◆サッカー・第13回FIFAワールドカップメキシコ大会
(1986年6月18日 @メキシコ・ケレタロ/エスタディオ・ラ・コレヒドーラ)
・決勝トーナメント1回戦
スペイン 5(1-1)1 デンマーク
得点者:スペイン)43分&56分&80分&88分 エミリオ・ブトラゲーニョ、68分 アンドニ・ゴイコエチェア・オラスコアガ
デンマーク)33分 イェスパー・オルセン
2016年夏季五輪の開催地決定が、いよいよ来週の金曜日の10月2日に決定します。東京をはじめ、シカゴ、リオデジャネイロ、マドリードの4都市が招致に名乗りを上げてます。現状ではリオデジャネイロが有力と報道されてますが、どの都市も一長一短であり、予想は全く難しいところです。果たしてジャック・ロゲ国際オリンピック委員会(IOC)会長は、どの都市の名前を読み上げるのでしょうか?ちなみに、この五輪招致選挙はデンマークの首都のコペンハーゲンで行われます。今回は、今から23年前に、メキシコの地で破壊的な攻撃力で快進撃を見せたデンマークのサッカー代表チームにまつわる話をしたいと思います。
* * * * *
私が生まれて初めて見たW杯は、中学1年の時に見た1986年のメキシコW杯です。この頃の日本は、全ての世代の世界大会のアジア予選で負け続けた時代でしたので、日本代表がW杯で戦う姿なんて夢のまた夢の時代でした。それどころか、アジアの頂点に立つ事すら全く想像できませんでした。せいぜい、日本がW杯で戦えるのは、漫画の「キャプテン翼」でしかあり得ない時代でした。それだけに、日本はW杯とは完全に無縁だったので、テレビの向こう側の別世界のようにも感じました。中学生の時に初めて見たメキシコW杯は、クラスや友達の間でも結構話題になってたので、よく覚えています。夢中になってみたせいなのか、友達と試合の賭けをしょっちゅうやってました(笑)。賭けといっても、しょせん中学生なので小遣いなんてたくさん持ってないから、部活の帰りに駄菓子屋で売ってた1個50円のアイスでしたけどね。ちなみに、1本100円のジュースは中学生の私にとってはかなりの高級品でした(笑)。
初めて見たこのメキシコW杯では、忘れらないチームが2つあります。私が最も印象に残っているのは、圧倒的な強さで優勝したアルゼンチンです。このチームに関しては世間で語り尽くされているので、今更ここで多くを語る必要は無いでしょう。ただ、この大会のアルゼンチン代表は、司令塔のディエゴ・マラドーナを擁しているので、一見すると華麗なる攻撃的なチームのように思えますけど、実際はカルロス・ビラルド監督の指揮の下、かなり守備を重視したチームでした。ビラルド監督が率いたこのチームの本性が露になるのは、次回のイタリアW杯です。マラドーナの不調もありましたが、前回優勝国でありながら横綱相撲どころか、それこそは最初からPK戦狙いの極端に守備的な戦い方だったので、失望感を覚えた世界中のサッカーファンから多くの批判を集めました。なので、このメキシコW杯を制したアルゼンチンは二面性を秘めたチームだったのかもしれません。
そして、もうひとつ印象に残っているチームがデンマーク代表です。ドイツ人のゼップ・ピオンテク監督が率いるデンマークはメキシコW杯の2年前の欧州選手権では、予選でイングランドを倒してフランスで開催された本大会に初出場を果たします。また、守備の重鎮モアテン・オルセン、左ウイングのイェスパー・オルセン、中盤の柱のセーレン・レアビーとフランク・アルネセン、当時欧州最高の破壊力を持ったミカエル・ラウドルップ(のちにヴィッセル神戸に移籍、弟がブライアン・ラウドルップ)とプレベン・エルケア・ラールセンのFWコンビといった欧州のトップクラブで活躍する錚々たる顔触れの選手達を擁し、3-5-2という当時斬新なシステムを駆使して、本大会でも準決勝に進出しました。決して、大国とはいえないデンマークでしたが、その破壊的な攻撃重視のスタイルから、チームは〝ダニッシュ・ダイナマイト〟の愛称で熱烈な支持を受けました。
デンマークはメキシコW杯の予選を勝ち抜いて本大会に進出を果たします。意外にも、デンマークはW杯出場はこれが初めてでした。しかも、本大会の抽選の結果、1次リーグでは西ドイツ、ウルグアイ、スコットランドと同じE組に入りました。この組は、アジアとアフリカの弱小国が入っておらず、しかも過去に2度のW杯優勝経験のある西ドイツとウルグアイを同居する、文字通りの「死の組」でした。デンマークも初出場のわりには前評判が高かったとはいえ、若葉マークの初心者が簡単に勝ちあがるのは難しいと思われました。だが、デンマークは初戦のスコットランド戦では、試合の前半こそ押され気味でしたが、後半に自慢の攻撃力を発揮します。ラールセンが後半に決勝点を挙げて、古豪の追撃を振り切って、見事に1-0で初陣を飾りました。
☆W杯デビュー戦となったスコットランド戦
(1986年6月4日 @メキシコ・ネサワルコヨトル/エスタディオ・ネサ86)
そして、〝ダニッシュ・ダイナマイト〟の真骨頂となったのが、2戦目のウルグアイ戦です。破壊的な攻撃力を遺憾なく発揮したデンマークは、ウルグアイを相手になんと6-1で木っ端微塵に粉砕します。試合開始わずか10分で、ラウドルップからのパスを受けたラールセンが先制。その後、ウルグアイが退場処分を受けて1人少なくなりましたが、左サイドハーフのレアビーはハーフライン手前から独走して追加点上げます。デンマークは後半に入っても出し惜しみせずに戦い抜き、ついには現役の南米王者を相手に6点もの大量得点を挙げました。さらに、3戦目では、前回準優勝国の西ドイツも2-0で破り、1次リーグを9得点1失点で3戦全勝と、堂々と1位通過を果たしました。
☆衝撃的な圧勝となったウルグアイ戦
(1986年6月8日 @メキシコ・ネサワルコヨトル/エスタディオ・ネサ86)
☆前回準優勝国の西ドイツにも勝利
(1986年6月13日 @メキシコ・ケレタロ/エスタディオ・ラ・コレヒドーラ)
1次リーグ終了の時点では、初戦のハンガリーに6-0で圧勝して強豪フランスを出し抜いて1位通過したソ連とともにデンマークはとても高い評価を受けました。思いがけない躍進によって、代表チームだけでなく、デンマーク国民のテンションも最高潮に達します。ひょっとしたら優勝するのでは?とはやる気持ちに駆り立てるメディアもあったほどでした。しかし、これが彼らにとって落とし穴となります。W杯の優勝常連国、もしくは優勝を狙う国だったら、たとえ1次リーグで勝ったぐらいでバカ騒ぎする事は、まずあり得ないです。優勝候補は、決勝戦に照準を合わせているので、まだ本調子ではない1次リーグは、あくまでも数字の辻褄合わせに過ぎません。つまり、1次リーグから全力で戦っている初心なチャレンジャーは、優勝候補国が手抜きしながら戦っているので、錯覚して持てはやされているのに過ぎないです。
そして、この杞憂が現実となったのが、決勝トーナメント1回戦のスペイン戦です。当時のスペイン代表は現在と違い、ハッキリ言ってうだつの上がらないチームでした。2年前の欧州選手権では準優勝しますが、前回の1982年の自国開催だったスペインW杯では、危うく1次リーグ敗退の失態を犯す寸前までいきました(ちなみにスペインは2次リーグで敗退)。デンマークは、フランスでの欧州選手権ではスペインと準決勝で対戦しますが、この時は1-1からPK戦で敗れてますので、それほど苦手意識を抱えていなかったと思われます。真っ赤なユニフォームを着たサポーターも、この時はスペインを簡単に蹴散らすと誰もが思ったのでしょう。試合開始してからは、デンマークは1次リーグ同様に破壊的な攻撃力を前面に出して戦いました。前半33分にイェスパー・オルセンがPKを決めて早くもデンマークがリードし、このままの勢いで更に得点を積み重ねると思われ、観客席だけでなく記者席も楽観ムードに包まれました。
しかし、前半終了2分前にデンマークは大失態を犯します。自陣後方でボールを回していた先取点を挙げたイェスパー・オルセンの横パスを、スペインのエミリオ・ブトラゲーニョが掻っ攫って同点に追いつきました。しかも、イェスパー・オルセンは、外から内に向かってパスを渡すという、軽率なプレーでした。前半の残り時間が少ないからこそ、慎重にプレーをすべきだった場面でした。早々とリードを奪った事で、相手を舐めて気が緩んでいたのは明らかでした。後半に入って以降は、完全に同点に追いついたスペインのペースになります。その後、ブトラゲーニョはPKを含めて後半だけで3得点を叩き込んで、予想外にスペインがデンマークを5-1で圧勝。この日4点を挙げたブトラゲーニョは、1966年のイングランドW杯準々決勝の北朝鮮戦で、エウゼビオ(ポルトガル)が挙げた1試合最多個人得点に並ぶオマケつきでした(なお、現在のこの記録は、1994年米国W杯でロシアのオレグ・サレンコがカメルーンを相手に挙げた5得点です)。
デンマークの敗因は明らかでした。実は、このイェスパー・オルセンのミスが切っ掛けで失点を喰らった、自陣後方でのパス回しは、デンマークの特徴でもありました。後ろでパスを回しながら時間を作って、その間に前線の選手が走りこんでスペースを作り、その開いたスペースを機を見て縦パスやドリブルで突くのが彼らの狙いでした。ただ、このデンマークの戦法だと、自陣後方でのパス回しを敵に奪われる可能性が高いです。スペインは、デンマークの特徴と欠点をしっかりと把握した上で、ブトラゲーニョら前線の選手が虎視眈々と彼らの横パスを狙っていました。また、デンマークは、1次リーグ突破が既に決まっていたのにも関わらず、消化試合だった西ドイツ戦では己の戦術を惜しみも無く曝け出したのは、明らかに失敗でした。W杯の1次リーグは、油断は決して禁物ですが、突破が決まったら手の内を隠して余力をたっぷり残すのが鉄則です。
デンマークと同じく、決勝トーナメント1回戦でベルギーに延長戦の末に3-4で壮絶に散ったソ連も、こういった駆け引きがとても下手なチームでした。ソ連は、1次リーグでは毎回調子が良くて周りから騒がれるものの、その後は尻すぼみして試合巧者の伏兵にあっけなく負けるパターンが多いです。共産圏のソ連の場合は、機械のように毎試合同じペースで全力で戦うので、対戦相手も研究しやすかったのが敗因です。また、1ヶ月間に渡る、W杯の戦いにおける長期的な戦略も決定的に不足していました。メキシコW杯が本大会初出場だったデンマークの場合は、駆け引きや戦略眼が不足していたのは仕方なかったのかもしれません。ましてや、本来は冷静かつ客観的な視点を持つべき報道陣が、1次リーグを突破したぐらいで、代表チームと一緒になって己の本分を忘れて舞い上がっている事自体、己の実力を過信していたナイーブな証拠でしょう。
冷静かつ客観的な視点で物事を見つめる事は、スポーツだけでなくあらゆる分野でも当てはまると思います。ただ、強さと脆さを兼ね備えたチームだったデンマークが、世界中のサッカーファンを魅了したチームだった事は間違いないです。
それにしても、あの時試合の賭けに負けた中学生だった私自身も、季節は夏だったのに懐が寒くなった苦い思い出となりました(苦笑)。
☆意外な結末となったスペイン戦
(1986年6月18日 @メキシコ・ケレタロ/エスタディオ・ラ・コレヒドーラ)
※メキシコW杯の詳細の記録
【参考文献】後藤健生著・ワールドカップの世紀(文藝春秋社刊)
(1986年6月18日 @メキシコ・ケレタロ/エスタディオ・ラ・コレヒドーラ)
・決勝トーナメント1回戦
スペイン 5(1-1)1 デンマーク
得点者:スペイン)43分&56分&80分&88分 エミリオ・ブトラゲーニョ、68分 アンドニ・ゴイコエチェア・オラスコアガ
デンマーク)33分 イェスパー・オルセン
2016年夏季五輪の開催地決定が、いよいよ来週の金曜日の10月2日に決定します。東京をはじめ、シカゴ、リオデジャネイロ、マドリードの4都市が招致に名乗りを上げてます。現状ではリオデジャネイロが有力と報道されてますが、どの都市も一長一短であり、予想は全く難しいところです。果たしてジャック・ロゲ国際オリンピック委員会(IOC)会長は、どの都市の名前を読み上げるのでしょうか?ちなみに、この五輪招致選挙はデンマークの首都のコペンハーゲンで行われます。今回は、今から23年前に、メキシコの地で破壊的な攻撃力で快進撃を見せたデンマークのサッカー代表チームにまつわる話をしたいと思います。
* * * * *
私が生まれて初めて見たW杯は、中学1年の時に見た1986年のメキシコW杯です。この頃の日本は、全ての世代の世界大会のアジア予選で負け続けた時代でしたので、日本代表がW杯で戦う姿なんて夢のまた夢の時代でした。それどころか、アジアの頂点に立つ事すら全く想像できませんでした。せいぜい、日本がW杯で戦えるのは、漫画の「キャプテン翼」でしかあり得ない時代でした。それだけに、日本はW杯とは完全に無縁だったので、テレビの向こう側の別世界のようにも感じました。中学生の時に初めて見たメキシコW杯は、クラスや友達の間でも結構話題になってたので、よく覚えています。夢中になってみたせいなのか、友達と試合の賭けをしょっちゅうやってました(笑)。賭けといっても、しょせん中学生なので小遣いなんてたくさん持ってないから、部活の帰りに駄菓子屋で売ってた1個50円のアイスでしたけどね。ちなみに、1本100円のジュースは中学生の私にとってはかなりの高級品でした(笑)。
初めて見たこのメキシコW杯では、忘れらないチームが2つあります。私が最も印象に残っているのは、圧倒的な強さで優勝したアルゼンチンです。このチームに関しては世間で語り尽くされているので、今更ここで多くを語る必要は無いでしょう。ただ、この大会のアルゼンチン代表は、司令塔のディエゴ・マラドーナを擁しているので、一見すると華麗なる攻撃的なチームのように思えますけど、実際はカルロス・ビラルド監督の指揮の下、かなり守備を重視したチームでした。ビラルド監督が率いたこのチームの本性が露になるのは、次回のイタリアW杯です。マラドーナの不調もありましたが、前回優勝国でありながら横綱相撲どころか、それこそは最初からPK戦狙いの極端に守備的な戦い方だったので、失望感を覚えた世界中のサッカーファンから多くの批判を集めました。なので、このメキシコW杯を制したアルゼンチンは二面性を秘めたチームだったのかもしれません。
そして、もうひとつ印象に残っているチームがデンマーク代表です。ドイツ人のゼップ・ピオンテク監督が率いるデンマークはメキシコW杯の2年前の欧州選手権では、予選でイングランドを倒してフランスで開催された本大会に初出場を果たします。また、守備の重鎮モアテン・オルセン、左ウイングのイェスパー・オルセン、中盤の柱のセーレン・レアビーとフランク・アルネセン、当時欧州最高の破壊力を持ったミカエル・ラウドルップ(のちにヴィッセル神戸に移籍、弟がブライアン・ラウドルップ)とプレベン・エルケア・ラールセンのFWコンビといった欧州のトップクラブで活躍する錚々たる顔触れの選手達を擁し、3-5-2という当時斬新なシステムを駆使して、本大会でも準決勝に進出しました。決して、大国とはいえないデンマークでしたが、その破壊的な攻撃重視のスタイルから、チームは〝ダニッシュ・ダイナマイト〟の愛称で熱烈な支持を受けました。
デンマークはメキシコW杯の予選を勝ち抜いて本大会に進出を果たします。意外にも、デンマークはW杯出場はこれが初めてでした。しかも、本大会の抽選の結果、1次リーグでは西ドイツ、ウルグアイ、スコットランドと同じE組に入りました。この組は、アジアとアフリカの弱小国が入っておらず、しかも過去に2度のW杯優勝経験のある西ドイツとウルグアイを同居する、文字通りの「死の組」でした。デンマークも初出場のわりには前評判が高かったとはいえ、若葉マークの初心者が簡単に勝ちあがるのは難しいと思われました。だが、デンマークは初戦のスコットランド戦では、試合の前半こそ押され気味でしたが、後半に自慢の攻撃力を発揮します。ラールセンが後半に決勝点を挙げて、古豪の追撃を振り切って、見事に1-0で初陣を飾りました。
☆W杯デビュー戦となったスコットランド戦
(1986年6月4日 @メキシコ・ネサワルコヨトル/エスタディオ・ネサ86)
そして、〝ダニッシュ・ダイナマイト〟の真骨頂となったのが、2戦目のウルグアイ戦です。破壊的な攻撃力を遺憾なく発揮したデンマークは、ウルグアイを相手になんと6-1で木っ端微塵に粉砕します。試合開始わずか10分で、ラウドルップからのパスを受けたラールセンが先制。その後、ウルグアイが退場処分を受けて1人少なくなりましたが、左サイドハーフのレアビーはハーフライン手前から独走して追加点上げます。デンマークは後半に入っても出し惜しみせずに戦い抜き、ついには現役の南米王者を相手に6点もの大量得点を挙げました。さらに、3戦目では、前回準優勝国の西ドイツも2-0で破り、1次リーグを9得点1失点で3戦全勝と、堂々と1位通過を果たしました。
☆衝撃的な圧勝となったウルグアイ戦
(1986年6月8日 @メキシコ・ネサワルコヨトル/エスタディオ・ネサ86)
☆前回準優勝国の西ドイツにも勝利
(1986年6月13日 @メキシコ・ケレタロ/エスタディオ・ラ・コレヒドーラ)
1次リーグ終了の時点では、初戦のハンガリーに6-0で圧勝して強豪フランスを出し抜いて1位通過したソ連とともにデンマークはとても高い評価を受けました。思いがけない躍進によって、代表チームだけでなく、デンマーク国民のテンションも最高潮に達します。ひょっとしたら優勝するのでは?とはやる気持ちに駆り立てるメディアもあったほどでした。しかし、これが彼らにとって落とし穴となります。W杯の優勝常連国、もしくは優勝を狙う国だったら、たとえ1次リーグで勝ったぐらいでバカ騒ぎする事は、まずあり得ないです。優勝候補は、決勝戦に照準を合わせているので、まだ本調子ではない1次リーグは、あくまでも数字の辻褄合わせに過ぎません。つまり、1次リーグから全力で戦っている初心なチャレンジャーは、優勝候補国が手抜きしながら戦っているので、錯覚して持てはやされているのに過ぎないです。
そして、この杞憂が現実となったのが、決勝トーナメント1回戦のスペイン戦です。当時のスペイン代表は現在と違い、ハッキリ言ってうだつの上がらないチームでした。2年前の欧州選手権では準優勝しますが、前回の1982年の自国開催だったスペインW杯では、危うく1次リーグ敗退の失態を犯す寸前までいきました(ちなみにスペインは2次リーグで敗退)。デンマークは、フランスでの欧州選手権ではスペインと準決勝で対戦しますが、この時は1-1からPK戦で敗れてますので、それほど苦手意識を抱えていなかったと思われます。真っ赤なユニフォームを着たサポーターも、この時はスペインを簡単に蹴散らすと誰もが思ったのでしょう。試合開始してからは、デンマークは1次リーグ同様に破壊的な攻撃力を前面に出して戦いました。前半33分にイェスパー・オルセンがPKを決めて早くもデンマークがリードし、このままの勢いで更に得点を積み重ねると思われ、観客席だけでなく記者席も楽観ムードに包まれました。
しかし、前半終了2分前にデンマークは大失態を犯します。自陣後方でボールを回していた先取点を挙げたイェスパー・オルセンの横パスを、スペインのエミリオ・ブトラゲーニョが掻っ攫って同点に追いつきました。しかも、イェスパー・オルセンは、外から内に向かってパスを渡すという、軽率なプレーでした。前半の残り時間が少ないからこそ、慎重にプレーをすべきだった場面でした。早々とリードを奪った事で、相手を舐めて気が緩んでいたのは明らかでした。後半に入って以降は、完全に同点に追いついたスペインのペースになります。その後、ブトラゲーニョはPKを含めて後半だけで3得点を叩き込んで、予想外にスペインがデンマークを5-1で圧勝。この日4点を挙げたブトラゲーニョは、1966年のイングランドW杯準々決勝の北朝鮮戦で、エウゼビオ(ポルトガル)が挙げた1試合最多個人得点に並ぶオマケつきでした(なお、現在のこの記録は、1994年米国W杯でロシアのオレグ・サレンコがカメルーンを相手に挙げた5得点です)。
デンマークの敗因は明らかでした。実は、このイェスパー・オルセンのミスが切っ掛けで失点を喰らった、自陣後方でのパス回しは、デンマークの特徴でもありました。後ろでパスを回しながら時間を作って、その間に前線の選手が走りこんでスペースを作り、その開いたスペースを機を見て縦パスやドリブルで突くのが彼らの狙いでした。ただ、このデンマークの戦法だと、自陣後方でのパス回しを敵に奪われる可能性が高いです。スペインは、デンマークの特徴と欠点をしっかりと把握した上で、ブトラゲーニョら前線の選手が虎視眈々と彼らの横パスを狙っていました。また、デンマークは、1次リーグ突破が既に決まっていたのにも関わらず、消化試合だった西ドイツ戦では己の戦術を惜しみも無く曝け出したのは、明らかに失敗でした。W杯の1次リーグは、油断は決して禁物ですが、突破が決まったら手の内を隠して余力をたっぷり残すのが鉄則です。
デンマークと同じく、決勝トーナメント1回戦でベルギーに延長戦の末に3-4で壮絶に散ったソ連も、こういった駆け引きがとても下手なチームでした。ソ連は、1次リーグでは毎回調子が良くて周りから騒がれるものの、その後は尻すぼみして試合巧者の伏兵にあっけなく負けるパターンが多いです。共産圏のソ連の場合は、機械のように毎試合同じペースで全力で戦うので、対戦相手も研究しやすかったのが敗因です。また、1ヶ月間に渡る、W杯の戦いにおける長期的な戦略も決定的に不足していました。メキシコW杯が本大会初出場だったデンマークの場合は、駆け引きや戦略眼が不足していたのは仕方なかったのかもしれません。ましてや、本来は冷静かつ客観的な視点を持つべき報道陣が、1次リーグを突破したぐらいで、代表チームと一緒になって己の本分を忘れて舞い上がっている事自体、己の実力を過信していたナイーブな証拠でしょう。
冷静かつ客観的な視点で物事を見つめる事は、スポーツだけでなくあらゆる分野でも当てはまると思います。ただ、強さと脆さを兼ね備えたチームだったデンマークが、世界中のサッカーファンを魅了したチームだった事は間違いないです。
それにしても、あの時試合の賭けに負けた中学生だった私自身も、季節は夏だったのに懐が寒くなった苦い思い出となりました(苦笑)。
☆意外な結末となったスペイン戦
(1986年6月18日 @メキシコ・ケレタロ/エスタディオ・ラ・コレヒドーラ)
※メキシコW杯の詳細の記録
【参考文献】後藤健生著・ワールドカップの世紀(文藝春秋社刊)