電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

ダイエットという知的ゲーム

2008-10-19 18:44:27 | 生活・文化

 ダイエット本としていちばん納得した本は、岡田斗司夫さんの『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書/2007.8.20)だった。彼は、自分のダイエット法を、「レコーディング・ダイエット」と呼んでいるが、ポイントは、自分の食べたものをことごとく記録することにある。つまり、自分がどんな食生活を送っているか徹底的に分析してみるということに尽きる。何のためにそんなことをするかと言えば、自分の脳に指示される「欲望」としての食事か、身体が指示する「欲求」に従う食事かを徹底的に検証し、自覚するためだ。

 私たちは、自分の身体の「欲求」に応じて、必要な食事をしていれば多分あまり太らないといえるかどうかはよく分からない。なぜなら、まず、身体の「欲求」が案外と分からないからだ。私たちは、そんな食事などしたことがないからだ。私たちの身の回りにある食物は、資本主義社会の産物であって、人々の「欲望」をそそるものばかりだ。それは、そもそも、他人に食べてもらうための食物であって、自分が食べるために作られたものではない。つまり、「商品としての食物」は、人間の自然な身体の「欲求」によって食べられるのではない。常に、人間の脳を刺激し、そこで生まれる「欲望」によって食べているのだ。

 岡田さんの「レコーディング・ダイエット」における、最初のステップの、食べたものを記録する活動や、食べたもののカロリー計算をし、それも記録するという活動は、「欲望」の対象を徹底的に分析し、脳の中にしみこませることに意味があるのだ。自分の食事を徹底的に分析し、自分の身体が「欲求」する食物は何なのかを知ることが大切なのだ。本当にそんなことが可能なのかどうか、それは分からない。しかし、その結果として、できるだけカロリーの少ない食事になり、腹八分目になり、おいしいものを少し食べれば満足できるようになればそれでよいのだ。

 岡田さんは、『いつまでもデブと思うなよ』の中で、「なぜやせなくちゃいけないのか」「あなたが太っているのには理由がある」「レコーディング・ダイエットとは」という順に論を展開しているが、最初の「なぜやせなくちゃいけないのか」という問いに対して、岡田さんは、現在は「見た目主義社会」だからだと主張する。ここは、とても面白いところだ。それは、人間としてどうなのかなどと問うてはいけない。なぜなら、そんなことを問うたら、せいぜい生活習慣の改善のためのダイエットということにしかならないからだ。

 「痩せたい」というのは、身体の「欲求」ではなく、脳の持っている「欲望」なのであり、私たちは「欲求」の声を直接聞くことができない以上、「欲望」には「欲望」で対抗していくしかない訳だ。いわゆるダイエットの難しさとは、そこにありそうだ。自分の「欲望」に従った食事をしていては、ぶくぶく太るしかないとしたら、その「欲望」自体を変えることでしか、本当のダイエットはできないと思われる。

 そんなことを考えながら、岡田さんの本を読んだが、1年間に50Kgの減量に成功したことはすごいことだが、一時は体重が117Kgもあったこともすごい体験だと思う。そして、今のところ「ダイエットという知的ゲーム」で勝利を納めている岡田さんに拍手!

コメント (2)
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