週末に京大のとある研究会で、阪本寧男氏の講演会があった。
私自身、農耕文化をテーマにしているため、氏の書物や論文は以前から
拝読してきた。とくに『雑穀のきた道』(1988年 NHKブックス)は
手放せない一冊である。
イネとムギ以外の穀物は、日本では雑穀と呼ばれている。
雑穀として蔑まれてきたアワ・ヒエ・キビなどに光をあて、
世界各地の雑穀農耕文化を丹念に研究されて来られた。
33種のイネ科穀類のなかで20種が雑穀として利用されている。
そして、とくにユーラシア大陸やアフリカ大陸で主要な穀物として
栽培されていることなどを明らかにされた。
インドやアフリカでの踏査は、これまで日本の水田やヨーロッパの
麦畑の風景しか知らない私たちに、他の穀物でもこんなにゆたかな
農耕文化が展開していることを教えていただいた。
ところで、中国新石器時代のとくに黄河流域では、
アワやキビが主要な穀物であった。後世、コムギに取って代わられるまで、
長く黄河の諸文化を支え続けてきた穀物である。
しかし、アワやキビだけで初期国家とも呼べる社会を支えたことが
イメージとして湧きにくい。理由は雑穀が副次的な穀物として
栽培されていると我々が認識していることにある。
もうひとつ。この点で中国の方々にたずねてみると、
コムギ、コウリャン、アワ、コメなど多くある穀物の一つとして
認識しているらしい。 これは、中国の方々でさえ、4000年前に主穀で
あったことを忘れているということで、 実際にこれらアワ・キビが
文化的にどれだけの力を持っているかは
中国史でも明らかにされていないのである。
氏の講演で一番印象深かったのは、
インド大陸のある集落とその前に広がるアワ畑の写真を見せながら、
「アワだけの畑がこんなにも広がっている畑と集落は、ほかに見たことがない」と
の説明であった。「一面に広がるイネやコムギ」は、当たり前の風景である。
これだけ世界を踏査してこられた氏でも、もしかしたら中国新石器時代の
黄河流域の景観をイメージするのは難しいのかもしれないのかと、驚いた。
蛇足であるが、『雑穀のきた道』はいまや入手困難である。
学生時代、書店、古本屋があると必ず入って、この本を探した。
NHKブックスがどんなにそろっていても、この本だけがなく、
ようやく岡山の古本屋で手に入れたときには感激したのを覚えている。(makiba)
私自身、農耕文化をテーマにしているため、氏の書物や論文は以前から
拝読してきた。とくに『雑穀のきた道』(1988年 NHKブックス)は
手放せない一冊である。
イネとムギ以外の穀物は、日本では雑穀と呼ばれている。
雑穀として蔑まれてきたアワ・ヒエ・キビなどに光をあて、
世界各地の雑穀農耕文化を丹念に研究されて来られた。
33種のイネ科穀類のなかで20種が雑穀として利用されている。
そして、とくにユーラシア大陸やアフリカ大陸で主要な穀物として
栽培されていることなどを明らかにされた。
インドやアフリカでの踏査は、これまで日本の水田やヨーロッパの
麦畑の風景しか知らない私たちに、他の穀物でもこんなにゆたかな
農耕文化が展開していることを教えていただいた。
ところで、中国新石器時代のとくに黄河流域では、
アワやキビが主要な穀物であった。後世、コムギに取って代わられるまで、
長く黄河の諸文化を支え続けてきた穀物である。
しかし、アワやキビだけで初期国家とも呼べる社会を支えたことが
イメージとして湧きにくい。理由は雑穀が副次的な穀物として
栽培されていると我々が認識していることにある。
もうひとつ。この点で中国の方々にたずねてみると、
コムギ、コウリャン、アワ、コメなど多くある穀物の一つとして
認識しているらしい。 これは、中国の方々でさえ、4000年前に主穀で
あったことを忘れているということで、 実際にこれらアワ・キビが
文化的にどれだけの力を持っているかは
中国史でも明らかにされていないのである。
氏の講演で一番印象深かったのは、
インド大陸のある集落とその前に広がるアワ畑の写真を見せながら、
「アワだけの畑がこんなにも広がっている畑と集落は、ほかに見たことがない」と
の説明であった。「一面に広がるイネやコムギ」は、当たり前の風景である。
これだけ世界を踏査してこられた氏でも、もしかしたら中国新石器時代の
黄河流域の景観をイメージするのは難しいのかもしれないのかと、驚いた。
蛇足であるが、『雑穀のきた道』はいまや入手困難である。
学生時代、書店、古本屋があると必ず入って、この本を探した。
NHKブックスがどんなにそろっていても、この本だけがなく、
ようやく岡山の古本屋で手に入れたときには感激したのを覚えている。(makiba)