goo blog サービス終了のお知らせ 

思考の踏み込み

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

戦国夜話付録3

2014-04-03 09:08:39 | 歴史
再び前出、井伊直政。金色に輝く大天衝脇立が赤に映える。

信州高遠藩、内藤家伝の甲冑。直政の現代的なセンスと対照的に何か古武士の風格を漂わせている。

稲葉一鉄の次男、貞通。空間を切り裂く様なこのクワガタ前立の線の美しさが良い。(ゼンリツではなくマエダテと読みます。念のため…)


結城秀康、大飛雲前立。同じくラインが綺麗で大胆。この不運な名将の果たせぬ想いが或いは描かれたか。


大ふへん者、前田慶次。かぶき者らしくデザインのバランス感覚の良さを感じる。


その勇名は海外まで轟いたシーマンズ軍団、島津義久の兜。恐い。
一方の義久の弟歳久は古色蒼然。


伊達政宗の野望をはねつけ、寸土も寄せ付けず相馬の地を守った相馬義胤。


上杉景勝。黒雲の上の大きな日輪の前立はこの寡黙な男の何を代弁しているのか。


そろそろ秀吉。伊達政宗に与えた甲冑だが、秀吉らしい発案で軍配を持たなくてもいい様にはじめから頭に付いている。

七本槍、加藤嘉明。富士山を象ったその兜と深みのある青。沈勇の士といわれたこの男らしい。


戦国夜話付録2

2014-04-02 08:19:03 | 歴史
賤ケ岳七本槍 加藤虎之助清正を二つ。下の鎧は怖過ぎる。



石田治部少輔三成。なぜかこのデザインにとても惹かれる。


坂東太郎、鬼佐竹義重。青が美しい。前立は毛虫。毛虫はけして後退しない。

槍の又左こと前田利家。かぶき者らしい派手さ。

本多平八郎忠勝。生涯57度の合戦でかすり傷一つ追わなかった達人。名槍 蜻蛉切りとこの鹿角脇立兜は忠勝の代名詞だろう。

雷神立花道雪の養子、立花宗茂。武士の中の武士と呼ばれた柳川藩祖。
月輪と軍鶏の羽根の後立の組合せが良い。
宗茂をもう一つ。大文字形兜。
まるで何かのオブジェ。

真田幸村。鮮やかな赤備えに前立の真田六文銭が不気味に映える。ともかくも美しい。


名奉行板倉勝重。山鳥の羽根の思い切った拵えと日輪を合わせたセンスの良さ。






戦国夜話付録

2014-04-02 08:17:20 | 歴史
「戦国夜話8」で少しだけ掲載した武将達の鎧兜の紹介をせっかくなのでまとめてここでやってみようと思う。

そのデザインの奇抜さや美しさはとても殺伐とした戦場で用いられる道具とは思えないものばかりである。

まずは個人的にお気に入りのものから。



徳川四天王 酒井忠次。バランスが良い。


独眼竜 伊達政宗。 王道だがやはり美しい。

徳川家康。 戦国の覇者の風格は十分。


織田信長。 まさに魔王。


前掲だが蒲生氏郷。 何度見ても見事な意匠。


これまた前掲、上杉謙信。 雪景色の下ではこの銀色がどう見えるのだろうか。

黒頭成鋲綴鎧。戦国期に流行したモデル。政宗の三日月兜ではなく、こちらがダースベイダーのモデルだともいわれる。

甲斐の虎、武田信玄。 有名過ぎて見慣れているが、この甲冑を来た信玄の軍勢に出くわしたら生きた心地がしないだろう。そんな迫力を秘めている。


信玄麾下の幻の軍師、山本勘助。
シンプルだが良いデザイン。






戦国夜話22

2014-04-01 07:56:30 | 歴史
実質豊臣政権とは秀吉の死でレームダック化しており、秀頼の代はとても統一状態とは言えないから、秀吉の栄華は僅か八年ほどということになる。

まさに "夢のまた夢" というわけだが、これを秀吉の限界といったのは少し語弊があるかもしれない。

秀吉の限界というよりも一人の男が出来る仕事の範囲の限界というべきだろう。それほどに人の一生は短く、やれることなど少ない。

もしかしたら秀吉ほどの男のことだからそんなことは全て解っていたかもしれない。
だから最期にやけくそで大花火を打ち上げるように大陸に侵攻したのかもしれない。

例えば西郷隆盛が「知己を百年後に求めて仕事をする」といっていたりするような精神性の高さは秀吉にはないし、秀吉があまり好きでない者は、彼のこの辺りの俗っぽさやアクの強すぎる生き様がその理由なのだと思う。

だが西郷の仁者としての生き方ではとても秀吉の様な立身出世はできない。
西郷は最後まで主筋島津久光への道義的苦悩にさいなまされ、行動を制限した。

だがこれらはどちらがどうというようなものではない。
男がその生涯かけてやれることなどたかがしれたものであり、女性が命を繋げる神の仕事を担っていることと比べるとまったく儚いことである。

そんな秀吉という、働きに働いた男の下に当時の英雄豪傑どもが集められている景色 ー 集められたモノたちは内心穏やかでなかったであろう。

だがどうもこの男には敵わない、という半ば苦笑してしまう様な不思議な力が秀吉にはあった。
とはいえ秀吉が死ねばまだ世の趨勢は解らぬぞとは誰もが考えていただろう。

形の上では統一を達成しながらも、内実は戦国の火種は依然としてくすぶっている。

そんなツワモノどもが夢の残り火を ー
危ういながらも際どいところで、太閤秀吉という史上めずらかな大気者が見事に御している。

ー 日本史におけるこの長く雄渾な叙事詩の結びにはそんな一幕こそがふさわしいのではないだろうか。




戦国夜話21

2014-03-31 08:18:35 | 歴史
小田原征伐の後、秀吉は鶴岡八幡宮を訪れ、源頼朝像に語りかけたと「関八州古戦録」は伝える。
このあたり、文語の原文よりも口語訳されたものの方が秀吉の感覚が出やすいというのも秀吉という男の不思議さである。

「日本広しといえども、微賤の身から天下統一までなしとげたのはあんたとオレだけだ。
だがあんたには血筋があった。
おれはなにもなかった。
だから創業の功でいえばオレの方が上さ。」

こういって頼朝の木造をホトホトと叩き、少し政治的配慮をしたのか、あわてて「だけどあなたとオレは天下友達だね」とよくわからないことを言い、カラカラ笑いながら出て行ったという。

これは秀吉の実感だったことだろう。

最初の武家統一政権を打ち立てた源頼朝という人物と肩を並べるところまでオレは駆け上った。
そしてよくよく聞いてみればオレの方がはるかに悪条件ではないか。
驚くべきオレのエラさよ ー。

若き日の秀吉、稲葉山城を命がけで登る



そしてこの頼朝像に語りかけた頃が秀吉のピークであり、秀吉の限界でもあった。

なぜならたしかに秀吉は最底辺から自力で這い上がった男だが、その後の豊政権の寿命はあまりに短い。

頼朝が歴史的にまったく好かれないことと秀吉の人気の差もこの辺にある。
頼朝はその後の政権の安定のために冷酷なまでに政策を打ち続けた。

この政治的冷徹さと歴史上の人気の無さという意味で頼朝と家康、さらには大久保利通の三者は酷似している。
だがいずれの者も次の時代の基礎を強力に作り上げている。

秀吉ほどに聡明な男もこればかりは出来なかった。
子種がなかったということは別にしても、朝鮮出兵などしているくらいなら、自己の政権の基盤を強固にする布石を打つべきだっただろう。

(太閤検地や刀狩りなど優れた政策もうってはいるが、それらの効は朝鮮の役で消し飛んでしまっている。)