奈良のむし探検

奈良に引っ越しました。これまでの「廊下のむし探検」に倣って「奈良のむし探検」としましたが、動物・植物なんでも調べます。

志貴御縣坐神社、虫と花の撮影

2023-07-14 21:03:44 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第862弾


7月2日は桜井市にある大神神社の茅の輪くぐりをした後、平等寺に行き、さらに志貴御縣坐神社(しきのみあがたにますじんじゃ)へ行きました。ここには第十代崇神天皇の磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)伝承地があるので、一度、見ておこうと思ったのです。







平等寺を出たところに生えていました。栽培種が逃げたような感じで、調べようがないので、また、Googleレンズを使ってみることにしました。キンポウゲ科のルリヒエンソウ Consolid regalisというヨーロッパ、西アジア原産の種に似ています。





しばらく歩くと立派な建物が見えてきました。天理教敷島大教会だそうです。左側に見える山は三輪山です。三輪山を背にした素晴らしいところに建っています。



もう少し歩くと志貴御縣坐神社の一の鳥居がありました。





さらに歩くと、二の鳥居があり、その奥に拝殿が見えてきました。この神社は大和の古代豪族である磯城(しき)氏由来の神社です。この神社については、「寺院神社大事典」や谷川健一編「日本の神々 神社と聖地」に載っています。磯城兄弟の兄は長髄彦(ながすねひこ)とともに大和に侵攻してきた神武天皇の軍と戦ったとされています。弟の方は帰順し、その後、天皇家の7代まで皇妃を出してきたという名門中の名門氏族とされています。太田亮氏の「姓氏家系大辞典」によると、磯城氏は実は古代豪族の三輪氏と同族ではないかと書かれていました。いずれにしても、神武天皇が大和に入る前に三輪山あたりに住んでいた豪族ということになります。



そして、これが崇神天皇の磯城瑞籬宮跡です。もっとも「日本の神々」によると、大正時代に奈良県教育会が磯城という名前をもとに神社内に建てたもので、実際の宮は磯城のどこかほかの場所にあったものだろうと書かれていました。







拝殿の横にある末社です。



本殿を横から撮ってみました。いかにも古い感じのする神社です。



拝殿の戸にウラギンシジミが止まりました。







拝殿の横に古代の祭祀後である磐座(いわくら)がありました。石が並んでいるだけなのですが、この場所に神が降臨するのだそうです。



この日は暑くて暑くてほとんど熱中症になりそうでした。それで、早く、三輪駅近くの店に行こうと急いで歩きました。途中でムラサキシジミを見つけました。



それにオオシオカラトンボです。この辺りはシオカラトンボの姿は見られず、ほとんどオオシオカラトンボばかりでした。





帰りにもう一度天理教敷島大教会の前を通りました。それにしても立派です。この後、JR三輪駅近くの三輪坐恵比須神社にも行ったのですが、それは次に回します。


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