私は、仕事を共にサポートし合う関係者を
男女を問わず、ビジネスパートナーと呼んでいる。年齢もバラバラの経営者の方々だ。
ある人は、「誰か資金的に助けてくれる◯ゲがいるの?」みたいに大きな勘違いをされた事があるが(笑)決してそうではない。
何故パートナーと言うかというと、利害関係を抜きにして共に成長し合おう!良くなろう!というwin-winの関係性を重視した関係だからである。
パートナーという表現が、◯ゲ親父がいる...という発想にはマジで笑ってしまった。こんなオバはんに付いてくれる◯ゲ親父って一体幾つやねーん!と突っ込みも入れたくなる(笑)
さておき、このビジネスパートナーとは、仕事以外の場所で時々コミュニケーションをとるようにしているが、この時間が何とも刺激的で前向きになれる時間である。
時間が足りないくらい、自分たちがやりたいことについて熱い議論を交わし「無理とか出来ない」という単語が出てこない。「どうしたらできるか?」を互いに意見を出し合う。
むしろ「無理だよ出来っこないよ」と言われると尚更ムキになるメンバーなのかもしれない。
負けず嫌いな所もあろうが、人が他出来ない、事を出来るようにする事に価値があると思っているメンバーだろう。
そして気がつけば、議論の中心にあるのは「皆んなが良くなるために」という事と「社会貢献に繋がる」という事
そこには、自分の意見を通すための「建前」で話す人は誰もいない。
どんなに本音で直球で話しても、互いに受け入れられているし、笑っているのである。
仕事で繋がった縁なのに、こんなにも本音で話せる事はある意味すごい事なのかもしれない。
所謂、仕事の価値観が合うのだろう。
だから、何時間話しても疲れないし前向きになれる。視野が広く、高くなる。。そんな感じだ。
価値観が初めから合うから集うのではなく、互いの価値観を受け入れつつそこに何らかの学びを見出す関係性なのかもしれない。互いを尊重し尊敬し合っているのだろう。
ふと、考えると友人関係も恋愛も夫婦関係も
そういう関係が理想なのかもしれない。
そうは言っても。。
ままならぬのが人間関係
どこかで「駆け引きや建前」でお互いを探るところがあるのではないか?しかも自分が意図しない反応が相手から返ってくると、落ち込んだりムキになったりする。
本音で話したら嫌われるのではないか?
そこには「嫌われたくない」という心理が働くからだろう。
男女の関係においては、それが如実に出るのかもしれない。
では、何故「嫌われたくない」と思うのか?
それは、孤立する事を恐れているか、所属欲求なのか?この人たちに嫌われたりすると、自分は孤立してしまうのではなないか?
波風立てない...相手に合わせた方が嫌われずにすむ...と無意識に建前で付き合ってしまって、それを本当の自分と錯覚してしまう事だってあるだろう。
本当は腹が立つ事もあるだろうし不条理だと思っている事もあるだろうに、理性で抑えているのかもしれない。それが大人なんだよ。。という人もいるが、私はなんだか釈然としないでいる。
大人になったら、言いたい事も言えないのか?本音ぶちまけたらいけないのか?大人は理性だけで生きなくてはならないのか?
波風立てず建前で上手く付き合っていく人からすると、こんな事言う事すらきっと「大人気ない」と言われるのだろう。
私の持論はこうである...
あくまでも、自分の意見や本音を、相手が受け入れやすいような伝え方で伝え、相手の本音も受け入れ咀嚼する努力をするのが大人じゃないのか?と...
ところで...じゃあ大人の定義ってなんなんだろう??
要領良く?物分り良く生きる事?万人から好かれるように振る舞う事?いずれにせよ社会と上手く適応していこうとする事なんだろう。
だとしたら、それは自分自身ではなく「大人を演じる自分」に他ならない。
議論しようとすると「そこは、まぁまぁ..大人だから...」となかった事にする人がいるが、私は実に不完全燃焼になる。
場の空気を察知するというのは、勿論はわかるが、なかった事になし崩しにするのは如何なものか?
ま...面倒くさいという事だろう。
ということは、紛れもなく私は、面倒くさい女なんだろう(笑)
時には、自分から真剣な面持ちで「◯◯についてどう思う?」とか「◯◯は間違ってると思わない?」などと議論を持ちかけておきながら、私が「私はそうは思わない」と、意見に同調しないとか、反論するとか、自分の意見を言うと
「まぁまぁ...そこは、そんなに真剣にならなくても...」的な事を言われる事があるが、だったら初めから持ちかけるな!と言いたくもなる。
私が、職業的にというか性格的に「何故?そう思うのか」を質問しすぎるからかもしれない。
結局何が言いたいかというと
本音という事、大人という事の定義は千差万別であると言う事。そして、本音と思ってる事は、以外と建前だと言う事だったりするという事です。
わたしは、これから先も「いい人」になるつもりもないし
付き合う相手も男女を問わず本音で付き合える人と付き合いたいと思う。
本音と建前は、私にとって「裏表」と捉えるからだろう。
検索までして世間の定義を参考にしたことさえあります笑
持論として行き着いたのが、「責任」でした
子供に比べ、大人は自由です
その自由の裏には責任があり、責任をとれる範囲で言動し、生きるのが大人だと。
たった感じ二文字の責任ですが、とてもその範囲は広く深いですよね
家族がいれば、その分範囲は広がり重いものです。
男にとって責任とは愛情と似ているような気がします。恋愛や友人、親子関係において責任をもつ、またはとることが愛情を伝える形に似ているようです
大人としての使命の一つのようなきがします
そうですね…確かに大人の定義は自分の言動に責任を持つことかもしれませんね。納得です。
そう考えると、もう一つ覚悟も定義に入るのかもですね。私にとって責任と覚悟はセットです^_^
しかも瞬間で覚悟を決めます。人生の選択に答えがない事を知ってるからでしょうか。。
じっくり考えて覚悟することはありません。
長く生きていると、答えがどちらにせよ、それを受け入れ咀嚼して成長の糧になるという答えを持っているからでしょうね。
だけど私は死ぬまで「こどな」でいいかなぁ〜って最近思ってます。
※こどなとは、子供と大人のハーフです^_^