10月最終週、Workshop on the Origins of Rice Agriculture-- The 3rd International Rice Festival of Wan-Nianへの参加報告の続きです。
鍾乳洞で疲れ果てた体を按摩でようやく癒して部屋に帰ったら、いきなりスタッフの人が訪ねてきました。翌々日のはずだった私の発表が、翌日に変わったと宣言するのです。あと1時間くらいで「翌日」になろうという時間の話です。一時たりとも油断のできない中国。パワポのデータも今すぐ渡せと迫られましたが、ラストミニッツ・Leoと異名をとる私が、準備できているはずもなし。朝食の時間まで猶予をもらい、翌朝は準備のために4時起きという過酷な状況で迎えた、ワークショップの第一日でした・・・
プログラムは次の通り;
10月28日
1. "Transitions from foragers to farmers in West and East Asia: What we know?" (Ofer Bar-Yoserf)
2. "Some questions about the current research on the origin of rice agriculture" (張 居中)
3. "Origin of rice cultivation as adaptation to wetland environment"(中村 慎一)
★ ディスカッション
4. "The features of carbonised rice from archaeological site in Hunan"(顧 海浜)
5. "Phytolith analyses on the study of rice paddy's initial stage and development"(宇田津 徹朗)
6. "Archaeological and DNA evidences to uncover the origin of Indica and Japonica rice"(盧 宝榮)
7. "Japonica rice was carried to, not from, Southeast Asia- Genetic Approach to the origin of rice cultivation"(細谷 葵、中村 郁郎、佐藤 洋一郎)
★ ディスカッション
10月29日
1. "Alternative views on the Sorori rice"(安 承模)
2. "The biginning of rice cultivation in Japan"(小畑 弘己)
3. "Archaeological advances in the study of the origins of rice agriculture"(Dorian Fuller、秦 嶺)
★ ディスカッション
初日前半は農耕起源についての理論的な討議、というコンセプトでしたが、そこでは「コメの植物としての栽培化と、人間の栽培活動は各々独立のものとして考えなくてはならない」「考古学としては人間の活動の方を重視すべきだ」等、あまり目新しいとは言えない議論の線で終始しました。植物側の栽培化過程と、人間の栽培活動は単純にリンクしないということはすでに明白なので、これらをどう関連づけて稲作文化の成立を考えるべきかが、現時点ではむしろ問題なのですが・・・
続いてデータ分析の発表数本がありましたが、初期稲作遺跡から出土するコメ遺存体に、野生型と栽培型がどれだけの割合で含まれているか、また遺跡によるそのちがい、というトピックへの興味が全体に共有されていたようです。「湿地に種を撒いていた状態と、人工的な水田での稲作を、どこで区別したらいいのか」等の質問あり。
初日の最後は、いよいよDNA関連の発表2本。奇しくもどちらも、トピックは「ジャポニカとインディカの起源」です。しかも結論は正反対。最初に発表した盧 宝榮さんは、野生イネの段階では遺伝的にジャポニカとインディカの区分はないので、栽培化された時点でその区分が生まれた、すなわち起源一元説。細谷・中村・佐藤は、野生イネ段階ですでにジャポニカとインディカの区分はある、そして各々にジャポニカ=中国、インディカ=東南アジアで栽培化したという、二元説。私はDNAの専門家ではないし、こうもはっきり対立的な発表になってすごい突っ込みとか入れられたらどうしようと、盧さんの発表の間じゅう生きた心地がしませんでした。かといって逃げる方法もないので、肝をすえて発表しました。
しかし結果は、良い感じに。参加者の大部分はDNA専門家ではないわけですが、同じDNA分析で正反対の議論を見せられたというのが却って面白かったようで、直後のディスカッションはかなり盛り上がりました。当然の話ではありますが、DNA分析のような新しい技術を使ったとしても、やはり研究の視点、解釈のあり方によって結論は変わるのだということが実感されたようです。主催者の趙 志軍さんが「他の発表もあったのだから、そろそろDNAからトピックを変えよう」と呼びかけているのに、依然としてDNA関連の質問、コメントが出続けるというありさま。考古学の研究会でDNAでここまで盛り上がったのは、あまり見たことがありません。とりあえず、発表は成功?
研究会2日目は、また少し「農耕起源」そのものを考える方向の発表が3本。農耕の起源を、「Cultivation」「Domestication」「Agriculture」の3段階に分けて考え、それぞれの段階を考古学的に見分ける方法を提示しようというDorian & 秦嶺の発表(代理人発表)に対し、「具体的に、Cultivationが何%になったらDomesticationなのだ」「社会がAgricultureの状態かどうか、どこで見分けるのだ」といったコメント多数。
私も、理論的には「Cultivation(人間が植物に手を加え始めた状態)」と「Agriculture(社会の経済基盤が植物栽培になった状態)」は区別すべきだと今まで考えていましたが、実際に考古資料のどこでどう見分けるのかと言われると、困るなぁということを実感してしまいました。稲作農耕が二次的に伝播した土地である日本でしたら、見分けは比較的簡単です。しかし、起源地である中国では? どこまでCultivationで、どこからAgriculture? Cultivationの始まりはいつ?
理論ではいくらでも説明できます。しかし問題は考古資料なのです。
理論派と自称する人間らしくもないことを言いますが、これからはもう、たとえば「人と植物が近いかかわりをもち始めた時点をcultivationと呼ぼう」などと理屈を言っていてもあまり意味がないのではないか、実際の考古資料で何がわかるのかをベースにして議論を進めた方が建設的なのではないか、と考えます。
その考古資料の一環として、今回盛り上がったから言うわけではありませんが、植物サイドの栽培化過程を知るDNA分析は、今後ますます重要になってくる気がします。しかし、遺伝学と考古学がじゅうぶんに意見を交換しながら行う本当の意味でのコラボ研究は、まだほとんど行われていません。上でも言及しましたが、「栽培化」と「栽培活動」の関連づけを考えていかなくてはならない、というのが稲作起源研究の新しいステージだとすれば、このコラボの実現は重要なカギになるのかもしれないと思います。そのためにも、科研費、取れたらいいですねぇ、makibaさん?
最終的に、色々と考えさせてもらえる研究会でした。
次回は、感動の完結編! (Leo)
鍾乳洞で疲れ果てた体を按摩でようやく癒して部屋に帰ったら、いきなりスタッフの人が訪ねてきました。翌々日のはずだった私の発表が、翌日に変わったと宣言するのです。あと1時間くらいで「翌日」になろうという時間の話です。一時たりとも油断のできない中国。パワポのデータも今すぐ渡せと迫られましたが、ラストミニッツ・Leoと異名をとる私が、準備できているはずもなし。朝食の時間まで猶予をもらい、翌朝は準備のために4時起きという過酷な状況で迎えた、ワークショップの第一日でした・・・
プログラムは次の通り;
10月28日
1. "Transitions from foragers to farmers in West and East Asia: What we know?" (Ofer Bar-Yoserf)
2. "Some questions about the current research on the origin of rice agriculture" (張 居中)
3. "Origin of rice cultivation as adaptation to wetland environment"(中村 慎一)
★ ディスカッション
4. "The features of carbonised rice from archaeological site in Hunan"(顧 海浜)
5. "Phytolith analyses on the study of rice paddy's initial stage and development"(宇田津 徹朗)
6. "Archaeological and DNA evidences to uncover the origin of Indica and Japonica rice"(盧 宝榮)
7. "Japonica rice was carried to, not from, Southeast Asia- Genetic Approach to the origin of rice cultivation"(細谷 葵、中村 郁郎、佐藤 洋一郎)
★ ディスカッション
10月29日
1. "Alternative views on the Sorori rice"(安 承模)
2. "The biginning of rice cultivation in Japan"(小畑 弘己)
3. "Archaeological advances in the study of the origins of rice agriculture"(Dorian Fuller、秦 嶺)
★ ディスカッション
初日前半は農耕起源についての理論的な討議、というコンセプトでしたが、そこでは「コメの植物としての栽培化と、人間の栽培活動は各々独立のものとして考えなくてはならない」「考古学としては人間の活動の方を重視すべきだ」等、あまり目新しいとは言えない議論の線で終始しました。植物側の栽培化過程と、人間の栽培活動は単純にリンクしないということはすでに明白なので、これらをどう関連づけて稲作文化の成立を考えるべきかが、現時点ではむしろ問題なのですが・・・
続いてデータ分析の発表数本がありましたが、初期稲作遺跡から出土するコメ遺存体に、野生型と栽培型がどれだけの割合で含まれているか、また遺跡によるそのちがい、というトピックへの興味が全体に共有されていたようです。「湿地に種を撒いていた状態と、人工的な水田での稲作を、どこで区別したらいいのか」等の質問あり。
初日の最後は、いよいよDNA関連の発表2本。奇しくもどちらも、トピックは「ジャポニカとインディカの起源」です。しかも結論は正反対。最初に発表した盧 宝榮さんは、野生イネの段階では遺伝的にジャポニカとインディカの区分はないので、栽培化された時点でその区分が生まれた、すなわち起源一元説。細谷・中村・佐藤は、野生イネ段階ですでにジャポニカとインディカの区分はある、そして各々にジャポニカ=中国、インディカ=東南アジアで栽培化したという、二元説。私はDNAの専門家ではないし、こうもはっきり対立的な発表になってすごい突っ込みとか入れられたらどうしようと、盧さんの発表の間じゅう生きた心地がしませんでした。かといって逃げる方法もないので、肝をすえて発表しました。
しかし結果は、良い感じに。参加者の大部分はDNA専門家ではないわけですが、同じDNA分析で正反対の議論を見せられたというのが却って面白かったようで、直後のディスカッションはかなり盛り上がりました。当然の話ではありますが、DNA分析のような新しい技術を使ったとしても、やはり研究の視点、解釈のあり方によって結論は変わるのだということが実感されたようです。主催者の趙 志軍さんが「他の発表もあったのだから、そろそろDNAからトピックを変えよう」と呼びかけているのに、依然としてDNA関連の質問、コメントが出続けるというありさま。考古学の研究会でDNAでここまで盛り上がったのは、あまり見たことがありません。とりあえず、発表は成功?
研究会2日目は、また少し「農耕起源」そのものを考える方向の発表が3本。農耕の起源を、「Cultivation」「Domestication」「Agriculture」の3段階に分けて考え、それぞれの段階を考古学的に見分ける方法を提示しようというDorian & 秦嶺の発表(代理人発表)に対し、「具体的に、Cultivationが何%になったらDomesticationなのだ」「社会がAgricultureの状態かどうか、どこで見分けるのだ」といったコメント多数。
私も、理論的には「Cultivation(人間が植物に手を加え始めた状態)」と「Agriculture(社会の経済基盤が植物栽培になった状態)」は区別すべきだと今まで考えていましたが、実際に考古資料のどこでどう見分けるのかと言われると、困るなぁということを実感してしまいました。稲作農耕が二次的に伝播した土地である日本でしたら、見分けは比較的簡単です。しかし、起源地である中国では? どこまでCultivationで、どこからAgriculture? Cultivationの始まりはいつ?
理論ではいくらでも説明できます。しかし問題は考古資料なのです。
理論派と自称する人間らしくもないことを言いますが、これからはもう、たとえば「人と植物が近いかかわりをもち始めた時点をcultivationと呼ぼう」などと理屈を言っていてもあまり意味がないのではないか、実際の考古資料で何がわかるのかをベースにして議論を進めた方が建設的なのではないか、と考えます。
その考古資料の一環として、今回盛り上がったから言うわけではありませんが、植物サイドの栽培化過程を知るDNA分析は、今後ますます重要になってくる気がします。しかし、遺伝学と考古学がじゅうぶんに意見を交換しながら行う本当の意味でのコラボ研究は、まだほとんど行われていません。上でも言及しましたが、「栽培化」と「栽培活動」の関連づけを考えていかなくてはならない、というのが稲作起源研究の新しいステージだとすれば、このコラボの実現は重要なカギになるのかもしれないと思います。そのためにも、科研費、取れたらいいですねぇ、makibaさん?
最終的に、色々と考えさせてもらえる研究会でした。
次回は、感動の完結編! (Leo)