ネコオヤジのゆらりゆらゆら生活

これから数ヶ月のテーマは「ゆらりゆらゆら生活」です。私が興味を持っているもののまわりをゆらりゆらゆらして書いてみます。

一日も早くこの女を見つけて、ここで踏みとどまろうよ

2008-06-23 12:12:20 | 政治&社会
JR大阪駅で女性3人切られる、黒服女が関与か(読売新聞) - goo ニュース

 誰か言ってたけど、まさに市民による「辻斬り」だ。こんなのがこれから次々ででくるのか、もうニッポンの社会がどんどん危険な方向に向かう動きは止められないのだろうか・・
 この事件の対処に、日本の社会が一層危険な方にぐっと踏み込んでしまうか、ここで踏みとどまれるかがかかっているような気がする。こんなことがそこらじゅうで起こる社会になんか絶対になってほしくない。みんなで協力して、この事件を一日も早く解決して、そんな社会に向かう動きにはっきりと「ノー」の意思表示をしようよ。アキバの事件以来、ニッポンの社会を危険なものにする魑魅魍魎たちが堰を切ったように一気にうごめきだしたような恐怖をひしひしと感じる。なにか、たががはずれちゃったような感じ。ここで明確な歯止めの意思表示を社会全体としてしておかないと大変なことになりそうな気がする。こんなことをしたって、必ずすぐつかまるんだと。
 この女の画像はかなりはっきりしていて、知ってる人が見ればだれかわかるのではないか。社会の敵を見つけるのに、みんなで協力したい。警察も全力を尽くしてほしい。マスコミも協力できないか。
 それにしても恐ろしい世の中になってきた。現金を輸送するから、そこに危険が予見され、それを防止するためのコストをかける、という特定の危険への対処ではぜんぜん歯が立たない社会。いつどこででも刺し殺される可能性がある社会。不特定多数の、TPOを全く選ばない危険への対処が求められる社会。全ての電車のホームに監視カメラですか。人ごみに行く時は防護服ですか。人を見たら通り魔、辻斬りと思えですか。長い間、水と安全はタダ、って誇らしく言ってたのに、水はミネラルウォーターになって、今度は安全もいよいよタダじゃなくなった。というより、水は買えば確保できるけど、安全については100%の確保はできない社会になってきた。このまま、なすすべもなくずるずるいくしかないんだろうか。

ムーミンカフェのおいしいパンの食べ放題

2008-06-18 14:04:41 | グルメ&スポット
 連日アキバの話題だったが、今日は気分を変えておいしいパンの話。
 パンに対しての強いこだわりをもっていて、おいしいパン屋さん情報には目がないのだけど、後楽園のラクーアにある「ムーミンベーカリー&カフェ」のパンがおいしいと聞いていたので、近くに行ったついでにランチを食べた。
 ランチセットが何種類かあり、それを頼むとパンが食べ放題だったので、早速セットメニューから一つ選んで、あとは一角のテーブルに並べてあるパンをセルフで取りに行ったのだが、10種類くらい置いてあるパンが焼き立てでみんなそこそこおいしく、調子に乗って3回くらい取りに行っていっぱい食べて、少々気持ち悪くなった。
 平日のランチタイムでそこそこお客さんが入っていたのだが、私以外のお客さんは全員が若い女性で、小さい子どもを連れているお母さんもいた。みんなラクーアに風呂に入りに来た人たちなんだろうか。
 この店はムーミンをテーマにしていて、そのつながりからかフィンランドのパン名人にパン作りを教えてもらって、かなりこだわっているという話を聞いたことがあったが、私は結構満足した。あくまで個人的な好みでしかないのだが、パンの味にはこだわりがあり、自分の好みをしっかり持っている。つまり、いろんな要素の適度なミックスを重視したい。固さ、歯ごたえ、しっとり感、もっちり感、風味、を全て適度に備えていてほしい。やたらもちもちしていたり、やたらべたべたしていたり、はノーサンキュー。結構有名な店のパンでもこういうパンが出てくることがあって驚くことも少なくない。でも、この店のパンは、この点をクリアしていておいしいと思った。またランチ食べに行こうっと。いろんなムーミンのキャラクターグッズも置いていて、楽しい店だ。
 ちなみに、他でおいしいなと思うパンは、PAULとか、新橋の第一ホテルの1階のショップとか、シェリュイとかかな。ローソンのアーモンドクロワッサンがおいしいってちょっと前に書いたけど。
 このムーミンカフェは首都圏ではららぽーと横浜にもあって、そこにはプラネタリウムがあるそうなのど、ちょっと遠いが一度行ってみたいと思っている。記念日とかにメッセージを投影してくれると聞いたことがあったが、これは要確認。

すばやい連携が機能してれば、アキバの事件も防げたということか

2008-06-15 13:45:03 | 政治&社会
「駅で大量殺人」書き込んだ少女を特定 福岡県警(朝日新聞) - goo ニュース

 この事件も、大阪の大学生もそうだけど、「アキバの男」予備軍とは言わないでも、暮らしへの不満から来る、社会に対する敵意がニッポンの社会をどす黒い霧のように覆っているということなんだね。恐ろしい。
 今回の書き込みはいたずらというには余りに重大だ。「厳重注意」くらいで済まして欲しくない気もする。早く解決してよかったけど、関係者がその気になってがんばればできちゃうということなんだったら、アキバの事件だって、その気になれば事前に止められたのか?という風に考えれば、被害に合った方々の無念さが一層募るだろう。
 これからの凶悪事件の多くはネットやケータイが重要な役割を担ってしまうのだろう。そしてその多くは、社会が初めて経験する「想定外」のものだろう。だから、認めたくはないけれど、何か重大なことが起こってから予防策を考えるという風にならざるを得ない面もあるのではないか。社会が大きく変っていく時の犯罪との向き合い方としてはやむをえないのかもしれない。
 だからこそよけいに、今回のアキバの事件をういろんな角度から分析して、再発を防ぐための施策を社会全体が考えるべきだ。有害情報に対する対処の方法、書き込み者の特定といった技術的な問題もさることながら、社会を覆う「無差別な敵意」自体を緩和するコミュニケーションインフラの再構築も必要だ。結局はコミュニケーションだ、と思うんですよ。オゾン層がなくなってきてそれまでオゾン層がブロックしてくれていた害悪が地球に及んでいるように、「コミュニケーション」というオゾン層が社会になくなってきて、「コミュニケーション」を通ることで無害化されてきた脅威がそのままストレートに社会につくささるようになってきた、そういうことなんだと思う。

今回の事件でアキバが、「よくわけのわからない、コワい若者が集う街」というイメージがついたね

2008-06-13 11:28:23 | 政治&社会
絶望映す身勝手な「テロ」 秋葉原事件で東浩紀氏寄稿(朝日新聞) - goo ニュース

 ニッポンの社会の中で、ここ数年のアキバの位置づけの変化は著しく、こんなに認識が急に変わっちゃった街も珍しいんじゃないか。つまり、社会、とくに旧世代のオトナたちにとってアキバはすでに、「なんだかよくわけのわからない若者文化の聖地」みたいな位置付けを獲得しつつあって、その「なんだかよくわけのわからない若者文化」には「アニメ・ゲーム文化」、「パソコン・ネットオタク文化」、「メイドカフェ」といったものがごちゃまぜになって認識されている。なんだかいろんな種類の、よくわからん若者がごちゃごちゃ集まる街だろ、みたいな感じだね。
 そういう意味では、今までも、正体がよくわからないという意味での不気味さ、距離感のようなものを「アキバ」に抱く人も多かったのではないかと思うのだが、そこに、今回の事件で決定的な形容詞が加わったの。つまりよくわからなくてしかも「コワい」、「アブナい」若者が集まる街、というイメージが付いちゃったと思う。うちの家内ですら「もうアキバには行かない」なんて行ってる。言い換えれば、社会がなんとなく漠然と若者全体に感じる、コワさ、不気味さ、不可解さのようなイメージが集中的に投影される街になったのではないか。こういうイメージポジションを持った街は他に思いつかない。
 アキバの商店会の方々がアキバのイメージの低下を大変気にしておられるとのことだが、それはとってもよくわかる。この負のイメージに引きづられた連鎖反応による事件がまたアキバで起こる、なんてことにならないように望みたい。

 もう一つ言いたかった事。亡くなられた方のご冥福を祈るのはもちろんだ。いくら悼んでも悼みきれない。でも一命を取り留められた方々のことが忘れられてないか?負傷された方々のこれから長く付き合わねばならない苦悩はいかばかりか。後遺症に悩む方もおられるだろうし、なにより精神的なショックの深さは想像もつかない。社会全体でフォローする体制を用意してあげられなければ、負傷者の方々はほんとにあほらしくて悔しくてやってられないよ。

秋葉原事件、またまた「幼稚さ」と「残虐さ」の共存か。

2008-06-12 10:43:21 | 政治&社会
「書き込み、誰も見てくれない」 加藤容疑者、孤立供述(朝日新聞) - goo ニュース

 こういう従来のニッポンの常識ではとても考えられない事件が起こるたびに、犯人の幼稚さと残虐さの共存が指摘されることが多いような気がする。
 事前にケータイに犯行予告をしていたと聞いたとき、なんとなくピンと来たのが、「彼は誰かにとめてほしかったのではないか?」という思いだったが、その時にはまだ彼のキャラもよくわからず、「ここまで非人間的なことができちゃう男にそんなヤワなところはもう残ってないんだろう」って思い直したのだった。でも、やっぱりそうだったんだ。遠き昔、幼児のころ、みんなの関心を引こうとしてわざと「こんな悪いことしちゃうぞー」って言いまわっている子どもがいたことを今でも覚えているが、心理構造としては、全く同じじゃないか。
 幼稚な心と冷酷な殺人鬼の共存。これが、今われわれの社会が直面している脅威なんだということに気付かされ、慄然たる思いだ。
 結局彼には、「秋葉原でホコテンに突っ込みたいんですけど、やっぱ、まずいすすよね」なんて冗談めかして相談して、「バカなこと言って、随分ストレスたまってんな、一緒に飲みにいこうよ。」ってなる、そんな先輩も、友人も、カノジョも、誰ひとりいなかったんだね。リアルにも、サイバーにおいても。
 自殺をしようとしてる人を思いとどまらせる「いのちの電話」というのがあるそうだが、まさかこれから殺人をしようとしてる人を思いとどまらせる電話の開設、ってわけには行かないが、そういう機能がなにか作れないんだろうか?
 結局、問題の所在は、社会のいろんなコミュニケーションインフラが片っ端からこなごなになちゃってる、これに尽きるんだね。社会を守りたかったら、一人ひとりが、コミュニケーションの復活と充実に意識的に取り組んでゆくことが最も有効な自衛策なんじゃないだろうか。

秋葉原の献花台の前で手を合わせてたら、無念さがこみ上げてきた

2008-06-11 14:07:25 | 政治&社会
 昨日の夜、近くに行ったので、秋葉原の通り魔事件の犠牲者の方々のための献花台に手を合わせに行った。
 何人かの人々に混ざって、手を合わせていると、犠牲になった方々の無念さがこみ上げてきた。なんでこんな理不尽なことが起こるわけ?あんたに私たちがなにしたっていうの?今までコツコツ一生懸命やってきたのに、何でそれをあんたに一瞬でぶち壊されなきゃいけないの?ほんと、かんべんしてよ!!あんまりでしょ!!
こんな思いが頭の中をぐるぐる回りだして、目を閉じて手を合わせたままの状態がしばらく続き、涙は流れてくるし、すごいことになってしまった。余りに長く手を合わせていたためか、立ち去ろうとしたら記者らしい人物に呼び止められ、「関係者の方ですか?」なんて言われてしまった。
 今思い出しても、やっぱり同じ気持ちになる。なんで犠牲者の方々がこんなアホらしい目にあわなきゃいけないの。その無念さはいかばかりか。自殺の是非についての考えをここで話すつもりはないけれど、人生に絶望して、自己責任で自分の命を絶つ、という枠組みではすまない社会への脅威が今回の事件には明確にある。意図的な、社会への復讐だもんね。でも見ず知らずの若者にいきなり問答無用で「復讐」されて無惨に殺された方々は、ほんとにたまったもんじゃない。
 犯人への憎しみなんて通り越しちゃって、恐ろしい世の中になってきたという絶望感を抑えきれない。こういう事件が起こるたびにここに書いてきたが、社会にとって危険なことを、社会のどこかで事が起こる前に止める機能が、ほんとになくなっちゃってるんだね。
自分で身を守ろうにも、今回のケースなんて、全くなすすべなかったもんね。繁華街に行くのひかえましょう、なんていう話にもなりかねない。これがあの安全な日本なんでしょうか。最近の事件は、小説や映画よりも恐ろしいことが平気で起こる。世界もびっくりしてるだろう。
 犯人がケータイの掲示板に刻々と実況中継し、犯行の予告も具体的にしていたというのも、暗澹たる気持ちになる。社会への復讐が自己顕示欲と結びついて、その具現化をIT環境がいとも容易に実現してしまう。これからの凶悪事件には、必ずネットやケータイがどこかで関与してくるんだろうね。だからネットやケータイが有害なんだ、というよりは、とにかく社会の隅々にまでネットやケータイがいきわたって、いい事も悪い事も社会の営みのあらゆる局面にネットやケータイが関わってくる、そういう社会にいよいよなったということなんだろう。
 こういう流れにわれわれは何も手を打てないのだろうか?日本の社会がどんどん恐ろしくなっていくのに、ただやられっぱなしなんだろうか?ただ刃物を規制するとか、そんなことじゃないだろう。根本のところをみんなで一緒に考えていかないとやばいでしょ。ここでわれわれ一人ひとりがちょっとは危機感をもって「何かできないか」って動き出さないと、今回の犠牲者の方々に、本当に申し訳ないと思う。
 考える事がいろいろあって、うまくまとまらないが、取りあえずこのへんで。

モナ、キャスター復帰だって、次はどんなスキャンダラスなネタが飛び出すか楽しみ。

2008-06-10 11:28:13 | 芸能人&有名人
山本モナ、フジ系新番組でキャスター復帰!(サンケイスポーツ) - goo ニュース

 前回の降板事件の時も、このブログにいろいろ書いたことを思い出した。その時からもう1年9ヶ月ですか。今や彼女はバラエティには欠かせない存在としてポジションを築いたけど、やはりキャスターになりたいという志が捨てられなかったということで、それを実現するチャンスがめぐってきたことを心から祝福したい。
 ただ、彼女に対する悪意は全くなしに言うのだけれど、しっかり差別化しないと生きていけないシビアな芸能界にあって、彼女が存在感を発揮できるキャラは「まっとうなキャスター」ではないと思う。スキャンダラスで、危なっかしくて、でも本人はいたってマジで、それがまたおもしろい、と言うのが彼女がつかんだポジションではないか。あのキス事件がなければ今の売れっ子の彼女は存在してなかっただろう。彼女の報道に対する情熱には大いに敬意を表するが、例のスキャンダルで一気に開花した「天然スキャンダラス」みたいな彼女のキャラが報道キャスターとうまく合うのか、よくわからない。
 フジも随分思い切ったキャスティングをするもんだね。「スキャンダル絶対NG」みたいな契約条件も入ってるんじゃないの。でも、しばらくは彼女も気をつけるだろうか、「天然スキャンダラス」なのは彼女の自然なキャラなんだから、そのうちそれがまた表に出ると考えて間違いないだろう。マスコミのマークも半端じゃないと思うよ。前回の議員センセイみたいにスキャンダラスNGの有名人は彼女に近寄らない方が身のためだろう。でも、話題づくりのためにわざと彼女に近づく男もいたりしてね。
 惚れっぽいとか、男女関係にオープンだとか、今ほど売れる前に彼女のキャラについていろいろ書いてあったけど、要するに日本人離れした天真爛漫さなんでしょ。それはそれですごくチャーミングだと思うのに、キャスターという商売のためにその天然キャラに無理に枠がはめられるなんてことになったらちょっとかわいそうな気もする。でも、今度はどんなネタが飛び出すだろうっていう野次馬根性も抑えられない。
 そうは言いつつも、彼女が今回のチャンスを見事に活かして、「スキャンダラスだけど、それが魅力の、信頼できるキャスター」という今までになかった新しいポジションを築けることを心から祈っている。Good Luck!