中国考古学においても、この10年ぐらいで環境と人間の関係についても
論じられるようになってきた。
環境決定論と明記されることはないが、
これまで考古学が明らかにしてきた時代の画期や変化の要因を
環境変遷に求めようとしている。
たとえば、王星光『生態環境変遷与夏代的興起』2004などもそうだ。
文字通りの歴史論である。
環境が変化することで、これまでの社会体制や構造がそれに適応しようとして
社会自身が変化する。
しかし、その場合、大きく影響するのは、「社会」ではなく
「生業」の側面のはずである。
これまで一応安定的に確保できていた生業は、あくまでもそのときの生態環境に
適応したものである。
一度作ったその生業システムが不安定になる。
食べていけなくなると改善しようとするのは自然の理である。
環境が変わることで、生業が変わる、その次に社会が変わるということであろう。
ただし、これでわかることは、環境決定論を背景に論じられてきた史学は
あくまでも環境と人間の関係を対置的にしたものであるということである。
これに対して、景観はそれらを包括的にとらえたものであり、
なおかつ、主体者である人間からの視点で環境を観念化したものである。
この違いをもっと明確にしてもいいのかもしれない。
もう少し深く考えてもよい課題かもしれない。つづけて、ゆっくりと考えてみたい。(makiba)
論じられるようになってきた。
環境決定論と明記されることはないが、
これまで考古学が明らかにしてきた時代の画期や変化の要因を
環境変遷に求めようとしている。
たとえば、王星光『生態環境変遷与夏代的興起』2004などもそうだ。
文字通りの歴史論である。
環境が変化することで、これまでの社会体制や構造がそれに適応しようとして
社会自身が変化する。
しかし、その場合、大きく影響するのは、「社会」ではなく
「生業」の側面のはずである。
これまで一応安定的に確保できていた生業は、あくまでもそのときの生態環境に
適応したものである。
一度作ったその生業システムが不安定になる。
食べていけなくなると改善しようとするのは自然の理である。
環境が変わることで、生業が変わる、その次に社会が変わるということであろう。
ただし、これでわかることは、環境決定論を背景に論じられてきた史学は
あくまでも環境と人間の関係を対置的にしたものであるということである。
これに対して、景観はそれらを包括的にとらえたものであり、
なおかつ、主体者である人間からの視点で環境を観念化したものである。
この違いをもっと明確にしてもいいのかもしれない。
もう少し深く考えてもよい課題かもしれない。つづけて、ゆっくりと考えてみたい。(makiba)