佐賀渡瀬では、地元の皆さんにクリーク地帯の生活について、
直接お話しを聞く機会があった。
10人の方にお集まりいただいた。
直接お話しを聞くことで、今まで気づかなかったことが多くあった。
あるいは、これまでの認識が先入観に由るものだとも知った。
熊本大学のH先生にご準備いただいた高度経済成長期以前の地図を見ると、
クリークが密な地域と粗い地域とがあることに気づく。
クリークを必要とするために、人々が整備した結果だろうと思っていた。
しかし、ちょっとしたことだが、お話を聞くことで
この認識が全く違うことを知った。
佐賀のクリークは、有明海の満ち引きが網目状に残ったものである。
つまり、人間が本格的に開発をするまでは、
一面網目状の湿地帯が広がっていたことになる。
もともと、クリークの網目は密であったのである。
地元のHさんの説明では、
クリークが粗いところは水が豊富にある地域で、
密な地域は水の確保が比較的難しいところだそうだ。
密だから水が豊富なのではなく、
ため池としての機能を保たせる目的があったのである。
逆に粗い地域は、上流からの絶え間なく流れくる水と
大河川の筑後川からの水が十分に確保できるために、
不必要なクリークを埋めていったらしい。
この地域では、水の確保よりも、排水をいかにするかが課題になる。
「佐賀平野のクリーク文化」と一括してしまっては、
こうした違いはわからないことになる。
すべては、お話をうかがったことで気づかされたことである。(makiba)
直接お話しを聞く機会があった。
10人の方にお集まりいただいた。
直接お話しを聞くことで、今まで気づかなかったことが多くあった。
あるいは、これまでの認識が先入観に由るものだとも知った。
熊本大学のH先生にご準備いただいた高度経済成長期以前の地図を見ると、
クリークが密な地域と粗い地域とがあることに気づく。
クリークを必要とするために、人々が整備した結果だろうと思っていた。
しかし、ちょっとしたことだが、お話を聞くことで
この認識が全く違うことを知った。
佐賀のクリークは、有明海の満ち引きが網目状に残ったものである。
つまり、人間が本格的に開発をするまでは、
一面網目状の湿地帯が広がっていたことになる。
もともと、クリークの網目は密であったのである。
地元のHさんの説明では、
クリークが粗いところは水が豊富にある地域で、
密な地域は水の確保が比較的難しいところだそうだ。
密だから水が豊富なのではなく、
ため池としての機能を保たせる目的があったのである。
逆に粗い地域は、上流からの絶え間なく流れくる水と
大河川の筑後川からの水が十分に確保できるために、
不必要なクリークを埋めていったらしい。
この地域では、水の確保よりも、排水をいかにするかが課題になる。
「佐賀平野のクリーク文化」と一括してしまっては、
こうした違いはわからないことになる。
すべては、お話をうかがったことで気づかされたことである。(makiba)