アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

ダンテス・ダイジの教えの全貌-4

2021-05-10 03:46:58 | 現代冥想の到達点
◎古神道

ダンテス・ダイジと古神道の関わりと言えば、出口王仁三郎だが、あまり見えにくい。彼は、大本教の短期セミナーに参加し、立替立直しを学び、鎮魂帰神も学んだことがあるらしい。

霊界物語に三神系という主要神の系図があるが、その中の野立彦神こそダンテスであるという説明も自らしている。古神道の言霊では、返しというのがあり、NODATEはDANTEに返るのだろうか。

彼の冥想道手帳に次のものが入っている。
1.天の数歌
 「一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 百 千 万」
(読み:ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たり もも ち よろづ )
天の数歌を唱えれば、あの世もこの世もまとめて修祓できる。

2.われもなく現世(うつしよ)もなくただ一人神の御前(みまえ)に平伏(ひれふ)しをろがむ
(出口王仁三郎/大本の道 第6章 祭─惟神の大道に所載)

3.大本宣伝歌
 「朝日は照るとも曇るとも
月は満つとも欠くるとも
たとへ大地が沈むとも
まがつの神がすさぶとも
誠の力は世を救う

三千世界の梅の花
一度に開く神ののり
開いて散りて実を結ぶ
月日と土の恩を知れ

この世を救う生神(いきがみ)は
高天原(たかあまはら)に神集(かむつど)う

神がおもてに現われて
善と悪とを立て別(わけ)る

この世を創(つく)りし神直日(かむなほひ)
心も広き大直日(おほなほひ)
ただ何事も人の世は
直日に見直せ聞直せ
身のあやまちは宣(の)り直せ。

ああかんながらかんながら
たまちさちはえましませよ」

世界全体の立替立直しが発生し、誠の力により、善なる者だけが次のみろくの世に残っていくことを宣伝している。

4.冥想道手帳ではないが、「われは空行く鳥なれや」の歌を大変気に入っていて、揮毫などしていた。
この歌は、出口王仁三郎が高熊山の一週間修行で大悟した際に詠んだ歌。まるでダンテス・ダイジ自身が出口王仁三郎になったかのような心酔ぶりである。
『我は空行く鳥なれや
○○○○○○○○○○(原文のママ)
遥に高き雲に乗り
下界の人が種々(くさぐさ)の
喜怒哀楽に囚はれて
身振足振りする様を
我を忘れて眺むなり

実げに面白の人の世や
されどもあまり興に乗り
地上に落つる事もがな
み神よ我れと倶(とも)にあれ』

ダンテス・ダイジは、出口王仁三郎の古神道とのかかわりについてあまり言及していないかに見えるが、本田親徳、出口王仁三郎と続く日本近代の神業に密接にかかわっていたことは疑いもないと思われる。

だが、弟子たちに大本教に入信せよなどと指示した例は聞かない。その辺は、大本教との関わりについては距離を置いていた印象がある。

私も最近でこそ、出口王仁三郎の事績や大本教の歴史や概要についていささか承知しているが、1970年代においては、ネットもなく、さほど情報を集めることもできなかった。

ただしダンテス・ダイジが、殊更に日本に出現し、かつ出口王仁三郎に大いに関心を寄せ、その鎮魂帰神の技と生き様に大いに感銘を受けていたことは、はっきりしている。ダンテス・ダイジは、社会性、特に政治方面には関わりは薄かったが、古神道に係る部分は例外的に霊的に関与していたと見るべきだろうと思う。ここはご神業であるがゆえに隠されている部分ではある。

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ダンテス・ダイジの教えの全貌-3

2021-05-09 07:51:34 | 現代冥想の到達点
◎ソーマ・ヨーガ

求道者は、いつの時代も悟り薬を求める。何のために?
生きる苦悩と死の恐怖を超え、無上の歓喜を求めるために。

ダンテス・ダイジは、高弟の一人に対して、『死とは、水を張ったバケツから腕を引き抜くようなものだ。』と語ったそうだ。

薬物ジャングルの探検者ティモシー・リアリーが妙なことを書いている。ケタミンによって引き起こされる臨死体験に際して、『それを経験する者が誰もいないのに、宇宙の全情報が通り抜ける』のだそうだ。これは、例の『体験とは言えない体験』の別の表現である。

『ケタミンが引き起こす遊体離脱体験はしばしば浮遊感を伴い、トンネルを通り抜けている感じに近いという。またどんなに高用量のサイケデリック・ドラッグも自我の喪失感では、ケタミン投与にかなわない。それを経験する者が誰もいないのに、宇宙の全情報がどうやって通り抜けていくのか、それをR.U.シリアスは不思議に思ったという。ケタミン体験において死はとてもリアルだ。この世界と次の世界との間の薄い膜を肌で感じることができ、しかもそれは恐ろしくない。他のサイケデリック・ドラッグでの死で体験するようなパニック感が、ケタミンの場合には皆無だ。ケタミン体験の最中は、置き去りにしてきた世界のことがほとんど気にならない。』
(死をデザインする/ティモシー・リアリー/河出書房新社P220から引用)

このケタミン体験では、肉体に戻れない不安など毛ほどもないことが示される。水を張ったバケツから腕を引き抜くとは、そういう感じなのだろうか。

ヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスに師事したカルロス・カスタネダは、ソーマ・ヨーガ(薬物冥想)を長年探求したが、そのほとんどの年月は、本番ともいうべき“飛び込む”時節までに、自分の関わってきたすべての人に別れを告げるなど、自分の準備に費やされた。

西洋錬金術書に“近道”というような表現が出てくることがある。近道として、ソーマ、向精神性薬物を一定量摂取さえすれば悟れるかといえば、決してそんなことはない。まず準備ができているかどうかが問われる。

富士山登山でも、八合目まではなんということはないが、それ以上になると低酸素により高山病を感じ、かなりの人が登山路にうずくまっていることに似る(田中陽希のTV番組グレートトラバース富士山)。

ソーマ・ヨーガと言えば、古代インドのベーダの昔から伝承され、その価値の奇天烈性は、漁師のおしっことして与えられたりすることで象徴される。

また準備が完全にできていなければ、似非サマディーなる見神見仏にとどまる。自分が死んではいないのだ。

1960年代から70年代にかけ、薬物規制のゆるかったカリフォルニアとメキシコを舞台に描かれた長編小説のカルロス・カスタネダのシリーズは、1980年代から90年代には日本でもよく読まれた。

どんな冥想でもそうだが、正しいグルのいないソーマ・ヨーガは危険である。クンダリーニ・ヨーガが危険とされるのと同様に。

ダンテス・ダイジのソーマ・ヨーガでは、常にドン・ファン・マトゥスが意識されていたのだろう。カルロス・カスタネダへの言及は多い。
只管打坐も含めたラージャ・ヨーガでは、常に先入観を壊す、先入観を排除するという修行も行われる。ソーマ・ヨーガでは、そこを飛び越えるがゆえに、それに耐えられるかどうかというポイントは常にある。

今の時代は、うつ病の蔓延により、向精神薬がどのようなものか実体験している人が多いが、治療の方向性は、社会人として適応させることに向かっているので、そもそもソーマ・ヨーガとは方向が異なる。

それでもアヤワスカにまともにチャレンジした藤本みどりのような人もいるので、危険をはらむトラップ付超特急のようなメソッドとしてソーマ・ヨーガはあり続ける。

そうやって成功せず討ち死にした無数の人もいることは、カルロス・カスタネダのシリーズに記載されているし、クンダリーニ・ヨーギ本山博が霊界で目撃したような人々の中にもいたのだろう。

道教の魏伯陽も弟子の準備ができているかどうかを確認するために毒薬をあおった。

ソーマは逃げないが、まずは自分の準備ができる時節を待たねばならない。だが時節が待ってくれるかどうかは、一生一回きりしかない我々にとっては心もとないものである。

ダンテス・ダイジのメディテーション・トラベル・ガイドには何篇かのソーマ・ヨーガをテーマにした詩があるが、その一部。
『素直であればいい
混乱や恐怖や不可解な中でも 
ただ素直であるしかない
天国だろうと地獄だろうと 
俺はあるがままでいるしかない

ドラッグ・ソーマの神は 
時にトリップ者を 
トリップの袋小路に誘い込む

それはトリップ者が 
耐えられるぎりぎりのトリックだ

そしてこの耐え難い 
トリックパズルを 
解くやり方は

素直であること 
それのみである

恐れるな
恐れにどんな根拠もない

今こそ 
君はすべてのすべてを見る 
君がすべてのすべてだ』
(メディテーション・トラベル・ガイド/ダンテス・ダイジ/ソーマ・パイロットの言葉から引用)

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ダンテス・ダイジの教えの全貌-2

2021-05-08 06:23:04 | 現代冥想の到達点
◎まず否定はせず肯定するのが常だった

ダンテス・ダイジの著書『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』に四つの章があり、マントラ禅、丹田禅、クンダリーニ・ヨーガ、只管打坐と四つの章が並んでいるので、たいていの人は、この四つの門が彼のメインの教えなのだろうと勘違いをする。

だが彼の裏主著というべき『老子狂言』では、老子という只管打坐系の覚者を看板に掲げてはいるが、悟ったままに遊ぶ、あるいは醒めたままで狂言するの如き、およそ社会性とは全く無縁の自分の運命を自由自在に生きる覚者の姿が次々と描かれている。

ダンテス・ダイジの弟子たちには、マントラ禅、丹田禅、クンダリーニ・ヨーガ、只管打坐をメインに修行した者たちが多いのだろうが、彼自身のエピソードを追ってみると、出口王仁三郎の古神道とヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスのソーマ・ヨーガの影響も見え隠れする。

ダンテス・ダイジの基本姿勢は、誰か有名宗教家や他人の修行法について、まず否定はせず肯定するのが常だった。『それでも、いつかは窮極に至ることはできる』などと云って・・・・。真言立川流とか、宗教ではないが国家を邪境化する共産主義には否定的だったが、それは例外的である。

つまり彼は、その修行法が間違っていようが、彼の目からは誤った修行法に打ち込んでいる人も既に神であり、またそんな修行者も何生か後には大悟するという遠大なサイクルの下にそう言っているのだろうと想像される。

だがそういう姿勢は、邪教を世にはびこらせることを妨げないということにもつながっていく。ダンテスの悪影響としてそのことを自ら一章を割いて説明しているのだが、そのことですら、わかる人にはわかる類のことである。

かくして現代は、経済的利益と便利を求める罠に完全にはまったがゆえに、このcovid-19の先の視界に世界全面戦争が見え隠れすることになり、恐慌をきたしている人も増えつつある。ダンテスの悪影響なくば、次の至福千年の開花の全面性は完璧を期せなかったか。それは、あなたのせいではなく、ダンテスの悪影響のせいか。

『悟りのテクニシャン

私は宇宙のカラクリを
見抜くテクニシャン。

すべての道術家がそうであるように
私はこのテクニックに、
すべてをかけているつもりだ。

そして 
すべての答え——
私自身の愛と全智全能とを 
いくたびか知り
そして、それと合一した。 

が、
私は何も知らない。
尾骶骨が痛むように···』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

ダンテスの悪影響とは、最後の
『が、
私は何も知らない。
尾骶骨が痛むように··』
のところですね。

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核兵器による恐怖の均衡とその責任者-2

2021-05-07 03:45:36 | 冥想アヴァンギャルド
◎すべてのすべてが自分であるという実感

OSHOバグワンは、世界の現状が、個々人と密接に連動していることを知っている。世界は一であり、有であり、アートマンである第六身体であるという立場において、世界の累卵の危うきにある現状の責任を各個人の責任であるとする。

その立場では、既に世界と個人は逆転していて、すべてのすべてが自分であるという実感においては、自分が誰かを傷つけたり、殺したりすることはあり得ない。この実感を体験するのは、すべてのすべてである自分であって、それは追体験してもらわないとわからない。

この追体験のことを大悟とか、入我我入とか神人合一と呼ぶ。それを経た人は、群衆の中にあっても慈悲に生き、人類の自殺を手助けすることはない。

神々にはそうでない立場もあるが、それは俗人の関与すべきことではないと思う。

『だが、おそらく奥深いところでは、人類はそれを免れたいとも望んでいるだろう。たぶん、個人的には自殺するほどの勇気はない。だが、群衆の規模になると、彼らは準備ができている。

つねに覚えておきなさい。個人が大きな犯罪を犯したことはない。大きな犯罪を犯すのはつねに群衆だ。群衆のなかでは、個人は誰ひとりとして、「起こっていることの責任は私にある」とは感じないからだ。彼は、「私はただ、人びとといっしょにいるだけだ」と考える。個人的に何かを犯そうとするとき、あなたはそれを犯す前に三回考えなければならない。自分はなにをしているのか?それは正しいのか? 自分の意識がそれを許すのか? だが、群衆がいると、そうはいかない。群衆のなかに、あなたは消え入ることができる。あなたもまた、その一部てあったとは、誰も決して発見しないだろう。』
(魂への犯罪/OSHO/メルクマールP141から引用)

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核兵器による恐怖の均衡とその責任者-1

2021-05-06 03:37:19 | 冥想アヴァンギャルド
◎政治家の権力と悪人ぶり

核兵器による恐怖の均衡が、1945年から1991年のソ連の解体まで続き、以後米国の一強時代となった。ところが、中国が米国を凌駕しようとしていることに今頃気がついて、世界中が怖気を震っているところである。

だが、この間、世界の有力政治家が善人であったためしはない。むしろ世間では、ちょっとイカレタ方が正常とされる風潮だったから、その有力指導者がまさかの“狂人”であったとしても誰も驚きはすまい。善人とは、二度と悪事を犯さぬ菩薩や聖者のこと。

以下は、OSHOバグワンの最近の政治家像。
『現在、大きな力を持つ国は、それぞれ核兵器を保持している。かなりの量であるために、もし私たちが望むのであれば、このような地球を七百個、まさにいま破壊することでさえ可能だ。それだけ多量の核の力がそこにあり、手に入る。

それぞれの人物を七百回も破壊するために――それは必要ないにもかかわらず―――1回で充分だ。だが、政治家たちはそうしたがる。彼らの顔はすべて仮面だ。彼らはあることを言い、ちがうことをする。そして、権力はそうした人びとの手中にある。どんな気狂いでもボタンを押しかねない。それで、人類全体を終わらすことができる―――人類を地球上の全生命を。』
(魂への犯罪/OSHO/メルクマールP141から引用)

(続く)
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日本沈没、小松左京

2021-05-05 06:19:25 | 時代のおわり
◎日本民族の覚醒か犬死か

小松左京の映画『日本沈没』(1973)を見た。これは、外国が日本に侵攻してくるのではなくて、地殻変動だけで、日本全土が急速に沈降し、1億2千万人中の少々が外国に難民として受け入れてもらい助かると言うシナリオ。

印象に残ったシーンは、北陸の住民が自分たちの漁船に乗り組んで、政府の許可なく韓国、北朝鮮に向けて出港するところ。たまたまヘリコプターから主役の藤岡弘が、「韓国、北朝鮮は、難民受入れしていないので、不法入国として扱われる。津波も来るので、政府の許可なく出航するのをやめて戻りなさい」と呼びかけるところ。映画では住民は戻らず、漁船は津波に呑まれる。

ダンテス・ダイジは、日本の最後について、政府のコントロールが効かないシーンも出てくることを予言しているのだが、このシーンを見て、このようなことなのだろうと思った。

出口王仁三郎は、大正12年にモンゴルに西遷し、大和民族の活躍の場が将来モンゴルに移ることを示した。出口王仁三郎予言での日本の最後は、最後とは明示していないものの、地殻変動火の雨であることをそれとなく書いている。

今後起こるであろう、世界相剋による世界の争乱。それはITによる不満分子と敵国内通者の監視摘発体制化で進むのだろうが、戦闘は各国相互に電子機器管制を無力化する方向で戦われるのだろうから、結局文明と技術がほとんど失われ、元の原始時代みたいに戻るのだろう。

物質文明、技術文明だけ見れば、ほとんど喪失するのだろうが、その際に人が神になる道筋がついていなければ、人類は、その発達過程を何万年か前に遡ってもう一度やり直しという情けないことになる。

人が神になるとは、誰か奇特な他人が神人合一を果たして、それを皆で崇拝することでなく、自分自身が神になることである。それを体験とは言えない体験という。

映画の中で、首相役の丹波哲郎が、実際に国土が沈没し始めマスコミと外国が日本沈没を宣伝しまくれば国民もその気になるとし、「世間とはそういうものだ」と語るが、続々と神知る人が出てくれば、世間もその気になるかもしれない。だが、そのタイミングでは遅いということもまたある。

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十字架の聖ヨハネの語れない神秘-1

2021-05-04 06:34:51 | キリスト者の秘蹟
◎私が味わったことは言えない

十字架の聖ヨハネ詩集から。

『私は知らないで知らぬ処に入り
知らないままに留まった
一切の知を超えて。

何処に入ったか知らない
が、何処に居るのか知らないまま
そこに居たとき
大いなることを悟った

私が味わったことは言えない
知らないままだったのだから
一切の知を超えて。

それは、深い孤独の中で
直接(じか)に悟った
平和と愛との
完璧な知であった
それはあまりにも
密かなことだったから』 
(十字架の聖ヨハネ詩集P81から引用)

十字架の聖ヨハネは、平和と愛から『何も知らない』に至った。
1577年には男子カルメル会修道会士によってトレドの修道院に幽閉されたが、1578年8月16日に修道院から脱出した。その後、暗い小部屋での九ヶ月の幽閉生活によって、この境地に至った。

禅者だっていろいろなきっかけで大悟するものだが、幽閉生活や牢獄では、実はそういうことは起きやすいのだろう。未決勾留中に出口王仁三郎が自慰をする話を語っていることをそれとなく読むことがあるかもしれないが、暗にそういう傾向を語っているのだと思う。
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荒れ狂う季節の中をノストラダムス

2021-05-03 07:21:17 | 究極というものの可能性
◎藤井風 きらり 発売

2021年5月3日発売の藤井風のシングル“きらり”の歌詞の末尾
『荒れ狂う季節の中も 群衆の中も
君とならば さらり さらり
新しい日々もつたない過去も すべてがきらり』

これは、HONDA車のコマソンに使われているので、レジャーでの歓喜というつかみなのだが、『君』って誰?

ノストラダムスの予言詩集諸世紀の冒頭の四行詩二つ。
『真夜中に秘密の部屋に入り
ただ一人青銅のいすに休んでいると
かすかな炎が 静寂の中から飛びはねるようにして
私にすばらしきことを告げる

取りまく枝の中心で神から授かった杖を手にもって
私の足と杖を水にひたす
私の手は畏敬でふるえながら何かを待っている
すばらしきかな天なるものの輝き 神の霊がそこにましますことは』
(時の旅人ノストラダムス ミシェル・C・トゥシャール ボーダーランド文庫角川春樹事務所P122から引用)

最初の四行でノストラダムスはトランスに入る。青銅の椅子に座る冥想の姿勢。

次の四行で、足と杖に聖水をふりかけると、ビジョンが神からきらりとやってくる。

歴史上の大事件は、自分自身が体験したものではないので、まず伝聞で概要をイメージし、細部は想像で補う。ところが自分の体験した過去は、情けない自分にまつわるつたない思い出が深刻なので、さらりとはいかない。

そこで、『君』なる神がやってきたことを感じ、将来のビジョンを次々と見せられる。イエスが臨在しても、阿弥陀仏が御来迎しても、眠っていたり、スマホに眼をやっていて気がつかなかった無数の人がいる一方で、ノストラダムスは、ありありと見ていた。

『どこにいたの 探してたよ
連れてって 連れてって
何もかも捨ててくよ
どこまでも どこまでも』
彼は、何もかも捨てないと神の霊との合一は成らないのを、知っているが如くである。
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多くの見慣れぬ鳥が「今だ、今だ」と叫ぶ

2021-05-02 07:13:40 | 占星術  (冥想法6)
◎すべての人が神を知るのは、「今だ、今だ」

ノストラダムスの「アンリ2世への手紙」の最後の方に、『多くの見慣れぬ鳥が「今だ、今だ」と叫ぶ』がしばらくしてその小鳥たちはいなくなり、この後に土星が支配する黄金の時代、至福千年が来るとある。

土星と言えば、西洋占星術の影響で、土星は、大凶、悪などと思われているのだが、ホンチャンのスピリチュアリズムでは土星こそ、永遠に続く大吉のシンボルである。また土星はメランコリーだから、鬱病のサインなので不吉などということこそ先入観である。

というのは、現代の近代西欧文明こそ、大輪の向日葵(ひまわり)の如き花であって、花が落ちれば、実が生る。その実こそが土星だからである。実は地なる土星で生きる。

ノストラダムスの大予言では、土星の時代とは一貫して至福千年、みろくの世を指している。

ノストラダムスの「アンリ2世への手紙」で、『多くの見慣れぬ鳥が「今だ、今だ」と叫ぶ』のは、以下のような文明破壊によって原始時代に戻る直前の時期であって、まさに今なのだろうと思う。

「アンリ2世への手紙」では、東方の人々と結託した第三の北方の王が大軍を蜂起し、(文明を破壊して)すべてが原始の状態に戻される。この時旧約聖書、新約聖書は追放され焼かれ(宗教、思想統制の時期)、反キリストが地獄の王となる。

この時期は、純潔清廉な人の血ほど多く流される。この時同時に疫病と飢饉が起こるのだが、全ラテン地域の艱難のしるしはスペインのいなかにある。

こうして町々、市、城、他の建物が焼かれ、多くの悪が地獄の王子サタンによって犯され、世界は荒廃する。
(参照:時の旅人ノストラダムス ミシェル・C・トゥシャール ボーダーランド文庫角川春樹事務所P282-284)

見慣れぬ鳥たちは、すべての人が神を知るのは、「今だ、今だ」と叫んでいるわけだが、今日ただいますべての人が『神を知る』ほど、人間を卒業できるほどに精神の成熟が進んでいるとも思えないところは、謎である。

その謎に、人類を襲う艱難の大規模さと、人口の大減少、文明の原始時代への退行の原因と経過が秘められているのだろう。

ダンテス・ダイジは、存命当時、「神界では、次の文明にどの程度現代文明の技術を残すかが話し合われている」などと、つぶやくことがあった。
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原爆投下・10秒の衝撃

2021-05-01 06:37:49 | 時代のおわり
◎人類は核戦争をやらずに至福千年を迎えられるのか

これは、NHKスペシャルの1時間番組だったのだが、ネットでyoutubeに上がっているのを見たもの。

これは、広島の原爆の爆発の最初の10秒に焦点を当てたドキュメンタリーだが、以下のような恐ろしげな話が連続する。

1.広島原爆の構造は、ウラン235のふたつの塊を円筒の左右に分けて配置し、片側をもう片側にぶつけると核分裂の連鎖反応が猛烈な速度で拡大する。ウランの合計量は多分6kgなどといわれているもの。

2.この段階では、原爆の外形はまだ爆発していないが、爆発直前には内部の温度は250万度に達する。この段階で可視光でもなく音もない中性子線が地上を襲う。

3.爆心地から130mの距離に2階建て木造家屋の1階で食事をしていた建具屋一家五人が居間で丸く坐って亡くなっていたが、これはこの致死量を超えた中性子線とそれが当たって瓦や壁から発生したガンマ線が、即死させたとみられる。
つまり、原爆爆発以前に爆心地から半径130m以内の人は、即死していたわけだ。熱線を浴びる前に。
これを見て、後に人間だけを殺す中性子爆弾を開発する政治家とマッド・サイエンティスト、それを容認する国民達。

4.こうして初めて原爆が炸裂するのだが、0.2秒後には火球の直径は310mとなり、表面温度は6,000度。その瞬間、高度567mから1,900 - 2,200度以上の熱線が地上に降り注いだ。
つまり、原爆被害の一半である火傷は、爆発から0.2秒後に発生したのであり、逃げるも隠れるもできない。

5.わずか0.2秒で、火球が直径310mになったため急速に圧縮された空気は、衝撃波という暴風を発生させ、それによって屋外にいる人は、何十人も空中に巻き上げられ落下した。また衝撃波により、爆心に近い木造家屋は瞬時に全半壊。広島地方気象台は爆心地の南3.7kmにあり、衝撃波は9.1秒後に到達したと推定された。そこでは椀型風速計が風速200mを観測したという。いわんやそれより爆心地に近い場所でおや。

きな臭い時代とは、そういうことが近い時代ということ。核兵器による恐怖の均衡で維持されてきた戦後76年。今や中ロの抬頭と核兵器の拡散で何でもありの時代となってきた。地球を一個の人間と見立てれば、様々な自殺の道具を集めて、それでもってこれから何をするのだろうと決めあぐねているような図。

人類は核戦争をやらなければ、その先のステップである全員が神知る時代に進めないのか。人類は核戦争をやらずに至福千年、みろくの世に進む方策はないのか。それが自分が神を知ることであるが、そのことですらどうすればよいのかすら、思いもよらない人間たちよ。
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キリスト教の七つの身体

2021-04-30 03:41:21 | チャクラと七つの身体
◎各自の身体は、キリストの身体の一部である

キリスト教の七つの身体論の根の部分がある。

コリント人への第一の手紙。
『あなたがたは、自らの身体がキリストの身体の一部であることを知らぬのか?
主と結ばれる者は、何人も主と―つの霊である。
(六章十六-十七)』
主なる神とわれらは同体であり、一つである。

『彼らはイエスにいった。では、子供になれば、王国に入れるのですか?
イエスは彼らにいわれた。あなたがたが二つのものを―つにするとき、内部を外部、外部を内部、上を下とするとき、そして男と女を―つにするとき・・・・、あなたがたは(王国)に入るでしょう。』
(トマス福音書)

我らは一つになることで、二元であることをやめ、第六身体であるアートマンなる一つになることで、神と合一する。(第六身体であるアートマンは、宗派により、呼び名が変わり、主だったり、仏だったり、道だったりと様々である。)

さらにマイスター・エックハルトは、『神の内にあるすべてのものは一つであり、それについては何も語れない。』『よって神を見い出すため一つになりなさい』、と語る。

ひとつになれば、すべてとなる。それはイエス・キリストだけの秘儀ではない。
『イエスはいわれた。わたしは、彼らすべての上に輝く光である。わたしは、すべてであり、すべてはわたしから生まれ、わたしに獲得された。一片の木を割ってみなさい。私はそこにいる。石をもちあげてごらんなさい。そこにわたしを見い出すでしょう。』
(トマス福音書)
※この部分は異教徒であっても、わたしの一部であるとしている。

すべてとは、第六身体である有のことだから、すべてのすべてである。誰であっても王国に入ることができれば、一つとなり、すべてのすべてとなる。

(参考:意識のスペクトル 1 意識の進化 K・ウィルバー/著 春秋社p86-87)
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スピリチュアルの本棚から

2021-04-29 06:52:32 | 冥想アヴァンギャルド
◎悟りを開いたパートのおばさんが普通にいるようにならないと

もっとお金があればよい、気になる異性と親しくなりたい、もっと出世したい、正規の職につきたいなど、コロナの不景気でいろいろなことを思い巡らすことが多いかもしれない。
想像を現実化する能力を手に入れればさぞ面白いだろうが、ダンテス・ダイジは、「そういうことが面白いということに留まっていれば、この世に生まれては来ない」という意味深なことを言っている。

さて私は、神田神保町の書泉グランデ4階を何か月に一回訪問して最近のスピリチュアル出版の動向を定点観測するのが常だった。コロナになって以降、ここ1年ばかりは行けていない。行けば原書房ものぞく。スピリチュアル・コーナーも、いわば永遠である時間のない世界から書かれた著作であれば、大いに歓迎なのだが、そうではない霊界探訪や中間レベルのチャネリングや、眉唾なヒーリング関係が多くて、最新刊といえども関心を引くものは稀である。

要するに、出版点数は相変わらず多いのだが、内容的には沈滞していると感じている。

学者さんの世界には、学閥あり、学会の重鎮の意向があり、政府の方針があり、特に人文系ではそういうバイアスを感じさせられることがあり、宗教書、心理学書、歴史書では、そういう気配を感じさせられることがままある。例の戦前に武烈天皇の事績がひどすぎて公開されていなかった件などは、代表的なものである。

そうした土壌において、以下のような事柄はまともに議論できない。

七つの身体論を基盤とするまともな宗教は基本構造が共通である。(万教同根)

人間には輪廻転生がある。

教祖には、悟った教祖と悟っていない教祖がある。悟っていない教祖でも大教団を組成する例がある。

一神教、多神教、あるいは脱魂型宗教、神懸かり型宗教などという区分があるが、大前提として大神、真の神、仏が包含されている「一人前」の宗教かどうかはほとんど視点として見受けられない。

ユング心理学書を読むと人格の統合が最終的目標と書いてあるのだが、あれだけグノーシスや錬金術書を題材にしているからには、人が神になることが最終的目的のはず。それを広言できないキリスト教社会の恐怖。

一方で、覚者ケン・ウィルバーが学者たちを相手に七つの身体論を公然と振りかざし、議論を継続しているのは、大変な意志力なのだろうと思う。

日本にも悟りを開いた学者は当然として、悟りを開いたコンビニのお兄さんとか、悟りを開いたパートのおばさんが普通にいるようにならないと、至福千年、弥勒の世は近くない。

だが、世の終わりに至るには何段ものステップがあるように、そうなるにも何段かのステップがある。いきなり20XX年X月X日がきたらそうなるというものではない。

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天地に神の坐(いま)すを明らかに

2021-04-28 03:53:36 | 古神道の手振り
◎世人のさとらん時は近めり

出口王仁三郎の事績と言えば、二度の大本教弾圧の型出し。それが日本に写る。だが最重要の目的は、間違いなく『天地(あめつち)をつらぬき通す正道を世につたへ行くこと』であったが、日本に善かれと大宗教運動を興したが、却って自分が社会的に抹殺されてしまうことになり、その余波は、未だにタブーとして扱われていることに現れている。

これが例の『相手のためを思っての行動が却って自分を窮地に陥れるという日本の因縁』。


出口王仁三郎最晩年の歌から。
『天地(あめつち)をつらぬきとほす
まさみちも 世につたへ行くことのかたきも

からたまはよしまかるとも魂は幾千代(いくちよ)までも
生きとほすなり
※からたま:肉体

世の中に世の中に神ますことを知りてこそ
まことの智者といふべかりける

ゑらぎつつ勇みてくらせ世の中は
よきにつけてもあしきにつけても
※ゑらぎ:楽しみ笑い

ときは樹の松の栄ゆる日の本は
神のつくりしみそのなりけり

言(こと)あげをなさで世人をさとし行く人は
まことの聖者なりけり

水と火と土の洪恩おのずから
世人のさとる時とはなりける

天地に神の坐(いま)すを明らかに
世人のさとらん時は近めり』
(出口王仁三郎著作集 第四巻 十万歌集/出口王仁三郎/読売新聞社P385-391から引用)

さて、どのように日本人は、『水と火と土の洪恩』を、おのずからさとるシナリオがあるのだろうか。

さて、どのように日本人は、『天地に神の坐(いま)す』を明らかに感じるスペクタクルを目撃するのだろうか。
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ダンテス・ダイジの教えの全貌-1

2021-04-27 05:40:36 | 現代冥想の到達点
原典救世主入門の位置

ダンテス・ダイジが存命であれば、71歳。当時20代だった弟子たちも老いた。何千人かいた彼の知己の中で弟子とされるのは、その極く一部なのだろうが、それは布教の時期別に4グループに分かれているとされる。

彼は、その人一人の時、所、位に応じた教えというのを徹底していたがゆえに、彼の教えの全容は、そのすべてを知ることがない限りわからない、ということになる。

ダンテス・ダイジは、他心通、宿命通を用いて相談者の境遇と未来と過去を見抜き(相談者の守護霊がオレに報告しにくる、などと説明していた)、すこぶる親身に相談者にアドバイスをしていた。それは、布教などというものではなく、本当に親切な人生相談のようなものであった。

一方で、禅者には、一瞬の隙をも見せず峻厳に応対し、クンダリーニ・ヨーギに対しては、慈母のような優しい応対であった。

ダンテス・ダイジは、文章を残すことに相当に心胆を砕いていたが、主著なるものがあるわけではない。彼の存命中の著作は、私家版の超宗派的冥想など何種かあるが、商業ベースでは、ニルヴァーナのプロセスとテクニックだけ。

原典救世主入門は、リチャード・バックの小説に断片が掲載されていたのを、出所はアトランティス時代のダンテスの教えだったとして、全章を復刻してみせたもの。ただ、感情人間であっただろうアトランティス人に向けて書かれたものであって、全体に現代人にとっては、やや大時代な部分があるかも知れない。なぜなら現代人は、彼と友人として出会っているからである。1万二千年前のアトランティス当時は、主導的宗教グループ、アメンティの一員対大衆というベースで原典救世主入門が書かれたのだが、今は、知性の発達により原典救世主入門に書いてあることなどいわば常識として闊歩する人間が多いのである。

だが理屈でわかっていても、それを生き切るのはなかなか大変なことである。

すべての人間が、何のために生きるかが、自分につきつけられた公案となって久しいが、それに沿って愚直に素直に、あるいは肩ひじ張らずにやれている人に出会うことはとても稀かと思いきや、最近意外にその愛と自由の断片を持っている人が多いことに気づかされてもいる。このあらゆるマインド・コントロールの嵐でサクラン(錯乱)した時代であってすら。

それが、日本教の懐の深さでもあり、それがダンテス・ダイジが20世紀に日本を舞台に選んだ理由でもあるのだろう。
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救世主出口王仁三郎を二度弾圧した日本

2021-04-26 05:27:54 | 古神道の手振り
◎神の御こゑが聞こえないのだろうか

出口王仁三郎は、SNSでは結構取り上げられている。一方でまともに彼のことを知ろうとすれば、意外に全容を概説した著作は少ない。

多くの人の着目点は、大本神諭からひふみ神示(岡本天明)に連なる予言だったり、超能力だったり、戦前の国家神道に異を唱えたことだったりする。あるいは、最盛期8百万の信者を擁して政党を持たなかったゆえに、教団の建築物の一斉破壊、主要信者の一斉逮捕、印刷物の一斉廃棄など、昭和の焚書坑儒が行われた点。出口王仁三郎自身も7年間拘禁。

だが、教団自身も彼の見ていた宗教観を図りかねていただろうことが、大本七十年史や大本資料集成で、裁判記録が主たる教義判断材料となっていることでわかる。

偉大な古神道家であった彼は、六度死ぬ中で、そのクンダリーニ・ヨーガ的境地を深め、文字通り昭和のメシアの人生を生きた。彼が死刑を免れたのは、皇族のご落胤であったことが大きい。そういう生い立ちでないと、終戦以後まで存命できなかったので、生誕時に自らその子宮を選びとったのだろう。

また彼の窮極は無我という言葉で語られているが、記述はあまり多いわけではない。


出口王仁三郎最晩年の歌から。

『夜もすがら御代をおもひてねむらえず
吾たましひはおちこちに飛ぶ

かくりよのことつばらかにしるしたる神書(みふみ)は
みたまの力なりける
※かくりよ:霊界

世を救ふめしやのみたまと知らずして苦しめし
果ての国のさま見よ

よき事をなしとげこの世を去る人の
たまの行方は天国なりけり

七十三の春さり来ればうつし世の
すくひの道にいよいよすすまむ

そよと吹く風にも声のあるものを
神のみこゑのきこえざらめや』
(出口王仁三郎著作集 第四巻 十万歌集/出口王仁三郎/読売新聞社P383-384から引用)

めしや(救世主)を死刑にしたユダヤはディアスポラの流浪となり、めしや(救世主)たる出口王仁三郎を二度弾圧し、計十年牢獄につないだ日本の運命を見よというのは、私怨で言っているわけではなく、民族のカルマの法則でそういうのがあると示しているだけ。
そこで吉岡発言を読む。
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