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NEOMAP Web Forum

総合地球環境学研究所プロジェクト4-4「東アジアの新石器化と現代化:景観の形成史」のwebフォーラム

中国江西省・湖南省の旅 PartⅡ

2008-11-12 16:57:26 | 中国浙江WG
10月最終週、Workshop on the Origins of Rice Agriculture-- The 3rd International Rice Festival of Wan-Nianへの参加報告の続きです。

鍾乳洞で疲れ果てた体を按摩でようやく癒して部屋に帰ったら、いきなりスタッフの人が訪ねてきました。翌々日のはずだった私の発表が、翌日に変わったと宣言するのです。あと1時間くらいで「翌日」になろうという時間の話です。一時たりとも油断のできない中国。パワポのデータも今すぐ渡せと迫られましたが、ラストミニッツ・Leoと異名をとる私が、準備できているはずもなし。朝食の時間まで猶予をもらい、翌朝は準備のために4時起きという過酷な状況で迎えた、ワークショップの第一日でした・・・

プログラムは次の通り;

10月28日

1. "Transitions from foragers to farmers in West and East Asia: What we know?" (Ofer Bar-Yoserf)
2. "Some questions about the current research on the origin of rice agriculture" (張 居中)
3. "Origin of rice cultivation as adaptation to wetland environment"(中村 慎一)
★ ディスカッション

4. "The features of carbonised rice from archaeological site in Hunan"(顧 海浜)
5. "Phytolith analyses on the study of rice paddy's initial stage and development"(宇田津 徹朗)
6. "Archaeological and DNA evidences to uncover the origin of Indica and Japonica rice"(盧 宝榮)
7. "Japonica rice was carried to, not from, Southeast Asia- Genetic Approach to the origin of rice cultivation"(細谷 葵、中村 郁郎、佐藤 洋一郎)
★ ディスカッション

10月29日

1. "Alternative views on the Sorori rice"(安 承模)
2. "The biginning of rice cultivation in Japan"(小畑 弘己)
3. "Archaeological advances in the study of the origins of rice agriculture"(Dorian Fuller、秦 嶺)
★ ディスカッション

初日前半は農耕起源についての理論的な討議、というコンセプトでしたが、そこでは「コメの植物としての栽培化と、人間の栽培活動は各々独立のものとして考えなくてはならない」「考古学としては人間の活動の方を重視すべきだ」等、あまり目新しいとは言えない議論の線で終始しました。植物側の栽培化過程と、人間の栽培活動は単純にリンクしないということはすでに明白なので、これらをどう関連づけて稲作文化の成立を考えるべきかが、現時点ではむしろ問題なのですが・・・

続いてデータ分析の発表数本がありましたが、初期稲作遺跡から出土するコメ遺存体に、野生型と栽培型がどれだけの割合で含まれているか、また遺跡によるそのちがい、というトピックへの興味が全体に共有されていたようです。「湿地に種を撒いていた状態と、人工的な水田での稲作を、どこで区別したらいいのか」等の質問あり。

初日の最後は、いよいよDNA関連の発表2本。奇しくもどちらも、トピックは「ジャポニカとインディカの起源」です。しかも結論は正反対。最初に発表した盧 宝榮さんは、野生イネの段階では遺伝的にジャポニカとインディカの区分はないので、栽培化された時点でその区分が生まれた、すなわち起源一元説。細谷・中村・佐藤は、野生イネ段階ですでにジャポニカとインディカの区分はある、そして各々にジャポニカ=中国、インディカ=東南アジアで栽培化したという、二元説。私はDNAの専門家ではないし、こうもはっきり対立的な発表になってすごい突っ込みとか入れられたらどうしようと、盧さんの発表の間じゅう生きた心地がしませんでした。かといって逃げる方法もないので、肝をすえて発表しました。

しかし結果は、良い感じに。参加者の大部分はDNA専門家ではないわけですが、同じDNA分析で正反対の議論を見せられたというのが却って面白かったようで、直後のディスカッションはかなり盛り上がりました。当然の話ではありますが、DNA分析のような新しい技術を使ったとしても、やはり研究の視点、解釈のあり方によって結論は変わるのだということが実感されたようです。主催者の趙 志軍さんが「他の発表もあったのだから、そろそろDNAからトピックを変えよう」と呼びかけているのに、依然としてDNA関連の質問、コメントが出続けるというありさま。考古学の研究会でDNAでここまで盛り上がったのは、あまり見たことがありません。とりあえず、発表は成功?

研究会2日目は、また少し「農耕起源」そのものを考える方向の発表が3本。農耕の起源を、「Cultivation」「Domestication」「Agriculture」の3段階に分けて考え、それぞれの段階を考古学的に見分ける方法を提示しようというDorian & 秦嶺の発表(代理人発表)に対し、「具体的に、Cultivationが何%になったらDomesticationなのだ」「社会がAgricultureの状態かどうか、どこで見分けるのだ」といったコメント多数。

私も、理論的には「Cultivation(人間が植物に手を加え始めた状態)」と「Agriculture(社会の経済基盤が植物栽培になった状態)」は区別すべきだと今まで考えていましたが、実際に考古資料のどこでどう見分けるのかと言われると、困るなぁということを実感してしまいました。稲作農耕が二次的に伝播した土地である日本でしたら、見分けは比較的簡単です。しかし、起源地である中国では? どこまでCultivationで、どこからAgriculture? Cultivationの始まりはいつ?
理論ではいくらでも説明できます。しかし問題は考古資料なのです。

理論派と自称する人間らしくもないことを言いますが、これからはもう、たとえば「人と植物が近いかかわりをもち始めた時点をcultivationと呼ぼう」などと理屈を言っていてもあまり意味がないのではないか、実際の考古資料で何がわかるのかをベースにして議論を進めた方が建設的なのではないか、と考えます。

その考古資料の一環として、今回盛り上がったから言うわけではありませんが、植物サイドの栽培化過程を知るDNA分析は、今後ますます重要になってくる気がします。しかし、遺伝学と考古学がじゅうぶんに意見を交換しながら行う本当の意味でのコラボ研究は、まだほとんど行われていません。上でも言及しましたが、「栽培化」と「栽培活動」の関連づけを考えていかなくてはならない、というのが稲作起源研究の新しいステージだとすれば、このコラボの実現は重要なカギになるのかもしれないと思います。そのためにも、科研費、取れたらいいですねぇ、makibaさん?

最終的に、色々と考えさせてもらえる研究会でした。

次回は、感動の完結編!  (Leo)




中国江西省・湖南省の旅 PartⅠ

2008-11-04 12:56:42 | 中国浙江WG
10月27日~29日に開催された江西省万年県における「稲作の起源」ワークショップ、および湖南省のエクスカージョンに参加してまいりました。
そのご報告をしていきたいと思います。

初日の27日は、会場の万年ホテルにてまず開会式。数十名におよぶ参加者(中国、韓国、日本、アメリカ)の全員を、主催者の趙志軍さんがいちいち紹介していくというのが、何だか中国らしかったです。気の毒な趙さんは、最後の方大混乱していましたが。

そのあとはいきなり遺跡見学に突入しました。まずは野生イネの生息地を見るはずだったのが、直前になって「やはり外国人は入れない」ということになり(いつものことです)、かわりに「貢米」という「古代から作り続けられている」在来種の栽培地の見学。我々は一応政府のお客さんなので、警察の車が何台もついてきて、まるで要人になった気分です。貢米は草丈2メートルくらい、バリ島の在来種によく似ていました。買うとすごく高価なのだそうです。(でも政府のお客なので、お土産に無料で一袋いただきました。ついでにもう一つの名産、真珠のネックレスまで)

昼食をはさんで、洞窟遺跡の仙人洞の見学。14000年前の稲作の痕跡が見つかったという場所です。当時の生活を表した復元人形が並んでいるのはいいのですが、どういうわけか赤や緑の妖しいライトで照らされているため、何だかいかがわしいというか、嘘っぽく見えます。たとえ正しい復元であったとしても、嘘に見せるというこの技術。

予定の5時頃ちょうど見学が終わり、やれやれ珍しく予定通りと思っていたら、何の説明もなく他の場所に連れて行かれました。目的地は、万年神農宮とかいう鍾乳洞です。早く言えば単なる観光地です。中は見事なスケールの鍾乳洞には違いないのですが、なぜかやはり極彩色のライトで照らしまくられ、自然のもののはずなのに作り物のように見えます。途中に変な舟に乗るアトラクションもあり、ディズニーランドのジャングルクルーズ?という感じ。
自然のものを人工的(=嘘らしく)見せるというのが、中国現代ランドスケープの特徴なのでしょうか?
しかしこの鍾乳洞、脱出できるまでに延々2時間近くも歩かされました。外に出ればすっかり夜。全員へとへとに疲れて、翌日の研究会を迎えたのです…(Part Ⅱに続く)(Leo)

中国WG会議報告

2008-07-17 11:38:04 | 中国浙江WG
先週末に中国WGの会議があった。

1.第1回リーダー会議と08年度のスケジュールの報告
2.中国WGの研究テーマの検討
3.景観研究発表

2では、研究の主テーマを具体的に検討を行った。
新石器化とは、現在を構成する景観の基層が形成されたことを指し、
現代化とはその基層的景観を元にして、変化したり、
ある要素がなくなったり加わったりする変容を指している。
前者を「基層的景観の形成」、後者を「基層的景観の変容」と呼ぶことで
通史的に理解できる。重要なことは、現在を視点にしていることで、
現在景観の構成要素の由来を時間軸のなかで探し、
とくに大きな画期を新石器化及び現代化として見いだそうとすることにある。

新石器化の内容には、これまでの考古学や歴史学が解明してきた新石器時代の
時代観に沿うことが多く、とくに農耕の出現や農耕社会の成立を見ることで
基層的景観を見いだしやすい。一方、現代化は、各地域で現在の様相は
異なっており、一概に現代化のメルクマールを見いだすことはできない。
こうした点において、現代化の研究方法論は定まっていない。

もちろん、新石器化も農耕をめぐる様相に焦点を当てるだけでは演繹的過ぎる。
対象地域の基層的景観は、水田農耕をめぐる人間の活動によって形成されたことが
大まかには言えることから、仮説立てることができたのである。
しかし、農耕以外にもさまざまな要素はあるはずである。
その点を見逃さないうえでも、別の視点に立脚することにした。

各メンバの研究テーマを俯瞰すると、共通点は水をとりまく問題であることが
わかった。水辺の環境にまつわるさまざまな人間生活や文化がテーマと
なっている。こうしたことから、各メンバの研究テーマおよび対象地域の
自然環境的に特徴である「水辺」をキーワードにすることにした。
「水辺の景観変化」を主テーマにすることで、新石器化の時代のみならず、
続く時代にしても、「水辺」の環境的特徴は大きな要素として存在する。
海や運河の交易、江南文化の展開、あるいは杭州(首都)や
寧波・上海(商業的中心)の出現に代表されるような景観の変化が
あったことから、新石器化と現代化に一貫した視点となり得る。

以上から、中国WGの主テーマは「水辺の景観変化」に設定し、
そして副テーマに「新石器化:基層的景観の形成」、
「現代化:基層的景観の変容」を加えることにした。

3では2本の景観研究発表があった。
中島経夫「魚米之郷の時空的広がり-東アジア内海を隔てて-」
槙林啓介「水田・塩害・漁撈-景観考古学から見た水田化のプロセス-」

上記の発表についてはあらためて報告したい。

こうしたWGの方向性について、皆様のご意見やアドバスなど
ぜひいただきたく思っています。宜しくお願いします。(makiba)


アイルランドのジャガイモ飢饉

2008-07-09 16:30:18 | 中国浙江WG
「中国WG」のカテゴリーで出すのも何なのですが、先週いっぱい、World Archaeology Congress出席のため、アイルランドのダブリン大学に行ってきました。久しぶりに見るブリテン島の一日中どんよりした空と、独特のまずさを誇る食事と、閉まらない窓の隙間にバスタオルをはさんだり取ったりして温度調節するエコな空調(ちなみに夏ですが気温はかなり低い)とに、留学時代を懐かしく思い出しておりました。
内山リーダーとオオキさんも後半からご参加でした。

実は学会発表以外に、所属のSプロのS先生より、「19世紀アイルランドのジャガイモ飢饉について調べよ」というミッションを仰せつかっており、並行して調査していましたが、調べてみるとけっこう興味深い題材であることがわかりました。ジャガイモ飢饉は、1840年代後半に流行したジャガイモの胴枯れ病によって、ジャガイモへの依存度が相当に高かったアイルランドの人々が深刻な食糧不足に陥り、死者約100万人、海外への移住者約100万人と、人口が激減したものです。

この事件は一般に、「単一穀物に依存しすぎることの危険」を示すものと言われていますが、私が調べてみて興味深く感じたのは、「現代化」とのかかわりです。1800年代後半は、ちょうどアイルランドが現代化の途次にあった時代で、ダブリンなど都市部では、近代都市的な生活が確立しつつあったようです。都市生活は、食糧供給を他に依存します。つまり、農村から穀物を吸い上げていきます。一方で農村では、中世的な生活が継続し、年貢を取り立てる地主制度が強く機能しています。つまり、都市で必要とする穀物が「効率よく」農民から取り上げられ、彼らに残されたのはジャガイモだけ。そこに胴枯れ病ということで、逃れようのないひどい飢饉がおきたという、ある意味「現代化」のひずみが起こした事件でもあったのではないかという印象を得ました。現に、同じ病気はヨーロッパじゅうに流行したようですが、ひどい飢饉になったのは、アイルランドだけなのですね。

リッチな都市生活者は、アイルランドを支配していたイングランドにつながりの深い人々でもあります。「胴枯れ病をもたらしたのは神だが、飢饉をもたらしたのはイングランドだ」というウィットに富んだ当時の名言も見つけました。

Sプロの仕事ではありますが、NEOMAPテーマの「現代化」問題にも関連するかも、と考えたアイルランドの日々でありました。(LEO)


2007年中国「全国十大考古新発見」

2008-06-25 22:45:21 | 中国浙江WG
中国では、前年度の発掘調査成果の中から、
10遺跡ほど選んで「全国十大考古新発見」として発表している。
2007年度の発表が、国家文物局からこのほどあった。

1.河南許昌霊井旧石器遺跡
2.河南新鄭唐戸遺跡
3.浙江余杭良渚文化古城遺跡
4.湖北[土片+員]県遼瓦店子遺跡
5.河南榮陽関帝廟遺跡
6.江西靖安洲[土片+幼]東周墓葬
7.新疆巴里東黒溝遺跡
8.河南洛陽偃師東漢帝陵と洛陽[亡+こざと片]山墓群
9.新疆庫車友誼路晋十六国時期磚室墓
10.河北磁県東魏元[示片+古]墓と河南安陽固岸東魏北斉墓地

このなかで、3は昨年下半期に日本の新聞でも報道された。
約4700年前の長江下流域に展開した良渚文化では、
これまで城壁に類するものはないとされてきた。
そのため、黄河流域や長江中流域とは文化内容が異なるとされていたが、
その説を覆す重要な発見となったのである。
これ以外にも、山西地域の陶寺遺跡でも城壁とその内部構造が
明らかになりつつある。
こうしたことは、殷代以前の中国大陸の歴史像を転換する資料となるだろう。
また、面白くなりそうである。(makiba)