北京五輪の陸上男子短距離で3冠に輝いたウサイン・ボルト(ジャマイカ)が17日、英マンチェスターの市街地で行われた路上での150メートルレースに参加し、14秒35の「世界新記録」で優勝した。
レースは特設の直線トラックで行われ、決勝は4人が出走。雨上がりだったが、ボルトは好スタートで飛び出し、力強くストライドを伸ばしてゴールした。国際陸連公式サイトによると、特殊な150メートルの従来の最高記録は1983年にピエトロ・メンネア(イタリア)がマークした14秒8で、ボルトはこれを大幅に更新。残り100メートルは8秒72で走った計測となる驚異的なタイムだった。
ボルトは4月末に母国での自動車事故でけがをして以来、初レース。英BBC放送のインタビューで「まだベストではないが、今季最初の大きなレースで、けがなく、いいタイムで走れてよかった」と話し、「(自分の世界)記録に、もう一つ加えてもいいだろ?」と笑顔を見せていた。
〔2009年5月17日の時事通信より〕
☆これがボルト様の走りだ!
それにしても、ボルトは交通事故で怪我をして間もないのに、よくもこんなレースに挑んだものですね(苦笑)。ボルトは寒いところが大の苦手なので、雨上がりの悪いコンディションでしたけど、あまり影響は無かったみたいです。ボルトは身長196cm、体重86kgの巨体なので、スタートがあまり得意ではないです。200mが得意なので、距離がある程度長い方が向いています。なので、150mの走りは興味がありました。まあ、路上に設置した直送路の特設コースなので、国際陸連が公認する世界新記録にはならないとは思いますが・・・。ちなみに、ボルトはレースの2日前には、マンチェスターUを訪問して、クリスティアーノ・ロナウドに走りについて得意げに教示したそうです。まさか、あの“人類最速の欽ちゃん走り”(by刈屋富士雄・NHKアナウンサー)を教えたりして(笑)。
驚異的なタイムとはいえ、残りの100mを8秒72で走ったのは、加速した状態で走っていたからでしょう。ちなみに、従来の150m走の世界記録保持者だったピエトロ・メンネアは、1970年代後半から1980年代前半にかけて活躍した、200mを得意としていた選手で、モスクワ五輪の200mの優勝者です。メンネアが1979年のユニバーシアード・メキシコ大会の200mで出した19秒72は、マイケル・ジョンソンがアトランタ五輪で世界記録を更新するまで、17年間も破られませんでした(ただし、海抜2000m以上の高地・メキシコで出した記録ですが・・・)。ただ、今回の「路上150m走」は、一緒に走った選手が誰なのか不明だったので、ちょっと興味が殺がれました。150mという中途半端な距離なので、100mと200mの双方のスペシャリストと戦わせたら面白いので、アサファ・パウエルやタイソン・ゲイあたりと戦わせたら、世界中の注目を集めたと思います。
そういえば、かつて12年前にも似たようなレースがあったのを覚えてます。1997年5月31日にカナダ・トロントのスカイドームで行われた「世界最速決定戦」と銘打たれたレースです。やはり距離は150mでした(なお、このレースは曲走路です)。前年のアトランタ五輪100mで9秒84の世界記録(当時)を出して優勝したドノバン・ベイリーと、同五輪の200mで19秒32という驚異的な世界記録(当時)を叩き出して優勝したマイケル・ジョンソンの一騎打ちの戦いでした。ジョンソンの200mの世界記録を単純に半分に割ったタイムが、あまりにも凄かったので、ベイリーと戦わせれば面白いと思われたので、企画されたと思います。ただ、両者とも自分の得意分野で戦いたかったので折り合いが合わず、結局お互いの間をとって、150mと中途半端な距離に落ち着きました。
たしか日本でも、早朝にテレビ朝日で放送していたと思います。私も早起きして、怖いもの見たさで眠い目を擦ってテレビを見た記憶があります。ただ、このレースが「世紀の一戦」ではなく「世紀の凡戦」だったのは、ハッキリと覚えています。というのも、コーナーを過ぎたあたりで、ジョンソンが左脚を故障したとして途中棄権したからです。100mが本職のベイリーがスタートダッシュに成功して、ジョンソンは形勢不利になったので、怪我を理由に棄権した噂すらありました。しかも、ベイリーがジョンソンの異変に気づいて、後ろを振り返ったりしたので、タイムが15秒00と平凡に終わりました。非常に後味が悪く、早起きしてとても損した気分になったのを覚えてます。あの後味の悪さを例えるなら、1976年6月26日に日本武道館で、モハメド・アリとアントニオ猪木が戦った「格闘技世界一決定戦」のような感じです。そういえば、この一戦もテレビ朝日(当時はNETテレビ)が放送してましたね(笑)。
☆こっちは世紀の凡戦(MJよ、睡眠時間を返せ!(冗談です))
ボルトは、次は一体何を挑戦するのかとても楽しみです。短距離走で最も長い400mを走らせたら、更に面白そうな気がします。長い距離が得意なだけに、短距離走で全て世界新記録樹立も、夢ではないような気もします。まあ、ボルトは路上で走る速さも世界一なのを証明しましたけど、路上で歩くのは大阪人の方が速いでしょうね(笑)。
レースは特設の直線トラックで行われ、決勝は4人が出走。雨上がりだったが、ボルトは好スタートで飛び出し、力強くストライドを伸ばしてゴールした。国際陸連公式サイトによると、特殊な150メートルの従来の最高記録は1983年にピエトロ・メンネア(イタリア)がマークした14秒8で、ボルトはこれを大幅に更新。残り100メートルは8秒72で走った計測となる驚異的なタイムだった。
ボルトは4月末に母国での自動車事故でけがをして以来、初レース。英BBC放送のインタビューで「まだベストではないが、今季最初の大きなレースで、けがなく、いいタイムで走れてよかった」と話し、「(自分の世界)記録に、もう一つ加えてもいいだろ?」と笑顔を見せていた。
〔2009年5月17日の時事通信より〕
☆これがボルト様の走りだ!
それにしても、ボルトは交通事故で怪我をして間もないのに、よくもこんなレースに挑んだものですね(苦笑)。ボルトは寒いところが大の苦手なので、雨上がりの悪いコンディションでしたけど、あまり影響は無かったみたいです。ボルトは身長196cm、体重86kgの巨体なので、スタートがあまり得意ではないです。200mが得意なので、距離がある程度長い方が向いています。なので、150mの走りは興味がありました。まあ、路上に設置した直送路の特設コースなので、国際陸連が公認する世界新記録にはならないとは思いますが・・・。ちなみに、ボルトはレースの2日前には、マンチェスターUを訪問して、クリスティアーノ・ロナウドに走りについて得意げに教示したそうです。まさか、あの“人類最速の欽ちゃん走り”(by刈屋富士雄・NHKアナウンサー)を教えたりして(笑)。
驚異的なタイムとはいえ、残りの100mを8秒72で走ったのは、加速した状態で走っていたからでしょう。ちなみに、従来の150m走の世界記録保持者だったピエトロ・メンネアは、1970年代後半から1980年代前半にかけて活躍した、200mを得意としていた選手で、モスクワ五輪の200mの優勝者です。メンネアが1979年のユニバーシアード・メキシコ大会の200mで出した19秒72は、マイケル・ジョンソンがアトランタ五輪で世界記録を更新するまで、17年間も破られませんでした(ただし、海抜2000m以上の高地・メキシコで出した記録ですが・・・)。ただ、今回の「路上150m走」は、一緒に走った選手が誰なのか不明だったので、ちょっと興味が殺がれました。150mという中途半端な距離なので、100mと200mの双方のスペシャリストと戦わせたら面白いので、アサファ・パウエルやタイソン・ゲイあたりと戦わせたら、世界中の注目を集めたと思います。
そういえば、かつて12年前にも似たようなレースがあったのを覚えてます。1997年5月31日にカナダ・トロントのスカイドームで行われた「世界最速決定戦」と銘打たれたレースです。やはり距離は150mでした(なお、このレースは曲走路です)。前年のアトランタ五輪100mで9秒84の世界記録(当時)を出して優勝したドノバン・ベイリーと、同五輪の200mで19秒32という驚異的な世界記録(当時)を叩き出して優勝したマイケル・ジョンソンの一騎打ちの戦いでした。ジョンソンの200mの世界記録を単純に半分に割ったタイムが、あまりにも凄かったので、ベイリーと戦わせれば面白いと思われたので、企画されたと思います。ただ、両者とも自分の得意分野で戦いたかったので折り合いが合わず、結局お互いの間をとって、150mと中途半端な距離に落ち着きました。
たしか日本でも、早朝にテレビ朝日で放送していたと思います。私も早起きして、怖いもの見たさで眠い目を擦ってテレビを見た記憶があります。ただ、このレースが「世紀の一戦」ではなく「世紀の凡戦」だったのは、ハッキリと覚えています。というのも、コーナーを過ぎたあたりで、ジョンソンが左脚を故障したとして途中棄権したからです。100mが本職のベイリーがスタートダッシュに成功して、ジョンソンは形勢不利になったので、怪我を理由に棄権した噂すらありました。しかも、ベイリーがジョンソンの異変に気づいて、後ろを振り返ったりしたので、タイムが15秒00と平凡に終わりました。非常に後味が悪く、早起きしてとても損した気分になったのを覚えてます。あの後味の悪さを例えるなら、1976年6月26日に日本武道館で、モハメド・アリとアントニオ猪木が戦った「格闘技世界一決定戦」のような感じです。そういえば、この一戦もテレビ朝日(当時はNETテレビ)が放送してましたね(笑)。
☆こっちは世紀の凡戦(MJよ、睡眠時間を返せ!(冗談です))
ボルトは、次は一体何を挑戦するのかとても楽しみです。短距離走で最も長い400mを走らせたら、更に面白そうな気がします。長い距離が得意なだけに、短距離走で全て世界新記録樹立も、夢ではないような気もします。まあ、ボルトは路上で走る速さも世界一なのを証明しましたけど、路上で歩くのは大阪人の方が速いでしょうね(笑)。