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「合法的」の落とし穴

2015-09-16 14:44:36 | 政治   
「合法的」の発想の落とし穴
  言葉は絶えず名目上の表と裏の意味を含んでいる。国会前で警察がバリケードや警察車両を設置し、「安全のため・危険防止のため」とデモ隊に訴えたとする。しかし、真意はデモ隊の規制であり、抑圧や強い言葉で言えば弾圧でもある。「平和法」が裏の真実は「戦争法」であり、「国民保護法」は「国家統制法」であるの同じだ。官僚はこうした言葉のすり替えには、非常に長けていて真実を柔らかい表現で隠すことで、国民を欺く。つまり、ことの真実を見抜ける目を持たないと、騙されてしまう。しかし、いま私たちはそのからくりに気づきつつある。
 私たちはいま、「安保法制」の参議院での強行採決を直前にしている。たとえば国会前では毎日、座り込みや集会を行っている。警察は規制線を張り、安全を名目にデモ隊を規制しようとバリケードや装甲車でブロックしている。市民社会の倫理では法の準拠が当然のことと考えられ、法の範囲での行動が善の倫理として自らをも規制し、また他者への法的な順守を促す市民も多い。脱法行為は秩序を乱す犯罪行為であり、罪になるという自己規制が共有されている。国家は法により国民を規制している。法は国家の存在基盤であり、それに従わない場合には処罰で秩序を遵守させることで、議会制民主主義を維持し、立憲主義をも守らせている。国家の理念化されたものが最高法規の憲法であり、国民は共有することで現状の国家体制を維持している。悪法もまた法であるとは、ソクラテスが死刑を宣告されたときに発した名言とされている。
 しかし、「悪法もまた法なり」の逆読みは、悪法は国民の奴隷化であり、悪法には屈することなく戦うことで 国民にためになり、好ましいルールに作り変えることを諭している。今、安倍政権により安保法制(戦争法)が強硬採決されようとしている。すでに秘密情報保護法が施行され、また国民保護法(国民統制法)も思考されている。画竜点睛で、安保法制が可決されれば、完全に我が国は違憲状態でも合法的に捻じ曲げられて、民主主義は破棄され、立憲主義は消滅する。選挙は停止され、同時に法的な根拠の下での軍国主義が復活し、国粋主義が台頭する準備ができている。自衛隊は国軍となり戦争への一歩を確実に踏み出す。当然、自公政権は憲法改正にも手を付けるし、国民保護法と重要事態法、国家安全保障会議設置法が秘密保護法と連動して、憲法の機能を停止し、憲法の上位法として国民の基本的人権を制限、徴兵制の施行や国民の財産没収なども可能としていく。国民に―取っては、とんでもない国家体制が出来上がる。これが安倍晋三が目指している「取り戻したい日本」像だ。いずれも、法が成立しているために立憲主義はこの法に基づいて解釈され、市民の法に従って行動すべきだという倫理観では、出来上がった法に違法行為をせずに奴隷のように服従していくことを善とすることになる。
 報に乗っ取り、違法行為はしないで、法に準拠してひたすら穏健に反対運動を続けていれば、必ず独裁政権の思惑通りの体制に加担していくことになる。ここの落とし穴がある。


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