碧田直の いいじゃないか。

演劇ユニット、ミルクディッパー主宰の碧田直が、日々を過ごして、あれこれ思ったことを、自由気ままに綴ります。

無題そのごひゃくろくじゅういち

2017-10-31 21:52:53 | 日々
今日も快晴。

ハロウィンである。
子供のころは、このようなイベントというか、風習があるとも知らず、長じて、その存在は知ることになるが、まだまだ定着したとは言い難かった。何年前になるのか、仮装というポイントでみんなが食いつくようになり、気づいた時には、必ずニュースになるようなイベントになっていた。現在の職場は渋谷なので、この数日間、アメコミヒーローだったり、ピカチューだったりが路上を歩いていた。今頃、職場近くはさまざまな仮装の若者たちでごった返していることだろう。
ハロウィンの本来の姿は、宗教的な意味合いの濃い祭だったそうだ。アメリカなどでは、子供たちが仮装をして、家々を練り歩き、お菓子をもらうようで、それは、俺が子供のころにやっていた「悪魔っぱらい」と同じようなものだ。
「悪魔っぱらい」は、小学校一年から小学校六年までが参加する(だったかな)イベントで、一月か二月の寒い時期に、玉串を手にした子供たちの集団が、家々を練り歩き、中に入れてもらって「悪魔っぱらい、悪魔っぱらい」と叫びつつ各部屋を回る。最後に心づけをいただいて、また隣の家へ行くのだ。
各地域で、さらに細かなグループ分けがされていて、それでも総勢十名から十五名ほどが練り歩くのだから、かなりうるさい。だから、家の中に入れてもらえずに、玄関先で心づけだけ渡して済ませる家も多くあった。自分の家ともなれば、もちろんそうとはいかず、むしろ先頭に立って案内し、張り切って声を張り上げていたように記憶している。ただし、俺は引っ越してきた者だったので、リーダーや太鼓叩きのような重要な役には、声すらかからなかったのだが。それでも、最上級生となったときには、一万円くらいのお金を、これで手に入れたはずだ。
親に聞いたところでは、今では、少子化の影響で、ごく少人数のグループでやってくるらしい。寂しくなったものだ。
風習や因習は、閉鎖的な村社会が唯一にして最大のコミュニティだった時代に、最大の効果を発揮したに違いない。世界の情報が一瞬で地球の裏側にまで届くような世の中にあっては、この国でハロウィンが一大コスプレイベントとなり、「悪魔っぱらい」が風前の灯なのも仕方がないのかもしれない。
だが、あれはハロウィンにも負けない一大イベントだったと、今にして思う。俺たちはおそらく、家に巣食う悪魔を払うことはできなかったが、玉串を手に他人の家に入るときの高揚感は忘れられない。ひょっとしたら、悪魔を本当に払えるのではないかと、ドキドキしたあの気持ちは、きっとハロウィンに参加している若者たちのそれと比べても、ひけをとらなかったのではないかと。
コメント
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