電脳くおりあ

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勝間和代と『読書進化論』

2008-10-24 23:13:34 | 政治・経済・社会

 最近急にその存在感を増してきた人に、勝間和代さんがいる。勝間さんには、かなり前にお会いしたことがあるが、その頃から賢い人だなという印象があった。『読書進化論』(小学館101新書/2008.10)を読んでみると、勝間さんは、経済評論家・公認会計士という肩書きで、短期間にいろいろな本を出版してきたが、その出版活動を通して、出版界のフィールドワークをしっかりとしてきたことがよく分かる。この点では、自分の本の販売促進と研究と見事に両立させていて、まさしく時代の最先端を走っている女性なのだと納得した。おそらく、忙しさという点では、脳科学者の茂木健一郎さんと双璧をなすのではないかと思われる。

 勝間さんは「ムギ畑」というWebサイトを作り、ワーキング・マザーとその予備軍の支援をしていた。私は、当然そこからマスコミに登場するのかと思っていたが、予想とは全く違って、「ムギ畑」とはあまり関係のない、経済評論家という立場から書いた本を通して、大きくブレイクした人である。そのブレイクのきっかけになった『お金は銀行に預けるな』(光文社新書/2007.11)は、もし私が若い頃これ読んでいたらもっと変わった人生を歩んでいたかもしれないと思った本だ。

 私たちの世代は、日本の高度成長のただ中で育ってきた世代だが、「お金のことは苦手」という意識を持っている。他の人はよく知らないが、少なくとも私は、お金にたいしていつも後ろめたいような気持ちを持っていた気がする。だから、株を買ったり、先物取引をしたりして儲けるより、すぐに銀行に預けてしまったりしていた。そして、そこそこ稼いで、普通の生活ができればそれでいいと思っていた。そして、高度成長時代は、それでもそこそこ生活が豊かになっていく時代だった。しかし、今は、変わっている。だからこそ、勝間さんは、こういう本を書いたわけだ。

 『読書進化論』の中では、勝間さんは、Web時代の中で、本の読み方、書き方、売り方がどう変わったかを分析している。勿論、基本は読者のための「読書論」であるわけだが、Web時代の特徴は、だれでも本の書き手になれるということでもある。しかし、基本はしっかりとした読み方をすべきことは言うまでもない。自分の情報収集の仕方や読書の仕方をさらけ出すということは、わたしの場合は恥ずかしくてとてもできないが、勝間さんは自分の仕事と見事に密着させて紹介している。そして、それ自身が自分の本のプロモーションになっているというところが面白い。

 勝間さんは、出版不況といわれている中で、出版業界はまだまだ「本を売る」という点ではマーケティング不足のところがあり、本を徹底的に「一つのプロダクト」として考え、「売るためのプロダクト開発、価格設定、流通チャネル設定、宣伝を一つのストーリーのもとに、戦略を作り、マーケティングして、売ってみたかった」(p162)と言っている。書き手や読み手ばかりではなく、売り方にかかわっている人たちも登場させたこの『読書進化論』は、いわばその壮大な実験でもあり、これまでの本の読み方、書き方、売り方のまとめたものである。ここから、勝間さんはどこへ行こうとしているのか、興味がそそられるところでもある。

 マッキンゼー時代の友人であり、いまはヘッドハンターでプロノバという会社を経営している岡島悦子さんが、以前、私の仕事ぶりを称して、「実は壮大な社会実験をしているだけなのでは」と見抜いたことがあります。たぶん、そうなのでしょう。私は、新しいことを仮説として考えて、実際にそのアイデアを実現してみて、それで何が起こるのか、そのプロセスを見ることが生きがいなのです。(『読書進化論』p187・188より)

 私は、小林秀雄や江藤淳、そして吉本隆明などの評論家の本を読みながら育った世代だ。現在のオピニオンリーダーとなっている、大前研一さん、茂木健一郎さん、そして勝間和代さんたちはほんとに新しいタレント性をもっていて、そうした役割をも見事にこなしながら、自分の持っている課題に向けて着実に前進している人たちだと思う。彼らに共通していることは、フィールドワーク力がすばらしいという一言に尽きる。だからこそ、彼らは常に最先端の現場にいたいと思っているのだ。そこで、時代の提起する課題に常に向き合っていたいと思っているのだと思われる。

 この点では、かつて、茂木健一郎さんが、梅田望夫さんとの対談の中で、脳の研究の分野でダーウィンのような役割を果たしたいという意味のことを話していたが、確かに彼らは普通の人たちができないような壮大なフィールドワークを行い、経済学、経営学、脳科学の分野で新しい知的な探究をしているところかも知れない。研究室の象牙の塔の中にこもっている人たちから見れば、うさんくさそうに見えるのかも知れないが、現代のような混沌とした時代の中では、ダーウィンがそうだったように、新しい理論はそうしたフィールドワークの中から生まれる可能性のほうが高いと思われる。

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