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現代草紙

 生きよ堕ちよ、
明るく楽しく健やかに!
  ヾ(゜∀゜)ツ

現代草紙はいつでも安藤美姫選手を応援しています。

いつ、日はまた昇るのか?

2008-12-31 18:37:05 | 日々の徒然
がんばれがんばれできるできる絶対できるがんばれもっとやれるって!! やれる気持ちの問題だがんばれがんばれそこだ! そこで諦めんな絶対にがんばれ積極的にポジティブにがんばれがんばれ!! 北京だって頑張ってるんだから!

 っと思うまま、まったくちゃんと更新できないままに公演が終わってしまいました。
次は来年5月とのこと、お楽しみに!


 今年関わって頂いた全ての皆さまありがとうございます。
今年も変わらず、喪中でもないのに年賀状は送れません。ごめんなさい。

 来年も良き年になりますよう。
今年もまた結局通年の演習を落とすのでもうなんかもぅダメな感じです。卒業に必須な演習の単位は12もあるっていうのにどうしたらいいの? 留年分の学費が出るとでも思ったの?バカなの?

 前期は授業に行けても後期で結局行けずに落とすという黄金パターンをこの3年間繰り返しています。おぉ怖い怖い。


 妄想と想像の違いを築いた方がいいということを最近思う。それには気付くことも必要だけど。パフォーマンスに限らずアートを思考する人の中に、それを意識していない人が多いように思う。妄想は自己完結し拡張性に乏しい。一方想像は他人を巻き込む力を持つ。見るに足る何かはその中から生まれる。アーティスト(もどき)は見せることに意識的ではない。スペースを使って妄想を企てることに興味の主軸はある。
 日常からはみでたところにいるマッチョな自分が愛おしいだけなのではないか。そう感じる場面にたびたび出会う。そうして作られる作者には分かったつもりの舞台は、他人には届かない。うまくできているつもりでも、妄想が役者にさえ伝わっていないときは目も当てられない。観客にとっては退屈極まりない作品となる。
(中略)
 見る者を納得させるために作品に固定された説明を求めているのではない。妄想ではなく想像によって作り出された作品は、居合わせた観客にとってあれこれ想像する力と、解釈の自由性を生み出すように思う。

 田村武<京都精華大学講師> - 「テクノとマッチョ 4 妄想と想像」 - P.A.N.通信 Vol.36掲載より


 「田村武」でググると「社会基盤工学専攻応用力学」だとかいった魔法に精通した京大の教授さんがTopで出てくるのですがきっと別の人だと思います

 Performing Arts Network


 来年も良い舞台に関われたら嬉しい。

 じゃぁ、バイトに行ってきます。
          _| ̄|〇