奈良散策 第308弾
12月11日午後に家族と一緒に郡山城址に行きました。特に目的はなくて、城址周辺を歩いてから、金魚神社と呼ばれている植槻八幡神社をちょっと覗いた後、図書館でウイルス関連の本でも借りようと思って。
まず、郡山城のお濠だった鷺池に行きました。親子がちょうど餌をやっているところで、カモがたくさん集まっていました。
ヒドリガモもハシビロガモも餌の方を真剣に見ています。
ハシビロガモは面白いのでついついいっぱい撮ってしまいました。
餌やりが終わったのか、ヒドリガモの群れが我々の横をほぼ同じ速さで泳ぎ始めました。でも、餌をもらえないと分かると、途中で引き返して行きました。
対岸に猫の姿が見えました。最近、猫を撮っているので、これもパチリ。
ここから城址公園を通り、天守台に向かいました。途中にあった柳澤神社です。ここは柳沢吉保を祭った神社で、旧藩士らが明治13年に創立したものです。
これは天守台から見たお濠です。
そして、旧図書館の建物です。
天守台からは若草山がすぐ近くに見えました。望遠で撮ると登っている人たちの姿が見えました。でも、地図で見ると7.5km離れていました。
郡山城址を離れて、そこから少し北側にある植槻八幡神社に行きました。ここは奈良時代に建った植槻寺の鎮守社として建てられたと伝えられています。植槻寺は藤原不比等と関連のあるお寺として知られています。「ココシル大和郡山城下町」というサイトによると、境内に植槻巫魚神社があり、祭神は水の神の天押曇根命で、その化身『春日赤童子』は全身真っ赤で裳を纏う姿から「金魚神社」と呼ばれているそうです。
植槻八幡神社は毎年正月7日に田植えから収穫の様子を神様に奉納するおんだ祭りが有名なのですが、境内はなぜか荒れ果てていました。狛犬の寄進者として大坂大和屋伊兵衛とあるのは、おそらく、十合(そごう)伊兵衛のことを指すのではないかと思われます。十合伊兵衛は大和国十市郡十市村出身で、1830年に大阪の難波に古着屋大和屋を開業し、それ以後、大和屋伊兵衛と名乗りました。その後、十合呉服店と改称し、1933年には百貨店として神戸そごうが開店しました。
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