力をセーブしてバットコントロールの方へ回しても、0,1秒の世界で十分に立ち回れたのである。




こうした "瞬間" の圧縮と自在性を可能にしたのは、すでに述べた前田の一切のムダの無い、美しい打撃フォームでもあるが、もう一つは圧倒的に優れた "選球眼" ということも挙げられる。


前田の選球眼は群を抜いていたという。
例えば今中が、どんなにムキになってどんなに際どいコースをつこうと、それがホームベースの上を通らない球であれば、前田は悠然と見送ったのである。

それでも審判が誤審して、ストライクをコールするときがあった。
審判も人間であるから仕方あるまい。

だが前田という、自己の判断力に絶対の自信を持ち、物事に対して一切の妥協をしない男にはそれが許せなかった。



そういう時、前田は明らかなボール球をわざと空振りし、追い込まれた挙句、最後のピッチャーのウイニングショットをスタンドに放り込む。

そしてニコリともせず、悠然とダイヤモンドを一周。ホームベースを踏むときに審判をジロリ、ひと睨みしてベンチへ去る。

内心身もすくむ思いであろう審判には同情するしかない。

それほどに前田の選球眼は優れていた。

前田智徳18

2014-08-14 00:46:13 | 
例えば球界の生き字引、野村克也が "最高の投手" と評した伊藤智仁は語る。




「僕が対戦した打者ではナンバーワン。本気になった前田にはどんな球も通じなかった。」

「顔色や仕草で、こいつヤバイな、ってわかった。
…松井秀喜?高橋由伸?

彼らも良いバッターだけど、ここに投げておけば絶対に打たれないというコースがあった。でも前田にはそれがなかったー 。」



クールなイメージの強かった中日の今中慎二も言う。




「僕を "この野郎!" という気持ちにさせたのは唯一前田だけだった。
よく審判になぜ前田の時だけそんなにムキになるのか?と聞かれた事さえあった。
特にランナーがいる時の前田の集中力は凄まじかった。」


そして広島戦で完全試合を達成した槙原寛己。



実はこの試合、前田は左肩亜脱臼で欠場していた。

「前田がいなくてラッキーだった。ヒットだけでいいならいつでも打てる。
真ん中の球は平気で見逃すくせに、難しい球は確実にとらえる。」

ちなみにこの完全試合の次の対槙原戦、ケガの癒えた前田はリベンジに燃え、見事に "返し" となる大ホームランを打っている。もちろんバックスクリーンへ。


他にも "打ち損じ以外で打ち取れる気がしなかった ー "、という発言をする投手までいる。

ー これらはほんの一部の証言であるが、1990年代から2000年代にかけて活躍した各チームのエース達は口を揃えて言う。



"最強の打者、 ー それは前田。"



野球というスポーツにおけるバッターという仕事をこなす人々の、実力を分析するとき何処に焦点を絞るべきだろうか。

ある人は打撃フォームの合理性を言い、ある者はそのスイングの速さを言い、またあるいはバットコントロールの技術を言う。

だが打撃の真髄はそこにはない。

打者として必要な能力の、究極における部分とは選球眼と集中力にある。

投手が球を投げる。
指から離れる。
捕手のミットに届く。

プロの世界であればこの間、わずか0,4秒そこそこであるという。




その "一瞬" で、打者はストライクボールの判別をし、コース球種を見極め、振るか振らないかの選択をする。


バットを振る起動をしてからボールを捉えるまでにも、まず脳から筋肉へと指令が行き渡るのにプロでも0,1秒かかる。
そこからスイングするのに0,2秒。

ということは打者に残された時間は僅かに0,1秒ちょっとと言う事になる。




だからこそ、球離れが遅い投手というのは有利であるし、球の出どころの見えにくい投手もまた強い。

逆にギリギリまでボールを呼び込める打者はこの0,1秒を限界まで引き伸ばせるという意味で好打者たり得るのである。

前田智徳17

2014-08-13 05:15:50 | 
面白いのはこの水谷コーチ、選手に混ざって寮暮らしをしていたときのエピソード。

若き野村や町田、緒方もいたその寮で水谷コーチの両隣の部屋が江藤と前田だったという。



「夜寝ようとすると、隣の部屋から音が聞こえてくる。"ブーンブーン"。

前田の部屋からや。
江藤の部屋からは聞こえてこん。

やがてその音は "ブンブン" と鋭くなっていき、最後は "シャリーン" というカミソリで紙を切った様な鋭利な音になった。」

「あいつは皆の前ではやらん。一人でやる。毎日毎晩。

江藤の部屋からは聞こえてこん。(笑)

前田は野球から逃げることをせんかった。どんなときもグチひとつ言わずにコツコツやった。だからあれだけの成績を残せたー 。」




なんとも前田らしい挿話であるが、これだけ前田を見続けた名コーチも、やはり前田の他を寄せ付けないほどの "努力" こそがその天才性の主な所以であるとみている。

はるかな後年、阪神のコーチとなっていた水谷のもとへあるとき電話が入る。

「前田さんから電話」と水谷夫人。

「前田? どこの前田や。」

電話の主は、その夜2000本安打を達成した前田智徳。

「おかげで達成できました。ありがとうございました。」

水谷実雄。泣く子も黙る鬼コーチ。現役時代は山本浩二らとともにカープ黄金期を支えた名選手。




すでに他球団にいるこの昔の恩師に、真っ先に報告する律儀な前田智徳。

"孤高" と評され、実際孤独な道を歩み続けたこの男にこうした "心の師" がいてくれたという事は、我々前田ファン達もまた一緒になって感謝したいくらいである。


さて ー、話を戻さなければならない。

前田智徳の天才性についてである。



"前田は誤解されている。けして天才じゃない"

(このポスターは前田自信お気に入りだったようで、一枚だけ欲しかったらしい。だがなかなか球団に自分からは言えず、見兼ねた奥さんが球団に頼んでもらってきて本人にあげた、というエピソードがある。)



さて、
ー そもそも天才の本質とはいったい何か?

それを知るには同じ打者として前田の天才性を評価する声よりも、実際に前田と相対し、その凄まじさを身を持って体験し恐怖すら味わっていた投手達の証言に耳を傾ける方が近道であるかもしれない。




前田智徳16

2014-08-12 01:02:28 | 
さてここでー 、前田智徳と天才性というテーマに戻ってみたい。


前田は果たして天才かー ?


この話が出ると決まって出でくるのが、前田をずっと近くで見続けた達川光男の言葉だろう。

「前田は天才じゃない。彼は死ぬほど努力をしていた ー 。」


緒方孝市という、これまた修行僧と呼ばれた程に努力に努力を重ねた選手でさえ言っている。



「あいつは24時間野球の事をかんがえている。他球団をみまわしても、あいつより凄いやつはおらん。」

その緒方の2009年の引退試合、その年ケガで一試合も出場できなかった前田が現れ、花束をわたした。

前田は男泣きして言った。



「 最後に一緒にプレーできなくてすいません。」

緒方はいう。

「俺たちは "あの時代" の最後の生き残り。辞めるのは寂しいのうー 。」


緒方孝市 ー 前田智徳に勝るとも劣らない "男" としての魅力を持った選手であった。




そして、前田の育ての親ともいわれ、江藤、金本、あるいは中村紀洋、城島健司、松中信彦らといった、そうそうたる選手を育成してきた水谷実雄コーチの談話からも前田が壮絶な努力を積み重ねていた事がわかる。


「他の選手には "もっと練習やらんかい" と怒鳴るのだが、前田だけは逆だった。」

言わなくとも前田の練習量は凄まじかった。
むしろ切り替えが下手で、上手くいかなかった事をひきずり、ひたすらな練習によって解決しようとして身体が動かなくなっていき、悪循環に陥る様なときだけ注意した ー 、と語る。

「それ以外の、技術的なことや練習方法についても、前田に口出しすることはなかった。」

水谷氏はそう振り返る。



前田智徳15

2014-08-11 07:24:39 | 
…現代におけるプロスポーツとはファンがあってこそ、成り立つ職業である。
従ってファンサービスは当然行われるべきものであろう。

そのファンとプロフェッショナルをつなぐ媒体がマスコミであるならば、マスコミに対して愛想良くすることは、プロとして当然の事かもしれない。

メジャーリーグの選手などはまるで政治家の様に、スピーチの訓練さえ受けるという。




だがしかし、いくらファンが大切だと言ったところで、心にもない笑顔や言動で、形ばかりのファンサービスをしたところで、そんな選手になんの魅力があろうか。

ファンに媚だせばそれはもはやスポーツ選手ではなく、ただのビジネスマンである。

本当のファンとは ー 少なくとも私は ー そんなプロフェッショナルなどは観たくはない。

それよりも素のままで、等身大の人間像を包み隠さず出してくれる方が、"人間を観る" という事からすれば遥かに素晴らしいファンサービスではないか?

このあたり、前田智徳はやはりさすがである。


近年、カープ女子とかいう、数年もすれば跡形もなく消え去ってしまいそうな ー 得体のしれないファン層が増えているそうだが、コアなカープファン達はこの手合いに眉をひそめる人も少なくない。



私個人としてはむしろ歓迎すべき事かと思ってはいるが、(というか、どこに行けばこのカープ女子達とお会いできるのか… …。) 一時的な現象にすぎないことは火を見るよりも明らかだろう。

前田はなにがさすがか?

これっぽっちも彼はファンに媚びなかった。

あるとき、球場の外で女性ファンが前田に声を掛けた。

「頑張って下さい!」

前田。あろうことか、こう返した。



「お前に言われんでもわかっとるわ!」

このエピソードで前田智徳がプロとして失格だと思うか、これほど人間らしい男はいないと感じるか、人それぞれであろう。


だが、チャラチャラした女性ファンの増えたカープの周辺では、昔からカープを見つめてきた者たちならなおさら、前田のこの暴言は胸のすく思いさえする。

もちろんこれはあくまでも、個人的見解に過ぎない事を重ねて断っておきたい。

しかしもっと言えば ー 、常に命懸けで精進している前田だからこそこれは言えるセリフでもあるし、また周囲も許したのだということ、それは前田を愛する者たちなら誰でもわかっていることでもある。