電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

スーパー雑草「おもだか」

2009-09-13 22:43:01 | 政治・経済・社会

 9月7日(日)のクローズアップ現代は、「スーパー雑草大発生」だった。「今、除草剤が効かない"スーパー雑草"が拡大している。宮城県では田んぼに"オモダカ"という雑草が急速に増え、コメの収穫に影響が出ている」というのだ。私は、我が家紋の「おもだか」が非難されているようで、いやに気分になりながら、テレビを観ていた。そして、これは「おもだか」が悪い訳ではないということを知った。これこそ、人間の自己中心的な活動に対する自然の反撃だと思わないわけにはいかなかった。私にとって、「おもだか」は雑草ではなく、れっきとした観賞用植物だった。自宅で鉢植えにと近くの花屋さんをまわったこともあるくらいだ。

 「おもだか」がスーパー雑草になった経緯は、これまでに開発された除草剤を長年使っているうちに、遺伝子が突然変異して、この除草剤が聞かない雑草になってしまったことにある。問題は、これ以外の雑草は枯れてしまうので、「おもだか」は逆に繁殖してしまうことになる。つまり、田んぼでは、稲と「おもだか」が元気よく育っている。そして、その結果「おもだか」は憎まれることになる。もちろん、稲のほうは、はじめからこうした除草剤が効かない特性を持っていることになる。「おもだか」は、稲に負けないように繁殖しているだけなのだ。だが、宮城県の農家にとって、田んぼの養分を吸収してしまう「おもだか」は、にくい敵なのだ。

 これは、なにも植物だけではない。新型インフルエンザというのは、こうしたスーパー雑草と同じで、ウィルスが自ら突然変異してきたからだ。もちろん、ウイルスだけではなく、いろいろな病原菌が今突然変異して、薬が効かなくなっている。これは、環境に適合するために生物の生きる力だということができる。もちろん、人間の側からみれば、それはとんでもない事態である。他方、植物の側からみれが、あまりにも身勝手な人間の反応であり、人間に対して怒っているかもしれない。しかし、私も人間であるので、ここは、何とか人間に頑張ってもらうしかない。

 ところで、東京大学の研究者によって、東南アジアを原産とするチョウの一種が東京都内で繁殖しているのが見つかったという。これは、地球温暖化の影響で、生息地が本来の熱帯から北へ広がってきている可能性があるといわれている。そして、この小さなチョウは、幼虫の時に亜熱帯のソテツの新芽だけを食べるという特徴を持っているという。その結果、このチョウは、繁殖すると家庭に植えられているソテツに被害を与えるおそれがあると指摘されている。これは、遺伝子の突然変異によるものではない。むしろ、環境の変化自体が、繁殖地を広げている例だ。

 また、先日、鎌倉の友人宅に行ったとき、アライグマの被害の話を聞いた。こちらも、NHKでレポートされていたが、今や、日本全国にアライグマが繁殖していて、アライグマによく似た狸が絶滅しそうになっているという。アライグマは、カナダが生息地であるが、ペットとして飼われていたものが、野生化したと考えられている。アライグマは、かなりどう猛であり、いろいろな被害を与えている。鎌倉の友人の話によれば、ニワトリがおそわれているそうだ。勿論、もともとそこに存在していなかった動物や植物が何らかの理由で突然出現し、繁殖する例はたくさんある。植物の種が鳥などの動物によって運ばれるということ自体の中に、そうした可能性の目がある。それも、植物の生きる知恵である。

 こうした生態系の変化については、よくよく考えてみるべきだと思う。単に、よく効く薬は、諸刃の剣であり、生態系のバランスを崩してしまうのであり、崩れたバランスは、また新しいバランスができあがるまで変化していくことになる。政治の世界では、もうすぐ新しい政権がスタートする。ある意味では、政治の生態系に大きな変化が起きたわけであり、これから新しいバランスを求めていろいろなものが変化していく。いろいろな人たちが、いろいろな処方箋を書いている。大切なことは、変化した方がいいものと、変化してしまっては困ることを見極めることだ。

 確かに、ある種の熱気で、政権交代が起きた。半藤一利の『昭和史──1926~1945』を読むと、「国民的熱狂」が何をもたらしたかが書かれている。特に、マスコミの責任は重いのであり、おそらくそうした熱狂をマスコミが煽ってきた。そうしたマスコミがあおる熱気がどんな結果をもたらすかについて、私たちは、自分の頭でしっかりと考えておくことが大切だと思う。私たちは、生活者として細部にこだわり、自分たち1人1人がよく知っている小さな幸せを大事にして、それを基盤としてみんなの幸せを追求していけばいいのであり、それに敵対するものを批判して行けばいいのだ。もちろん、それが本当の幸せであるかを確かめながら。「おもだか」の運命を考えながら、そんなことを思った。

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