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思考の踏み込み

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黄色11

2014-07-25 00:15:34 | 
もし造物主がいたら ー そう想像してみるといろいろ面白い。

明らかに丹精込めてデザインされた生物とどう見ても手抜きじゃないか、と疑いたくなる様な生物もいるからだ。

その意味でいくとスズメバチはだいぶ凝っている方であろう。

だがこのエネルギッシュで迫力に溢れた存在にも天敵がいる。

造物主は時に手抜きもするが、やはり公平な存在なのであろう。




オニヤンマ。
(なんと鮮やかな "緑" であることか。)

天敵というほどには互いに争い合う機会は少ないが、それはどちらも相手の危険度を知っている証。

スズメバチの様な好戦的な戦士でもこの "緑の鬼" ばかりは時に捕食されてしまう事があるという。

この両者の戦いはスズメバチの毒針が刺さるかどうかにかかっていて、肉弾戦ならオニヤンマの方が強そうだ。

(スズメバチの最大の天敵はハチクマというスズメバチを主食とする恐るべき猛禽類で、ハチクマが現れると彼らは逃げ惑うしかないという。その羽は毒針さえ撥ねつけ、彼らにはなす術もない。だが種がまったく違うのでここでは外して考えることにする。)


ところで "緑" というのは赤橙黄緑青藍紫 (セキトウオウリョクセイランシ) の七つの可視光の波長の中央に位置し、心理面でも最も安定を与える色である。

おそらく地上で一番初めに広がっていった色はこの "緑" であったであろう。
あたかも他の色もこの緑から派生していったかのようにも思える。
(陰陽五行説では中央は "黄" とされている。)

緑は中央には居るが、黄よりも青に寄りぎみではないだろうか?
少なくとも日本語世界では碧、蒼、翠など青と緑の境目は余り無い。
(これは湿度と色彩の影響であると思うがー。

強烈なスズメバチの "黄" と対立する存在に、色相環で境目を成す鮮明な "緑" を配色するとは造物主という芸術家も心憎い。



だがよく見ればこのオニヤンマも黄と黒の警告色であるが、それよりも複眼という一万個もの眼群の緑が際立っていて黄のイメージはない。



黄色10

2014-07-24 07:35:20 | 
だが画題としてスズメバチを選ぶのはどうやら難しいかもしれない。

よっぽどそこに現れた "生命力" を抽出し、メタモルフォーゼして表現しなければあまりに人間にとって恐るべく、忌まわしいこの生物は芸術の対象とするのは困難であろう。

だがスズメバチの魅力は色彩ばかりではない。



このフォルム。デザイン。
まさに "戦士" と呼ぶに相応しい。

もし創造主というモノがいたならば、かなり楽しんで造ったのではないか。

メタリックでメカニカルなその姿はトランスフォームしそうな程にみえる。

バッタをモデルにしたヒーローがいるくらいだからスズメバチをモデルに何かのキャラクターを考案しても面白いと思う。

そして以前にも少しだけ触れたが、スズメバチの名を冠したバイク "Hornet" 。



250ccでこれほど攻撃的でポテンシャルの高いバイクは無い。

現在乗っているのはCBR250だが、ホーネットと比べると余りにも優しい単車である。
燃費の良さは見事だが、単発の物足りなさばかりはいかんともしがたい。

CBR250。

私がスズメバチに魅力を感じる根元はこのバイクの影響が大きいかもしれない。



黄色9

2014-07-23 00:59:55 | 
さてー 、ずいぶん寄り道したが元に戻ろうと思う。

もし黄色を描くとしたら画題に何を選ぶだろうか、という思考の遊びである。

ふと思った。


ー スズメバチの黄色である。



虫が苦手な方にはまったく賛同を得られないだろうが、気にせず進める。

普通、生物はほとんどが周囲と擬態できるような保護色でもって身を覆う。
保護色でなくとも、目立つ様な色彩を身に付けるモノは少ない。

ところがスズメバチはどうであろう。

黄色と黒。

(黄色の補色である青によってその美しさを強調したゴッホとはずいぶん異なる。黒によって黄色は圧倒的に力強い姿を剥き出しにする。)


その強烈な配色は自らの存在を誇示し、その危険度を知らしめるかの様である。

こうしたモノを警告色と呼ぶ。

それは人間工学にも取り入れられ、踏切の遮断機や工事現場などで応用されている。

警告色を持つ生物は共通して食物連鎖における強者であるか、もしくは有毒種である。
(虎は擬態色であるらしいが、その黄色は明らかな生命力の表れといえる。)




黄色は進出色であり、黒は後退色。
この両者のコントラストはその相反する要素のせめぎ合いであり、自然界が生み出した最も強烈な配色といえよう。

(信号機に黄色が用いられるのもこの進出色、夜でも見えやすい、注意を喚起させる、といった要素による。)

黄色単体であれば、不安を軽減させたり希望や明るさと繋がるのに、赤や黒と関連させると、危険の連想になるというのはなんとも不思議で面白い。



黄色8

2014-07-22 00:05:48 | 
さて、ゴッホの絵にはやがて黄色の中に暗い未来を暗示させる様な色が混ざりはじめる。

「カラスのいる小麦畑」


ゴーギャンとの関係性の破綻を機に、彼の繊細過ぎる神経は人間社会において "正常" といわれる基準を満たすことができなくなった。

アルルでの美しき日々もつかの間に、彼はこの世で生きる事を止めた ー 。


もし ー "黄色の精" か何かがいたとしたら、きっと嘆いたであろう。



"私の力は及ばなかった。彼を救うコトができなかったー 。"

だがゴッホは答えるはずである。

" そうじゃない。そうじゃないんだ。
たしかに私はあのアルルでの時代、黄色によって確かに生きているコトを実感していた。
生きる喜びを味わっていた。

その証を私は画によってこの世に刻み、遺す事ができた。

ー たしかに私は黄色によって救われたんだ! "



こんなコトはゴッホは語り残してはいないと?

言葉ではなく、彼の絵が、芸術が語っていることである。
人生という一瞬の火花の様な現象を、この不確かな現世に刻みつけ、永遠たらしめる。

ー 普通、それを成し遂げて世を去る事の出来る人間はごく僅かである。
その意味ではゴッホという、不幸の代名詞の様なこの画家は、極めて幸福な男であったとも言えなくもない。


黄色7

2014-07-21 09:20:11 | 
ゴッホについて、軽くふれるだけで進むつもりだったが、彼の魅力が中々そうもさせてくれないのでもう少し続ける。

ローヌ川の「星降る夜」

ゴッホが黄色ばかり描いた理由に、彼がアブサンという幻覚作用を成分に持つお酒を好んだ為だという説がある。

彼はアブサン中毒で、その為に色弱となり世界がそもそも黄色く見えていたというのである。

これはしかし正しくはないだろうと思う。彼の色彩感覚をみる限りにおいて、色弱という要素は当たらない。

ゴッホが黄色を多用した理由は、やはり既に述べてきた様に、彼が黄色の持つ "力" に傾倒していた ー そう見る方が実際に近いであろう。

ただゴッホがアブサン中毒だったのは有名な話だし、事実だとも思う。
多くの人はアブサンという安酒を飲んだくれて、ゴッホは心まで壊していったと思いがちだが、これも実はまったく違う。

私は以前、1920年代のアブサンを飲んだ事がある。
もちろん幻覚作用となる成分を抜いたモノであるが、年代的にゴッホが飲んでいた頃の味に近いと思われるものである。

その美味しさはちょっと言語を絶した比類なきモノであった。
アブサンは蒸留酒であるから、ワインの様に寝かせる事で変質はしない。

従って私が飲んだアブサンオールドは当時の味そのままだったということであり、それは幻覚作用などなくても中毒性を呼び起こしかねないほどのクオリティであったと言える。

ヴィクトル オリヴァ「アブサンを飲む男」

それほどに今でもその味の記憶が鮮明に残っている。
ゴッホだけでなく、ロートレックやドガ、モネ、ピカソまで多くの芸術家がこの酒を好んだという。
美を愛する者たちに相応しい名酒であるが、これが当時の安酒であったとはなんと羨ましい時代であることか。

現代ではペルノやリカールと名を変えて販売されているが、当然比べるべくもない。

まだ世界には当時のモノが多少残っている様だが、そのうちカスクドールのマスターにお願いして仕入れて貰おうと企んでいる。これは余談。