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社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「高齢者介護施設におけるケアの質の認識と職員間の情報共有との因果関係」山口生史(2018)

2022-09-13 14:29:02 | その他

『日本コミュニケーション学会』Vol.46 No.2,2018

 仕事の質と組織内職員間の情報共有との関係について、質問紙調査を通して探っている。特に、「情報共有の正確性」と「情報共有のタイミング」に焦点を当てている。

 

引用

・(先行研究より引用)自己効力感が向上した従業員は、その認識が低下した従業員よりパフォーマンスが上がっていた。

・仕事の質は、組織全体のあらゆる職員の連携と協働で維持され、向上するものである。

・情報を得ていないとか、伝達されるべく情報に気づいていないという状態は、情報の循環、すなわち情報共有が十分になされていないということである。

・情報共有とは、組織内の各グループ(部署やチーム)間や職員間で隠ぺいすることなく交換し、情報を組織内でとどこおりなく循環させることといえるだろう。

・(調査結果からの考察)高齢者介護施設内全体の職員間で、施設内で起こった感染症などの緊急事態、事故、ヒヤリ・ハットの情報が正確に共有されていると施設の職員が認識しているほど、彼らは自分の施設のケアの質が良好であると認識していた。

 

職員間のコミュニケーションが円滑に行われていると、ケアの提供も円滑に行われ、そしてさらに複雑な(難しい)ケアの実現にも前向きに取り組める。これは、私が介護施設に勤務しているなかで、痛感していることである。しかし残念ながら、今はそれが「できていない」という状況からの逆説的な痛感である。

私は以前、医療機関に勤務していたが、それはたまたまであったのか、多職種で構成されているにも関わらず、コミュニケーションがとても上手に取れていて、「初めてのケース」で「大丈夫かな。対応できるかな」と不安があっても、少しづつではあったが支援がうまく続いていた。しかし介護施設では、同じ職種が多いチームであるにも関わらず、「理解」「共感」「納得」がどうも円滑にはいっていない。同じ職種がゆえに、「言わなくても分かるだろうから、いちいち言わない」ということなのか、「そこまで言わないと分からないの?」ということなのか。はっきりとは見えてこないが、どうやら「暗黙の了解の域」が各々違うのに、同じ職種であるがゆえに、「わかっているはず」というフィルターは、各々持ってしまっているからではないか?と本論文を通して、気づいた。

コミュニケーションの在り方で、仕事の捉え方、仕事の質向上との関連性などに気づくことができ、今の私には新鮮な論文であった。


「ケアラー専門職の心のありよう‐仕事の介護と親の介護の両立について‐」岩井佑佳音、秋山恵美子(2022)

2022-09-08 08:22:30 | 社会福祉学

『介護福祉士』2022.3 No.27 

職業として介護に従事している人が、身内の介護も両立する必要になったとき、その心の在り方はどのようなものか。そして必要な支援は何か。

これらを明確にするために、質問紙調査を通してまとめている。

 

引用

・(調査結果より)「仕事の介護と親の介護は違う」「親には感情的になってしまう」

・ケアラー専門職が親の介護への責任感から解放されることの重要性、親の介護で追い詰められないようにするための精神的支援及び仕事と介護の両立支援研修の場の必要性が示唆された。

 

労働人口が減少する中、介護離職をいかに減らしていくのかが、現在のそしてこの先何十年も続く我が国の課題であろう。そのために入所施設を増やしていくことが政府主導で進められているが、そもそも介護従事者が少ないことが無視されていると、福祉現場で働く知人らと怒りやら飽きれるやらで、その政策を見ている。そのすっぽりと抜けている部分に焦点をあて、そして声を出していこうとしているのが本論文である。

調査結果には自由回答もあり、そのコメントは全く当然の主張であり、もっともっとフォーカスされるべきものであると強く思った。

保育士をしている友人が、自分の子育てと保育士という仕事のバランスにとても苦労しているが、介護職は終わりが見えにくい介護との両立であるため、もっと苦しいものかもしれない。多くの人の声が、きちんと届くことを切に願う。


「社会福祉援助技術としての葬儀‐ターミナル・グリーフケアの狭間に‐」大西次郎(2012)

2022-08-30 13:08:11 | 社会福祉学

『佛教大学大学院 社会福祉学研究科篇』第40号(2012年3月)

 

遺族に焦点をあてたグリーフケアではなく、死にゆくその人を中心にとらえた支援とは?について、

論じている。

「終活」という言葉が登場する少し前に書かれた論文であり、「そういう捉え方をしていた時期もあったな」

という部分も多い。しかし、葬祭、ターミナルケア、グリーフケアといった事柄について丁寧に概説されており、

頭の整理には大変役に立った。

 

引用

・特別養護老人ホームを主体とする生活施設へ高齢者が入居するその時こそ、彼(女)ら自身の死に対する悲嘆を汲み取るべき、一つの重要な契機なのである。

・(先行研究を概観した結果を踏まえ)死後の処置にまつわる行為の中で、死に逝く本人へ向けた眼差しは極めて乏しいのである。

 

私は現在、特別養護老人ホームに勤務しているが、施設での看取りは「一般化」していると認識している。しかし本論文で指摘されているような高齢者自身への喪失へのサポートはなく、「看取りに対する意思確認」を「家族」に行うことで、「看取りケア」を実践していると職員が体感している部分が多い。

 

コロナ禍で面会ができていない入居者でも、「看取り」のステージにくれば、一定の制限はあるものの面会は可能となっている。職員は「家族」には思いを確認するが、本人にはどの程度確認できているのか?…正直なところ、十分ではないと考えている。それは入居時点で、重度の認知症のために意思確認が困難であることも一つの原因ではあるが、それよりも、入居者がそれまで生きてきた時間に職員が目を向けていない、ということも少なからず原因であると考えている。

「認知症の手がかかる人」「体が大きいから、移乗介助が大変な人」「食事介助に時間がかかる人」…いま、目の前にいる入居者に対して、いまのその状況にネガティブにとらえがちであることも否めない。

施設での看取りが増加していくことを考えると、ターミナルケア・グリーフケアという以前に、その人を捉えるチカラが、支援者に求められているのであろうと痛感している。

 


「DV被害者である親が経験する子育ての実態」増井香名子、岩本華子(2022)

2022-08-01 10:11:49 | 社会福祉学

副題:当事者インタビューの分析から児童福祉実践への示唆

DV被害者である女性が、その現実と向き合いながら子育てをしていく実態について、当事者のインタビュー調査を通して明らかにしている。

 

引用

・被害親(DVを受けた母親)の子育ては、加害親(DVの加害者)による暴力と支配により「親機能の奪われ」を経験すること、一方で暴力と支配に対抗し「親機能の必死の遂行」を行っていることが明らかになった。

・日常のなかで子育てを遂行することがさまざまに壊され困難がもたらされるなかにおいて、被害親の相当ながんばりにより子どもの育ちが実際に支えられていることが明らかになった(←被害親のストレングス)。

 

インタビューの回答内容は、読んでいてしんどい気持ちになるものもあるが、それは現実に起きていることなのである。

そう思うと、過酷な状況下においても、必死にその場面をしのぎ、日々を生き抜いていることの強さに驚かされる。

DV被害者は弱者であると思われがちであるが、子どもの前では「強さ」を発揮していることが多くある。

筆者も述べているが、その「強さ」に気づき生かしていくことが、長期化していくであろう子育て支援を効果的にしていくのだと思う。


『施設高齢者の居住性を支える「逆ショートステイ」の実践的研究』立松麻衣子(2017)

2022-07-02 09:32:49 | その他

副題:介護事業所と地域の役割相乗型連携による高齢者の地域居住に関する研究 『日本家政学会誌』Vol.68 No.6

 特養など、いわゆる終の棲家への施設入所となると、高齢者は家族や地域から分断された空間で過ごすことになる。そういった施設高齢者の社会関係の維持・再構築を意図した取り組みを実施し、効果を整理しながら、施設高齢者が社会とのつながりを意識しながら生活することの影響を検証している。「逆ショートステイ」という聞きなれない言葉で表現されているが、取り組み例を紹介していることもあり、とても分かりやすい報告であった。

 

引用

・逆ショートステイが高齢者にもたらした良い効果…①保障性・安定性・快適性・安心性・貴族性(施設以外にも、自分を迎えてくれる場所がある、と体感できる。) ②入所前の生活との継続性 ③意識の変化(生活主体者としての意識の変化が起こった。) ④家族関係の再構築 ⑤生活の安心感と施設への帰属性 

・逆ショートステイが家族にもたらした良い効果…①精神的効果(入所させたことへの罪悪感を払拭できた等) ②逆ショートステイ実施体制づくりの協力 ③施設生活への協力(家族が施設に抵抗なく足を運べるようになった等)

 

 コロナ禍の今、施設で生活をしている高齢者の社会との分断は、より一層強いものになっていると実感している。面会の機会も制限され、外出も緊急時以外は控えることを余儀なくされている。そのため、生活にメリハリがなくなり、「出されたものを食べる、流れているテレビを眺める」といった、味気のない生活が「日常」となってしまうのである。施設職員も、家族の出入りがないためか、居室などの掃除はおろそかになり、居住空間というには忍びない状態であることも、残念ながら体感している。施設職員の慢性的な人員不足が解消されない限り、質の高いケアは実現できないという主張も否定はしない。しかしながら、この論文を読み、社会と切り離されていることがどれだけの弊害を生んでいるのか、身につまされる思いである。

 


「学校教育における慢性疾患や障害のある子どものきょうだい支援の課題」滝島真優(2021)

2022-06-13 16:16:52 | 社会福祉学

【副題】教員によるきょうだい児の認識とかかわりの現状分析から 『社会福祉学』第62巻第4号

きょうだい児に対する教員の認識を明らかにし、学校教育における組織的なきょうだい児支援の在り方について検討することを目的としている。

方法として、教員に対する質問紙調査を実施している。自由記述では、苦悩しながらもきょうだい児と向き合おうとされている教員の姿を知ることができ、現状を丁寧に取り上げている印象を受けた。

 

引用

・学校生活における影響については、3割弱のきょうだい児に行動面や学習面などに関する影響がみられると教員は感じており、(中略)きょうだい児が必要以上に努力する様子や常に周囲に気を遣うなど学校生活上の過剰適応と捉える記述も示された。

・調査を通じて、教員が家庭の事情を詳細に把握することの困難さがあることが分かった。(中略)教員はきょうだい児の生活背景の一部を捉えることは可能であるとしても、(中略)きょうだい児の生活状況に応じて個別に直接的な支援を提供するには制約がある現状が想定される。

・今回の調査では、きょうだい児への対応については教員個々の努力による解決が図られており、学校専門職との連携を踏まえた組織的な対応事例は限られていることがわかった。

 

領域を問わず、支援の一番最初の最初は「有志」や「熱い想いのある人」など、個人の裁量(力量?)によって担われている。きょうだい児支援はようやく学術的にも注目をされるようになり、「専門的に」「組織的に」の取り組みの第一歩になり始めているのだと思う。

医学が発達し、一命をとりとめることが可能になった新生児が増え、医療的ケア児への支援が進んでいる。医療的ケア児には、きょうだいがいるかもしれない。そのきょうだいが支援の一端を担うことも少なくないであろう。それを考えると、医学、社会福祉学、教育学、心理学などなど、横断的な支援の検討がより一層、重要になってくるのだと思う。


「在宅療養支援診療所の医療ソーシャルワーカー自身のスピリチュアリティに関する考察」大賀有記・他

2022-06-11 09:24:23 | 社会福祉学

副題:「人が人を支援する意義」『社会福祉研究』第23巻

スピリチュアリティを研究の視点とし、ソーシャルワーク分野におけるスピリチュアリティについて考察を深めている。

その方法として、在宅療養支援診療所の医療ソーシャルワーカー(MSW)を対象にインタビュー調査を実施しているため、在宅医療を活動領域としているMSWの実践活動を知ることもできる。

引用

・スピリチュアリティは人間の革新であり、それは自己・他者・超越的存在との関係において見出されていくものといえるだろう。

・在宅療養支援診療所の在宅MSWは、【多様な最後の受け入れ難さ】が社会的背景としてあるなかで、本人の意思を実現できないことが少なくはなく【意思決定支援の意義の再検討】という課題に直面している。その一方で在宅MSWとしての役割・機能が十分に発揮できないことや患者の死という【喪失体験を収めていく】過程を通して、【生と死の関係性を考える】ことが分かった。

・通常のソーシャルワーク支援の中にはスピリチュアリティの要素が十分入っている(ことが見いだされた)。

・スピリチュアリティの動きを認識することにより、在宅MSWとクライエントとの間でつながりと責任の感覚が共有され、それがより豊かな支援につながる可能性がある。

 

「スピリチュアルケアをしよう」と構えて、形を整えて、あらたまった時間を設けて…という方法でなくても、支援者がその意識を持ち、かかわりの中で重んじていくことで、自然と実践はされている。というようなことは、他の書物等でも述べられている。

しかし現実には、その言葉を知らず、本当は適切なケアができているのに、「自分たちは何もできなかった」と肯定できていない支援者が多くいる。支援者の実践を整理し、肯定し、豊かにしていくためにも、スピリチュアルケアという言葉は活用できると、本論文を通して知ることができた。


「在宅医療ソーシャルワークの意義に関する考察」大賀有記『社会福祉研究 第22巻』

2022-06-03 16:47:21 | 社会福祉学

副題:-スピリチュアリティに配慮したソーシャルワークの観点を参考にー

 

在宅診療を行う在宅療養支援診療所のソーシャルワーカーの活動についての文献から、その役割や機能についての記述を整理することを目的としている。

数少ない先行研究を丁寧にまとめ、分かりやすく分類している。在宅医療におけるソーシャルワークを知るためには、とても有効な論文である。

 

引用

・ソーシャルワークは生きている人全体を対象とし、彼らが生を全うするまで支援を継続する責任をもつ。

・(先行研究を整理した結果として)在宅医療ソーシャルワーカーの専門性は、①クライエントの主体性を尊重した医療実践に影響を与えること、②クライエントを包括的に理解し、その日常生活を脅かさないような医療と看護のあり方を提案すること、③人(ミクロ)と環境(メゾ・マクロ)の双方に働きかけ、その関係性を調和させるソーシャルワーク実践を行うこと、④生活の場における積極的なニーズの把握とその継続的対応を行うこと、⑤メゾ・マクロレベルに偏重することなくミクロレベルの実践をすることにより個々人が尊重された生活を送ることができること、といえる。

 

この論文が発表されたいま現在、「在宅医療ソーシャルワーカー」「在宅医療ソーシャルワーク」という言葉が、戸惑いもなく用いられ、そして受容されていることにとても感銘を受けた。

私が現場で実践をしていた頃そして、初めて調査をした頃(1999年~2010年)、とてもあいまいでフワフワとした存在であったものが、

この論文のようにひとつにまとめられるほどに、量的にも質的にも蓄積されていることが本当に本当に嬉しい!!

 


『認知症ケアで大切なことー介護場面における「ケア対コントロール」と日常会話』佐藤眞一(2019)

2022-05-25 16:32:33 | 心理学

『学術の動向』2019.5

 

認知症の人が感じる苦痛、介護する側がいつの間にか抱いている「支配すること」で得る満足感について、

事例を用いて論じている。

学術的な用語があり、読み進みにくい部分もあるが、「ハッ」と気づかされる論文である。

 

引用

・介護の場面では、自立の危機にある介護される側の高齢者は、人間としての対等性を前提として他者と関わろうとしても、それが叶わないことによって苦しみが生じる。

・人間関係一般における親密さは、ケア(care)とコントロール(control)の二側面からの説明が可能と考えた。ケアとは、相手を心配し、世話をすることを表しており、情緒的側面にも物質的側面にも関連する概念である。(中略)一方のコントロールは、相手に対する支配、管理、監督、制限、抑制、強制、束縛、高速などに関連する行動の背後にある心理的規制である。(中略)同じ行為であっても、相手がそれを愛情のある世話を認識するか、自由を奪う束縛と感じるかは、両者の関係性の質そのものを示している。

 

本論文では、ケアの提供を受けたものは、何かを返したいという気持ちになる。しかしケアを受ける高齢者は、金銭的にも物理的にも返すことが困難であり、「ケア」であるはずの行為にも心理的な苦痛を感じる…ということも紹介されている。そして、行動に見合ったお返しが得られない介護を提供する側は…。

互いの関係性がバランスの取れたものであれば、支配されている/支配しているという感情は抱きにくいであろう。

介護職に就く人が、いつの間にか「ケア」から「コントロール」に移行してしまうことは、他の職種よりも低賃金であることがその要因のひとつになりうると感じた。


『「さよなら」のない別れ 別れのない「さよなら」-あいまいな喪失ー』 ポーリン・ボス(南山浩二訳) 再掲載

2022-05-07 12:52:27 | 心理学

今朝の読売新聞に表記の本が紹介されていた。

新型コロナウイルスの終息が見えない昨今、この考え方が注目されているとのこと。

2012年に本ブログで紹介した記事を再掲載。

↓ ↓ ↓

米国の家族療法家(心理学の専門家)による書物。
「死別」に限らない「喪失」の存在に注目し、「喪失をした証」(*死の場合は葬儀が存在し、それがある種の喪失の証となる)がない場合の喪失へのアプローチについて臨床経験を踏まえて報告している。

引用
・曖昧な喪失には、二つの基本的な種類がある。第一のタイプは、死んでいるか、生きているかどうか不明確であるために、人々が家族成員によって、身体的には不在であるが、心理的には存在していると認知される場合である(例:離婚家族、養子関係の家族)。第二のタイプは、人が身体的に存在しているが、心理的に不在であると認知される場合である(例:アルツハイマー病、アディクション、慢性精神病等)。

・医師は、しばしば、未解決の深い悲しみの徴候を伴う患者に、抗うつ剤を処方する。しかし、薬物療法は、確かに大きの場合有益であるが、曖昧な喪失とともに生きなければならない家族成員を助けるのに十分ではないかもしれない。


学生時代の恩師が東日本大震災後に、支援に向かったソーシャルワーカーにスーパービジョンを行った際、本書の理論を用いたという。
津波等で家族の行方が分からない状態で過ごしている方たちは、まさに「あいまいな喪失」の只中であろう。
どこで/なにで気持ちのギアチェンジをしたらよいのか、死別とはまた違った形での喪失へのケアが必要なんだと気付かされた。

老いや慢性疾患による生活上の不都合も、あいまいな喪失に含まれるであろう。
そうとらえると、喪失に関する知識やケアの技術は、どの領域の援助者にも必要不可欠である。
頭の片隅に…だけでもいいので、「喪失は死別に限らない」と是非知っておいて欲しいと思う。