思考の踏み込み

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ブッダ3

2014-05-12 05:28:42 | 
ブッダの苦行時代を考える前に我々がまず思わなければならない事は、インドという地の特殊性だろう。




何が特殊なのか?

21世紀の現代においてなお、その地でカーストと呼ばれる一種の文化的制度が保持されていることである。

それははたからみる限り、急速な経済発展によって国際社会の仲間入りを果たそうとしている国家としてはあまりにも旧態以前としたイメージを持たれている。

実際、インド政府はそのことで頭を悩ませているようで、法律上ではカースト制度を禁止しているという態で差別はないというアピールをしている。

だがそもそもカースト制度とは我々が先入観で思っているような身分制度なのだろうか?
それが支配層の圧政による差別政策であるならば、これほど連綿と持続することなどあり得るだろうか?

イギリスの悪行であるインド植民地支配という事態には敢然と立ち上がり、独立を勝ち取った過去があるのにカーストというシステムをうち壊そうと戦った者はごく僅かである。

(ガンジーはカーストを容認した。)



なぜか ー ?

それはそもそもカースト制度という言葉からしてインド世界のものではないという事から知らなければならない。

だいたいがカーストとはポルトガル語の純血という意味の「カスタ (casta)」であり、15世紀にインドに来たポルトガル人が名付けたモノである。

従ってインドではカーストではなくヴァルナ (肌の色の意)と、ジャーティ (職業を表す) が正しい身分の分類であって、カーストとはこれらをポルトガル人が混同してとらえた名称である。

さらにそこには植民地支配を正当化させるために、カーストが悪しき蛮習であり文明世界による支配を正義の行為であると洗脳させるための罪深い事実の捏造があることに気付かねばならない。

それは今日のイスラム圏に、アメリカ型の民主主義をおせっかいにも押し付けようとする米政府を信ずる、無邪気で浅薄な一部のアメリカ人たちの構図とそっくりである。
(真実は中東の利権狙いと、中東勢力の去勢化を目論んだ計画の発端であることは言うまでもない。)


自由も民主主義も必ずしも普遍的な至上の価値観とは限らないということである。少なくとも民族、歴史文化的段階に合うか合わないかという事実は見極める必要がある。
まして他から押し付けられたもの、押し付けられた側の事情もろくに斟酌されていないものに何の価値があろうか。



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