ネコオヤジのゆらりゆらゆら生活

これから数ヶ月のテーマは「ゆらりゆらゆら生活」です。私が興味を持っているもののまわりをゆらりゆらゆらして書いてみます。

14才のバスジャックのときにここで指摘した「自爆テロ」がまた起こった

2008-07-27 13:19:12 | 政治&社会
「勤務先社長に恥を」 スーパーで女性刺す(産経新聞) - goo ニュース

 例の14才のバスジャックが起こったとき、「犯罪を起こして親を困らせるという、超手荒な子どもたちの逆襲が始まった」と書いた。
 こういう子どもたちはまた出てくるだろうと思ったが、まさかいいおとなが警察沙汰を起こして今まで自分で築いてきたものを自分でぶち壊してまでもだれかに復讐するというのは余りないだろうと見ていた。でも、私の予想をあざ笑うように、「勤務先の社長に恥をかかせる」ために人を刺す「おとな」が出てきた。
 自分や自分の家族が社会的にどうなろうと構わないと。まさに自爆だ。
 数年前までは、異常な犯罪が起こっても、それは特異な事情が生んだ異常値、例外値だと片付けてきた。その事件で社会全体の変質を憂うというところまで考えなかった。でも最近は、同じような凶悪かつ異常な事件が余りに頻発するので、とてもとても、例外値などと楽観できず、今の社会が生んだ必然、日本の社会が壊れていっている証左、としか思えない。そのような犯罪を起こした人物を弁護する気にはなれないが、一方で社会によって生み出されたモンスターという意味で、彼らを生み出した社会全体の責任も意識すべきではないかと思う。この認識は再発防止のために社会に何ができるかと考えて初めて意味を持ってくるのだが。
 結局はコミュニケーションだと思うんだけどね。相互監視といえばみもふたもないが、周りの人を気遣いフォローしあう社会が、家庭が、職場が、学校が、30年位前までは確実にまだ健在だったと思う。昔に戻せばいいなどという単純なものではもちろんないんだが、昔の社会のいいところはどんどん取り入れていけないものか。これだけレトロブームなのに、昔の日本の社会から学ぼうという主張はなかなかやりづらいのかもしれないが。だれかこういうことをやってくれる旗振り役がいないもんかね。先日逝去された、敬愛する黒川紀章先生が20歳くらい若返って生き返ってくれればやってくれたかもしれない。先日、たまたま30年くらい前の先生の講演のテープを聞いた。「共生の思想」がテーマであったが、明治維新以降の日本の近代化を支えた大きな要因のひとつは、「共生」の発想が活きていた江戸時代のいろんな蓄積の豊かさだという主張には説得力があったし、今まさに黒川紀章先生の「共生」の考え方が大きな意味を持つような気がする。もっともっと長生きして欲しかった。政治にちょっかい出して寿命を縮めたみたいになったのが残念だった。
 ついでに言うと、黒川紀章先生の講演は区立図書館の蔵書のカセットテープをたまたま見つけて聞いた。他にも、岡本太郎とか、そうそうたる人物の30年前の講演が揃っていて、これからもいろいろ聞いてみようと思う。公立図書館の情報ソースとしての使い勝手も意外にすごい大きいなと改めて思ったのだった。


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