鉄道車両アラカルト

今まで全国鉄道の旅をして、いろんな車輌を見ました。そんな車輌たちをまとめてみました。

小田急 ロマンスカー半世紀走り続ける

2007年07月06日 | 私鉄(関東・東北・北海道)

小田急ロマンスカー
走り続けて半世紀

新宿-箱根の旅を演出

 小田急電鉄の看板列車として知られる特急ロマンスカーが、1957年(昭和32年)7月の3000形運転開始から間もなく半世紀を迎える。戦前から走っていた箱根特急の観光列車としての役割を引き継ぎながら、技術、設備、サービス、そして何より箱根の旅への夢とあこがれを象徴する、独特のスタイルの点でも画期的な車両となった3000形から、ロマンスカーの呼び名が定着し、現在の最新型50000形(VSE)まで7代の車両が走り続けてきた。同社では50周年を記念して多彩な企画やイベントを準備しており、あらためて特急ロマンスカーの旅の魅力をPRしていく。

 流線形の連接車体にバーミリオン・オレンジの塗装で、特急ロマンスカーの原点となった3000形が登場したのは57年。敗戦から12年たって世の中がようやく落ち着きを取り戻し、手を伸ばせば箱根など比較的近距離の観光地への旅も可能になろうとしていたころだ。ロマンスカーの歴史はここから始まったが、その前史ともいえる新宿-箱根湯本間の特急列車は既に戦前から運転されていた。

 箱根は熱海や伊豆とともに東京のいわば奥座敷であり、スケールの大きなわが国有数の観光地でもあったため、新宿から直行する列車の人気は高かった。既に35年には新宿から週末温泉特急の運転を開始しており戦中から一時休止していた新宿-小田原間ノンストップの特急も48年に運転を再開した。

 翌49年には初めての特急専用車両となる1910形を投入し、51年の1700形、55年の2300形へと受け継がれる。常に技術面やサービス面で改善点を探りながら、最上の質を提供しようとする同社の箱根特急へのこだわりは、既にこの時代から企業風土として定着していたようだ。

 上質の旅追求

 その上質を追い求める姿勢が、理想の特急車両という当時の夢と結びついたのが3000形の開発だった。この車両開発には当時、東海道線の全線電化後の新しい特急車両を検討していた国鉄の技術陣も参画し、東海道線で行った速度試験では狭軌の世界記録となる時速145㌔を出した。曲線の多い小田急線を高速、安定走行するための連接台車の採用など特急ロマンスカーの原型が誕生したことになる。

 この開発経験がその後の電車特急「こだま」やさらには東海道新幹線の車両開発につながっていく。

 〝理想の特急″

 ロマンスカーという呼び名は、この3000形で定着したようだが、由来については必ずしもはっきりしていないという。戦後の映画館で流行した2人掛けのロマンスシートからきているのでは、という説が有力と同社は説明している。

 時代は高度成長期に入り、週末の箱根の旅はより身近になった。同時にほかの観光地やアクセスとの競争も増したことから、同社は63年、先頭車両に展望席を設置した11両編成の3100形を投入した。小田急の特急ロマンスカーといえば今でもこの3100形をイメージする利用客が多い。

 80年には7000形、87年には10000形が登場し、最新の設備を導入しながらも特急ロマンスカーの基本コンセプトを維持し続けた。91年(平成3年)にはボギー台車の7両編成という20000形が登場したが、これはJR東海との相互直通運転で新宿-沼津間にも乗り入れるという役割から。特急ロマンスカーのイメージを大きく変えたのは96年の30000形だった。

 20㍍車の10両編成で6両と4両に自動分割・併合でき、輸送力と機動力を向上させた。

 開発の背景には特急需要の多様化がある。特急ロマンスカーは既に60年代末以降、江ノ島線にも乗り入れ、新宿を夕方以降に発車する列車は、定期券プラス特急券で座って帰れる通勤特急として需要が高かった。小田原までノンストップの列車とともに、沿線の主要駅に停車するパターンのビジネス特急型も走るようになり、より機能的で輸送力の大きい車両が求められていた。

 30000形はこうしたロマンスカーの新しいニーズに応えるために開発された。景気低迷やレジャーの多様化で箱根直通特急の需要が減少を続け、新しい特急需要が収益の大きな柱に育ってきていたという事情もあった。

 しかし、特急需要の多様化でロマンスカーに乗ることが日常的になり、長年提供し続けてきた上質な旅と夢が薄れてきたことに同社は気づいていた。

 沿線最大の経営資源である箱根観光と、その交通アクセスの再生が戦略的な課題となり、その取り組みを象徴する新たなロマンスカーの開発が始まった。2005年に登場した7代目の50000形(VSE)は同社が箱根の旅をより上質で夢のあるものにしていくという同社にとっての夢と情熱を込めた車両となった。

 最新の設備と技術を盛り込んだ上に、ロマンスカーの原点である連接台華や展望席を復活し、運用は箱根直行型に限定した。そのこだわりが利用客に支持され、箱根アクセス全体が増加に転じるきっかけとなった。

 そして今年9月には、来春から東京地下鉄(東京メトロ)千代田線にも乗り入れる新型ロマンスカーMSEが完成する。ロマンスカー半世紀の歴史にまた新しい車両が加わることになる。

 社員の誇り

 小田急の特急ロマンスカーは同社が常に改善に取り組み、こだわってきた車両であり、それに乗務する社員の誇りであり続けた。鉄道愛好家たちが3000形を称賛し、それが契機になって誕生したブルーリボン賞。30000形を除く歴代の各車両がそれを受けている。

デビューして50年もの間、車体こそ変わっていったけど、人々の夢を乗せて走り続けたロマンスカー。本当に素敵ですね。常にその斬新なスタイルは人々を魅了し続け、今でも色褪せてないですよね。心から50周年おめでとうと言いたいですね。私も今年は必ず小田急線に乗ろうと思います。もちろん記念品目当てもありますけど・・・