ネッタイムス・ブログ

戯れ言や与太話、何でも御座れ。

チリの火山噴火とマヤ暦の終末説

2011-06-09 17:12:54 | ニュース
南米チリ南部で4日に始まった火山噴火で稲妻も発生、大量の噴煙や石は10キロメートルの高さに達し、風に煽られた火山灰が7日、隣国アルゼンチンの広い範囲に到達、首都ブエノスアイレスの空港が一時閉鎖された。
噴火したのはチリ南部コルドンカウジェの火山で、火山灰は更に離れたパラグアイまで到達した。
専門家は噴火が数週間続く可能性があると見ている。
噴火した火山の周辺では住民4千人以上が避難。
6日には強い雨が降り、チリ当局は降り積もった火山灰が流されて土石流が発生する可能性があるとして、警戒を呼び掛けている。

このチリの噴火は「対岸の火事」ならぬ「対岸の噴火」で済む話では無く、地震大国の日本も他人事じゃないね。
東日本大震災が起きた以前から、新燃岳みたいに活動が活発化してたり、桜島も何やら怪しい雰囲気で、日本の火山も活動期に入る兆しを見せている。
日本の火山は、1929年の北海道駒ヶ岳の昭和大噴火を最後に82年もの間、火山活動は小休止しているのか、本格的な噴火が起きていない状態。
それ故に、ぼちぼち大規模な噴火が起きても不思議では無い訳だ。

終末論者に言わせると、例のマヤ文明の話になり、マヤ暦が終わる2012年12月21日から23日に人類滅亡と言うシナリオ通りに事が運んでいるらしい。
私は余り詳しく無いからアレなんだけど、マヤ暦は何故、2012年12月21日で終わっているのだろうね?。
実はマヤ暦を書く係の人が、面倒臭くなって途中で書くのを止めたとか、実は違う紙に続きを書いていたけど、そっちの方が何処かに行っちゃったとかの単純な理由だったりして(笑)。
まぁ、あれだね。2012年12月21日前後までは、マヤ暦の話で盛り上がって、何も起こらなかったと言うのが、一番ベターだわな。では。

【ネッタイムス・東坊京門・作】

宅間守の池田小事件から10年、その裏側

2011-06-09 01:46:13 | ニュース
児童8人が亡くなり、教師2人を含む15人が重軽傷を負った大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の児童殺傷事件(池田小事件)から10年を迎えた8日、追悼式典が営まれた。
式典は午前9時から、8人の名前が刻まれたモニュメントの前で始まり、在校生4人が鐘を鳴らし、保護者や遺族、教職員ら計約1400人が黙祷を捧げた。
この池田小事件とは、2001年6月8日に大阪府池田市で起こった、宅間守(犯行時37歳)死刑囚(既に死刑執行)による小学校無差別殺傷事件である。

池田小事件は、宅間守が小学生を次々に殺傷した事件なのだが、事件に絡んで何が有ったのか検証してみる。
先ずは2003年6月のニュースから抜粋。

児童8人が死亡、教師2人を含む15人が重軽傷を負った大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の児童殺傷事件で、文部科学省は5日、事件を招いた国の責任を認めて謝罪し、遺族16との間で計4億円の損害賠償に応じると発表した。
遺族には既に支給された各2500万円の災害見舞金のほか、平均5000万円の賠償金が支払われる。

以上が2003年6月のニュースで、以下は2003年11月のニュースから抜粋。

2001年6月の大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の児童殺傷事件で、重軽傷を負った児童13人の内、重傷の8人の保護者が「瀕死の怪我を負った上、事件のショックで心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされ続けているのに放置されている」として、文部科学省や学校に事件を招いた事の謝罪と慰謝料等、総額約1億円の賠償金の支払い等を求める要求書を提示した。

以上が2003年11月のニュース、以下は週刊新潮の2002年2月28日号「保護者を困惑させた池田小学校遺族の行きすぎた慰霊」とのタイトルが付いた記事で、池田小事件の遺族の慰霊活動に対して、他の保護者が迷惑している様子を記述している。

・遺族の一部が犠牲になった児童を「卒業まで何処かのクラスに所属させろ」と要求。
・遺族の一部が犠牲になった児童のクラスの担任に「犠牲者の名前を毎日点呼しろ、そして他の児童に返事させろと要求。
・制作した追悼CDなるものを全校生徒に売り付けた。

宅間守は法廷で被害者遺族を口を極めて非難していたが、もっとも痛烈だったのは「お前ら、儲かったやろ」と言う言葉だった。
確かに、今回の事件の遺族は、国から総額で4億円くらいの補償(一遺族当たり五千万円程度)を受けているから、宅間の発言は、あながち間違いとは言えない。
私が判らないのは、世の中、殺人事件で犠牲になる人は沢山いて、他の事件では国は遺族に対して一切補償等していないのに、何故この事件だけ国がこんな高額の補償をしたのか、と言う点だ。

他の犯罪では、国は遺族に補償なんかしてくれないのに、余りにも不公平ではないのか?。
宅間「おまえら、儲かったやろ」という発言には、上記のような不公平さを指摘する意味合いもあったのかもしれない。
裁判もせずに保護者側の要求を一方的に受け入れて税金使って多額の補償した上に校舎まで建て替えたのは未だに納得できない。

以上が、週刊新潮の2002年2月28日号からの抜粋。
この事件の真相はと言うか、宅間守が池田小事件を起こした動機は、宅間が宅間なりに悲憤慷慨して決起した階級闘争だったのだろう。
宅間の遣った、人を殺めると言う行為は、決して許されるものでは無いのだが、事件後の遺族や学校側のそ対応を見れば、宅間が感じた世の中の理不尽さも少しは判る気がする。
人生を語れば、長くなるので短めに書くが、人は生まれた瞬間に、その人生は決まっているのかも知れないな。では。

【ネッタイムス・東坊京門・作】