その日 3

2011-02-22 00:05:13 | 日々の考え事
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「その日」は突然やって来た。

先日、思い切って「コンポステラ組曲」の楽譜を取り出して
譜面台の上で開いてみた。
レッスンを受けた時の師匠の書き込みは
今見てもそのとき何を注意されたか、パッとわかるから不思議だ。

驚いたのは、第一項目のタイトルの上に記されたサインだ。
最初すぐには思い出せなかったが、なんとこれは
その突然の死を誰もが惜しんだ、スペインの巨匠、
ホセ・ルイス・ゴンザレスのサインだ。
確か、亡くなる数年前に来日した際に、マスタークラスを
受講した時のものだ。
最後の日本ツアー直前の突然の死だったので、実質的に
最後の来日だったかもしれない。
その数年後に企画された最後の日本ツアーでは、一緒のステージに
立たせていただく予定だっただけに、今でも残念だ。
自分が、そんな素敵な出来事を忘れていたのに驚いた。

楽器を取り出して、第一曲目、プレリュードを弾いてみる。
あの頃、永遠に続くかの様に思えた難解なパッセージは、たった13小節。
サラッと弾けてしまい、なんだか肩の力が抜けた。
音符を追いかけるのに精一杯だった昔と違い、
今なら、フレーズ一つ一つのリズムや響きをさっと感じ取って、
そのフレーズの意味や、流れがはっきり全体としてつかめてくる。

20年近くも変わる事のなかったこの曲に対する
僕のイメージは、一瞬にして、大きく変化した。
茶色に錆び付いていた鍵は一気にはじき飛ばされ、
ひからびたイメージの音符達は
今やすっかりもとの瑞々しさを取り戻したのだ。
僕は今、ようやくあの苦い思い出から解放されたのだった。

なんだ、こんな事ならもっと早くこうすれば良かった。
これなら、ここ数年来取り組んでいる
J.ロドリーゴ(アランフェス協奏曲の作曲者)
の「祈りと踊り」の方が今の僕には難しいかもしれない。
(決して、「コンポステラ組曲」のほうが劣るという事ではない)
やっとこの曲に純粋に向き合える時が来たのだ。
ずいぶん遠回りしたが、今がその時と考えよう。

誰にでも苦い思い出はある。
僕はそんな思い出の中ばかりに生きている。
でも、その苦い思い出の一つ一つから
解放される「その日」がまた必ず来ると信じている。


その日 2

2011-02-15 00:35:52 | 日々の考え事
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この曲との最初の出会いは、意外にもアメリカでの事だった。

大学三年の夏休みに僕は語学研修旅行でネブラスカを訪れた。
約30日間のプログラムを終えて、
後の10日でアメリカの主要な大都市を観て回った。

確か、サンフランシスコだったと思う。
とても大きな店構えの、しかもハデハデなネオンの
TOWER RECORDSの看板を偶然見つけ何とはなしに店に入った。
当時、クラッシックの、しかもギターにしか興味のなかった僕は
恐らく,かっこ良くディスプレイされたであろうロックや他のレコードには
目もくれず、真っ先にクラッシックのコーナーで
ギターを探したのであろう。

そこで僕は、日本国内では今まで目にした事のない一本の
カセット・テープと偶然出会う。
山下和仁の『ミュージック・オブスペイン』というアルバムだ。
ジャケットは髪を振り乱して弾く山下のモノクロ写真だったと思う。
CDがあっという間にレコードを過去のものにしつつあった時だったが
そのとき僕が持っていたのはまだカセット・ウォークマンだった。
「コンポステラ組曲」はA面の1曲目だったと思う。
美しいプレリュートが流れ出したとたんびっくりした。
今まで耳にしたどのギター曲とも違う響きがした。
何とも言えない瑞々しさが、曲全体にあふれている。
初めて訪れた異国の地で、
何か特別な見付け物をした様な気がして興奮した。
語学研修の目的とは別に、“大きな収穫”の一つだった事には違いなかった。

直感的にすぐに「弾きたい」と思った。
今すぐには無理でも、いつか弾けるようにしてやろう、位には
漠然と考えていた。
しかし、まさかこの曲で、後にコンクールに挑戦する事に成るとは
考えても見なかった。
(つづく)

写真は、後に国内で発売されたCD(1992.5.21発売)
ジャケットはオリジナルと違っている。
今から思うと、アメリカでテープを買った当時
まだ国内では「コンポステラ組曲」も
B面に収録されていたであろうV.アセンシオの
「内なる想い」もまだあまり演奏されていなかったように思う。
国内未発売だったのもうなずける。
アメリカで手に入れたカセットテープは、
先日、万感の想いで処分した。


その日 1

2011-02-14 10:56:40 | 日々の考え事
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誰にでも苦い思い出はある。

僕にもその苦い思い出と共に、心にずっと引っかかっている曲がある。
スペインはバルセロナの作曲家、フェデリコ・モンポウ作曲の
「コンポステラ組曲」だ。

闇雲にコンクールに挑戦していた20代の後半に
コンクールの自由曲として、何回も、何年にも渡って取り組んだ曲だ。

当時はまだ、今とは別の仕事をしながらの修業時代で
今よりもずっと景気の良かった頃だから、仕事も
それなりに忙しく、自由曲と課題曲に取り組むと
その他に手を出す時間もない。
また、当時の自分はまだ技術的にも未熟で、
今ほど譜読みも早くはなかった。
結果、毎回同じ曲を自由曲としての挑戦となった。

僕は焦っていたのだと思う。
プロを名乗る為に何か確かな結果が欲しかったのだと思う。
一年中コンクールの事だけを考えて暮らす生活を繰り返すうちに
いつしか自分を消耗して行った。
ヘトヘトになって仕事から帰ってきてから
2時、3時まで練習する事が何か、
駄目な自分への復讐のような気がしてきた。
僕は目的をすっかり見失っていた。

コンクールへの挑戦からは、多くを学んだが、
結局結果を出せずにその時期は過ぎていった。
それと同時に僕はこの曲から“解放”されたのだ。
もう、しばらくこの曲を弾く事はないと思った。
すっかり古ぼけた焦げ茶色の楽譜の表紙を見るのも嫌になっていたからだ。
それ以来、僕はこの曲にカギをかけてしまった。

ながい時間が過ぎた。(つづく)

写真は、先日家族で訪れた秩父の宝登山(ほとさん)のろう梅。