社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「いのちの砂時計-終末期医療はいま」共同通信社 社会部

2012-07-17 20:44:49 | その他
 がん、難病、死産、老衰…様々な「死」について、患者本人、家族等のエピソードが綴られている。
新聞の記事がもとになっているため、とても読みやすい。そしてとても考えさせれる。
自分の家族(特に高齢の親族)は、死に方の意思表明をどの程度明確にしているのか?と、しみじみ思った。

引用
・延命治療中止の議論を受けて、とある教授のコメント…「議論の原点は患者本人の意思。『死ぬ権利』ではなく、生き方の最後の選択、つまり死の迎え方の問題として考えるべきだ」
・故遠藤周作さんの奥様のコメント…「自分が最期をどう迎えたいのかちゃんと考えて、自分の希望と、意思を伝えられなくなったときの判断を家族の誰に委ねるのかを指定しておくこと。そうでないと、家族が困ることになる。誰もが六十歳ぐらいになったらそうするのが当たり前にしたほうがいい。それで死んでゆく人間のエチケットだと思います」
・ALS患者が人工呼吸器装着後に、自分の意思で外せるようにすべきか否かを巡る議論を受けて、とある医師のコメント…「患者の意思で呼吸器を外していいのか、私には答えは出せない。でも外したくなった時に外せるなら、つけて生きてみようと考える患者は増えるかもしれない。その議論はすべきだと思うんです」



ひとり暮らしの高齢者は増え、今後さらに増えていくことが予測されている。そこで議論されることのひとつに、「どこで、どのように最期を迎えたいか」を「誰が把握しつづけるのか」があると思う。家族がいない、家族と音信不通、家族とは関わりたくない…そんな方々に対し、法律はどこまで対応できているのか?

一番大切なのは、その時を伴走している支援者が把握しつづけることであろう。しかし、人の考え方は、病状の変化や世論の変化を受けて、変わり続けるであろう。その変わり続ける意思表明に、どこまで根気強く対応できるか。
意思が変わりすぎると、「もしかしたら認知症が始まったかもしれない」と疑うこともある。「困難ケースだ」と投げやりになってしまう場合もある。

支援者も含め、自分を取り巻く人達へのマナーとして、「死」や「最期の過ごし方」について、我々はもっと向き合い、学習すべきだと思う。


いのちの砂時計: 終末期医療はいま (新潮文庫)
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新潮社
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