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思考の踏み込み

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ブッダ5

2014-05-14 02:04:19 | 
カーストについて長々と触れた理由はこの思想階級を容認するインド世界の特殊性について考えるためである。

例えば30年間片足で立ち続ける行者をみて、現代人の旅行者はそれなりに衝撃を受けるだろう。

だが彼らが何を考え、何を目指してひたすらにその、一見して不毛な修行を積んでいるのか本気で考える者がどれほどいるだろうか?



それにはやはりインド世界に横たわる ー あたかもヒマラヤ山脈のように悠然と聳え立つ、真理の追求や人間の根本苦からの解放という要求があるとみる他ない。

彼らにとっての根本苦は輪廻転生にある様だが、そのヒンドゥー的思想はブッダが現れた後も解決されなかったようだ。その証拠に仏教はその母体であるインド世界ではわずかにしか普及しなかった。

仏教やジャイナ教、シク教もいわばこうした支配的なヒンドゥーの影響下への批判的な態度から出発している。
この意味で仏教などは彼の地ではいわば新興宗教であり、誤解を恐れずに言えばモダンな思想であり、それ故にその発生母体よりむしろ別な土地で開花していった理由もみえてくる。

それだけヒンドゥー教世界の強い影響力がこんにちにおいてなおインド世界を満たしているということを我々は思うべきであろう。



ただここではヒンドゥー世界の持つ内容について述べる紙数はないが、世界宗教を見回しても極めて原始宗教に近い形を有しており、それだけに真理に近い要素を多分に含んでいるように思われる。

これは原始ユダヤ教や日本の古神道、古代エジプトの宗教などと共通点がかなり多い。

ともかくもそうした特殊な精神世界を持つインドという地域が、一人のブッダ ー シャカという人物を生み出しただけでも人類の受けた恩恵は多大である。

その理由はこれから述べるが、インド世界が生んだのはシャカばかりではない。禅の開祖達磨 (bodhidharma ボーディダルマ) も南インドの人であるし、密教もヒンドゥー世界の秘術を仏教と融合したものであり、それは日本に伝わり山岳信仰と混ざることでさらに特殊な世界観を作り出した。

他にもいくらでも例はあるだろうが、インド世界は人類の文化哲学にとって
あたかも機械を生む機械、マザーマシンの様な役割りを果たしているといえるのではないだろうか。

カースト制度や支配的な輪廻転生観は強い圧縮エネルギーとなってそのマシーンの動力となっているとみることができる気がする。

ブッダ4

2014-05-13 08:38:22 | 
ずいぶん主題からは遠回りしているが、ここを省いてしまうとその本質がぼやけてしまうのでもう少し続ける。

道端で苦行するインド人。


要するにカースト制度とは我々現代人が思う様なシステムではけしてない。

当然問題がないわけではないが、一部の差別が問題であってそのシステムそのものに欠陥があるとはいえないという複雑なものであるというのが実際のところだろう。

(差別などはなくなりはしない。コアな白人世界は今だに有色人種を蔑視しているし、ことさらにインドだけを問題視するべきでない。要はカースト制と差別は必ずしも直接的な問題ではないとさえいえるのでないか、ということである。)

むしろ多種多様な民族部族を抱えるインド世界では有効に働いている部分の方が多いのではないか?

そしてなによりもインド世界には無産階層の修行者を尊重、尊敬する空気感があるという事である。
カースト制度が永きにわたって維持されて来た要因にこの部分が果たした役割は多いのではないかと想像している。
(インド社会の中に入ったことがないからあくまで想像である。一、二度インド旅行に行った程度の者でもこうした異文化の深部は外からは中々分からないものだ。)

数十年間腕を上げ続ける修行者。

ともかくもそうした群像の中に現在でもいろんな修行、苦行をしている人がいて、有名無名問わず数えきれない程の聖人がいるといわれる。

偉大なインド文化圏は数千年前からこうした雰囲気を保持しており、その影響は主として思想、哲学、医学、数学などが東西に伝播していって人類史に燦として輝いている。


そしてブッダ ー シッダールタもそうした群像の中の一人であり、仏教も従って当然、こうしたインド文化圏と共に4500年以上前から営々と続くヨガ的世界観から発祥した一つのインド世界の一形態なのである。




ブッダ3

2014-05-12 05:28:42 | 
ブッダの苦行時代を考える前に我々がまず思わなければならない事は、インドという地の特殊性だろう。




何が特殊なのか?

21世紀の現代においてなお、その地でカーストと呼ばれる一種の文化的制度が保持されていることである。

それははたからみる限り、急速な経済発展によって国際社会の仲間入りを果たそうとしている国家としてはあまりにも旧態以前としたイメージを持たれている。

実際、インド政府はそのことで頭を悩ませているようで、法律上ではカースト制度を禁止しているという態で差別はないというアピールをしている。

だがそもそもカースト制度とは我々が先入観で思っているような身分制度なのだろうか?
それが支配層の圧政による差別政策であるならば、これほど連綿と持続することなどあり得るだろうか?

イギリスの悪行であるインド植民地支配という事態には敢然と立ち上がり、独立を勝ち取った過去があるのにカーストというシステムをうち壊そうと戦った者はごく僅かである。

(ガンジーはカーストを容認した。)



なぜか ー ?

それはそもそもカースト制度という言葉からしてインド世界のものではないという事から知らなければならない。

だいたいがカーストとはポルトガル語の純血という意味の「カスタ (casta)」であり、15世紀にインドに来たポルトガル人が名付けたモノである。

従ってインドではカーストではなくヴァルナ (肌の色の意)と、ジャーティ (職業を表す) が正しい身分の分類であって、カーストとはこれらをポルトガル人が混同してとらえた名称である。

さらにそこには植民地支配を正当化させるために、カーストが悪しき蛮習であり文明世界による支配を正義の行為であると洗脳させるための罪深い事実の捏造があることに気付かねばならない。

それは今日のイスラム圏に、アメリカ型の民主主義をおせっかいにも押し付けようとする米政府を信ずる、無邪気で浅薄な一部のアメリカ人たちの構図とそっくりである。
(真実は中東の利権狙いと、中東勢力の去勢化を目論んだ計画の発端であることは言うまでもない。)


自由も民主主義も必ずしも普遍的な至上の価値観とは限らないということである。少なくとも民族、歴史文化的段階に合うか合わないかという事実は見極める必要がある。
まして他から押し付けられたもの、押し付けられた側の事情もろくに斟酌されていないものに何の価値があろうか。



ブッダ2

2014-05-11 00:45:08 | 
シャカとは彼の属した「シャカ族」の名称であり、釈迦牟尼 (Śākya-muni) の牟尼とは聖者を指す。

ゴータマ (Gotama) は最上の牛。
シッダールタ (Siddhattha) は目的を達した者。



いろいろな尊称があって、なおかつ我々が聞き馴染んでいる仏教語はサンスクリット語を漢字に音写したものであるから、ややこしい上に意味が歪んでいるものさえある。

要するに人間としての名はシッダールタであり、"ブッダ" はインド世界が彼に与えた栄光の名称である。

ここでは以後 "ブッダ" で彼の呼称を統一しようと思う。

といってもここでは仏教について語るつもりはさらさらない。

ブッダの残した教えは、現代においてもなお輝かしく生きている。それによって救われた者は数えきれないほどいるであろう。
それらは専門家がいるからそちらを訪ねればよい。

しかし、私にはブッダの教えよりも彼が "悟り" を開くに到る道のりの方が強く興味があるし、これが今回の主題でもある。

特にブッダが無益なことであるとして切り捨てたある種ヨガ的な苦行 ー 6~7年にも及ぶ ー を考えずにはブッダがブッダたり得た理由には迫れないのではないかと思う。






ブッダ

2014-05-10 08:21:05 | 
古代インド世界において "目覚めた人" と呼ばれたゴータマ・シッダールタ。



釈迦である。

彼以後の仏教世界にあって "目覚めた人 ー ブッダ (buddha) "と呼ばれるのは釈迦だけであるが、本来優れた叡智と哲学的世界が深淵な拡がりを有していたインダス文明圏にあっては、他にもブッダと呼ばれた偉大な存在がおり、ブッダとは固有名詞ではなくて人間のある到達状態を表した言葉であったとみる方が正しいようだ。

写真はガンダーラ美術における最古の仏像の一つとされる。

諸説あってその生没年ははっきりしていないが、シッダールタは紀元前7~5世紀頃、現在のネパールとインドの国境付近で生まれたとされる。

実はその実在性すら19世紀までよく分かっておらず、伝説上の存在であったが、ネパール南部ルンビニーで発見された碑文によって彼が現実にこの世に生きた "人間" であったことが証明された。



古代インド世界は偶像崇拝をしない文化圏であったこと、またシャカ自体もそれを禁じたため仏像は原始仏教が生まれて4~500年ほどは存在しなかった。

一世紀頃に入りようやくヘレニズムの文化的影響を受けたガンダーラ仏像や、北インドのマトゥラー仏像などが造られはじめる。

シャカは何人種だったかはハッキリしていない。
アーリア人系かチベットビルマ族のモンゴル系になるか。

いずれにせよ我々が馴染んでいる東アジアの仏像よりもガンダーラ仏などの方がその実際の姿に近いのではないかと思う。

マトゥラー仏像。二世紀頃。

ガンダーラ仏像はギリシア文明の影響を受けているが、このマトゥラー仏像は純インド様式といわれる。
実際のシャカに近いのはこちらの方かもしれない。

シャカが何人でどんな顔をしていたかなど考えることは、ほとんど意味のない事だが今回のテーマは、あくまでも "人間" ブッダが主題だから少しでもその実相に迫るための参考にはなるだろう。