アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

すべてが異郷のものだから帰郷する

2020-05-31 06:59:48 | 現代冥想の到達点
◎ユダヤ神秘主義ハシド派の一言

ハシド派は、ハシディズムのこと。到達した人々がいることが、以下の言葉でわかる。

『ある師について、彼は「私はこの国では寄留者である」(出エジプト二・二二参照)という、モーセの言葉にならって、まるで寄留者のようにふるまったと語られている。

遠方から、生まれた町を出てやってきた男のように。

彼は名誉にも、彼を益するなにものにも心を向けなかった。ただ、生まれ故郷の町に帰ることだけを考えていた。

彼はおよそなにものにもとらえられないが、なぜなら彼は、すべてが異郷のものであり、自分は帰らねばならない、
と知っていたからである。』
(忘我の告白 叢書・ウニベルシタス マルティン・ブ-バ-/編 田口 義弘/訳 法政大学出版局P252から引用)

世俗感覚で読めば、エジプトが異郷でカナーンが故郷だが、ここではそう読まない。

あるいは、故郷を出て都市で暮らしていた者が老境にさしかかって、故郷でセカンドライフを送ることでもない。

聖者にとっては、この世のすべてが異郷であり、エクスタシーたる根源だけが故郷である。

ダンテス・ダイジは、『私は私という心身の異郷の客』である悲しみを歌い上げたが、全くそれと同じ感慨を持つ者がハシディズムにもいたのである。

悟りとは帰郷のことである。
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ドン・ファン・マトゥスがアメリカ・ライオンに追われる

2020-05-30 06:17:02 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎真っ暗闇の絶壁を登り切る

1961年8月末、カルロス・カスタネダは、ソーマ・ヨーガのマスターであるドン・ファン・マトゥスの指導の下にフィールド・ワークを行っていた。

さる断崖絶壁の下で、カスタネダは、ドン・ファンの指導の下に、アメリカ・ライオン(ピューマ)を仕留めるための枝と釘で作った罠を造った。

二人は、木の上に居てアメリカ・ライオンが罠にかかるのを待ちかまえていた。

カスタネダは、アメリカ・ライオンに見つからないようにするために、木と同化せよと命じられた。

意外なことにカスタネダは、ライオンが来てわなにかかりそうになったら荷物を投げつけろと命じられた。

夜半にアメリカ・ライオンがやってきた。カスタネダは、言われたように荷物を投げつけると、驚いたアメリカ・ライオンは遠くに馳せ逃げた。

ドン・ファンは、アメリカ・ライオンは馬鹿ではないから、しばらくしたら必ず戻ってくる。そして、わしらの跡をつけてくるので一刻も早く、ここを離れなければならないと言った。そして暗闇の中を走り出した。カスタネダは、枝から眼を守りながらついていくと断崖絶壁の前に出た。

ドン・ファンは、ライオンにつかまらずに絶壁のてっぺんまで登り切れば助かると言って、二人は闇の中を一歩一歩登り始めた。頂上に近くなって、妙な動物の鳴き声が聞こえた。

ドン・ファンは、登れ、登れとせかしたので、真っ暗な中、カスタネダはドン・ファンより先に登り切ったほどである。

ハーハー言いながら、ドン・ファンは、それを大笑いした。

二人は数時間、何も話さずに座り込んだ。
(イクストランへの旅 呪師になる/カルロス・カスタネダ/二見書房/P158-173から要約)

ドン・ファンは、ソーマ・ヨーギながら、ソーマをきっかけにしか使っていない。よってその言葉は、クンダリーニ・ヨーギのようである。

だからカスタネダの心象描写をあまりあてにしてはならないということでもあるが、カスタネダの試行錯誤の後を辿ることなくして、彼の進んだルートを再確認することはできない。

真っ暗闇の絶壁を登り切るのだ。
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中国が香港に国家安全法を導入

2020-05-29 05:07:24 | 時代のおわり
◎神の計画

2020年5月28日、中国の全国人民代表大会において、反体制活動を取り締まるために、香港に国家安全法制度を導入する方針を採択した。これは、香港の一国二制を事実上終わらせるもので、世界から見れば、米中戦争の号砲を鳴らしたものである。

オカルティストから見れば、
胡兵が朝鮮を襲うフェーズ
支那が日本を空襲するフェーズ
世界がよき支那物を奪う合うフェーズ
支那が四分裂するフェーズ
など果たして実現するかどうか注目されるところである。

だが、地球温暖化は風水害だけで世界的に低地に発達した商工業文明都市に大打撃を与え得るところまで来ている。そのことは、昨年までに発生した自然災害で可能性を見ている。

さらに2020年は年初からの新型コロナ肺炎の流行で、世界的に経済活動が麻痺。

さらに、昔から大国の間に挟まれた国を半ば憐れんでバルカン国家などと蔑称していたが、いつのまにか日本も米中の二股に分裂したバルカン国家になり果てた。

それは地政学上やむを得ないことだが、再び日本が外国勢力の角逐の戦場になる可能性があるということ。

日本の新聞、TVは高碕メモがあるため、中国に批判的なことは報道できない仕組みになっているせいか、日米安保で核の傘をアメリカに差してもらっているにもかかわらず、報道論調は、米中ほぼ均等という腰の決まらない様子。政府もそうなのだろう。

これをして、出口王仁三郎は第二次世界大戦前に比べこんにゃくと見たのだろう。
一方で、今後、言論、SNS統制が厳格を極め、日本でも戦前以上のコントロールは行われる。

このブログもやめ時を探っているが、それどころではない突発事件もあり得るのが、神の計画なのだと思う。
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贅沢だったクリュニー修道院からシトー修道院へ

2020-05-28 06:30:27 | キリスト者の秘蹟
◎清貧沈黙と諸悪莫作衆善奉行

古代ローマ市民がパンと見せものを要求したように、食べ物がほぼ充足した現代人は、手近に知的好奇心を満足するものと少々の不機嫌を治すものを求めて、TVやスマホやゲーム機を用いる。

一般に贅沢奢侈と呼ばれるものは、当初物質的なものだったが、深化するにつれ、グルメやブランド商品など精神的な価値を求めることに移っていく。TVやスマホやゲーム機によって与えられるものは、情報という形で与えられる視聴覚刺激の奢侈なのだ。

今、万人を旧時代の最後の時期における求道者と見立てれば、物質面、観念面での贅沢にまみれた修道士のようなものだ。

11世紀ヨーロッパを席捲していたクリュニー修道院は、肉食を避けるため主菜の魚は2度出され、それで2度満腹となった。その時点で浴びるほど出されたワインで頭は眠る寸前となり、そこで詩篇を唱えたり、聖歌を歌うことはほとんど苦行だった。

そこには磨かれた大理石と見事な絵画の配された、有り余る広さと非常に高い天井の礼拝堂があり、それは人々の思念や無用の想像を刺激する。それは冥想を深めるのとは逆方向に作用する。

こうして奢侈にまみれたクリュニー修道院を反面教師として、ロベールら21人の修道士が、1098年木造の粗末な修道院を立ち上げた。これがシトー修道院の始まり。そこでは聖ベネディクト会則に則った清貧、沈黙を旨とする修道生活が営まれた。

ところが、立ち上げ当初は、クリュニー主導の教会からシトー会修道士は、投獄、鞭打ち刑などを受け、世間からは白眼視されたという。

それにしても、キリスト教では、なぜスローガンが、悪事をせず善事を行う(諸悪莫作衆善奉行)でなく、清貧・沈黙なのだろうか。

厳しめに見れば人間は必ず悪事を行わなければ生存し得るものではないという見方をまず先にしなければ、キリスト教はやっていけなかったのだろうか。
仏教にもキリスト教にも懺悔はあるが、仏教寺院に告解室はなく、キリスト教会に告解室はある。

為した悪事は、告解することで他人に広めて新たな波紋を起こすべきものでなく、神仏に告解するなどで、心中見直し聞き直すことで解消される途がある。

為した悪事は、アカシックレコードに記録されるといえども、過去にさかのぼって抹消される途があることをわかっていた東洋の宗教と、輪廻転生がなく、死んでも一回の人生が最後の審判まで終われない人生観のキリスト教の違いと見るべきだろうか。
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カトリックの列聖のステップ

2020-05-27 05:42:45 | キリスト者の秘蹟
◎カトリックの賞味期限

カトリック中央協議会(https://www.cbcj.catholic.jp/faq/saints/)によれば、聖人認定されるためには、以下のステップがある。

1. 神のしもべ
教皇庁列聖省が聖人の列に加えることを調査開始した場合の呼称。

2. 尊者
著書や証言調査によって、問題なければ尊者となる。

3. 福者
祈りによって病気が治癒したなどの奇蹟を起こしたとか、殉教したことが条件。

4. 聖人
「聖人」とは、生存中にキリストの模範に忠実に従い、その教えを完全に実行した人たちのこと。加えてよくわからない基準がある。だが、注目点としては、全世界の人々がその聖人に取り次ぎを願ってよいとしているところ。

列聖制度の問題点は、教会に審査請求しやすい人だけを対象にしているところ。無名の人であって、終生真面目に信仰生活を送っている人で、死去する直前に神を見たような人は、まず聖人の審査にはかからないのだろう。

そもそもカトリックは、私が唱えるように、神を見たり神に出会ったり神と合一することを、基準としては考えていないようなのだ。

公開の場で議論するためには、どうしても証言とか、証拠とか、文書記録がないといけなかったのだろう。

神を知らない人は、神を知る人を見分けることはできない。同様に真理を知らない人は、真理が何かを見分けることはできない。
いわばそうした人が入り混じった中で審査が行われているのだろう。

だが、カトリックの伝統というのは、そうした中で安定的に、最低限教皇と少数の人々は神を見た体験のある人達だったことによるのだろうと思う。

昨今バチカンでは、マネーローダリングや人身売買加担の噂まで出るようになっている。

カトリックは、地球の精神サイクルから見て底であった5世紀頃を乗り切るために貢献したし、それを知性優先の近代西欧文明につなげるという大きな貢献をなした。カトリックの賞味期限も言われるのだろうが、それは、カトリックだけでなく、あらゆる既成組織宗教の賞味期限切れが迫っているということである。

ローマ教皇もアンカーで、ダライ・ラマもアンカーとなれば、後は自分自身が覚醒せねばならない。
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かもめのジョナサン

2020-05-26 05:24:31 | 冥想アヴァンギャルド
◎ヒッピーと垂直飛行、冥想十字マップまで

私が小学生の頃、朝のニュースの時間に、新宿東口広場からの中継が流れ、長髪の若者男女が大勢座り込んでいて、煙草を吸ったり、ぼーっとしたりしている映像が流され、「一体何をしているんだろう」と考えさせられたものだ。そのヒッピーたちも今は70代だろうか。

そうした世代が読んだのが「かもめのジョナサン」。当時はさっぱり興味を惹かない本だったが、今見てみると水平飛行と垂直飛行のことだとわかる。

古代ギリシアの壺絵(飛び魚)にあるように、冥想修行は水平飛行しかできないうちはまだまだ。垂直飛行ができて初めて一人前とされた。

水平飛行とは、まあアストラル・トリップだが、垂直飛行とは、アートマンと合一し、ニルヴァーナを目指すこと。

「かもめのジョナサン」は、古代ギリシアの壺絵(飛び魚)にヒントを得たのかもしれない。

人間は誰でもトランスから飛ぶことができるが、水平飛行は容易で本質的な解決とは関係ないが、垂直飛行こそ眼目である。

道元の一生を描いた映画で身心脱落シーンはグルグル垂直上昇していたが、あれってどうなのだろう。

ダンテス・ダイジは、冥想十字マップで、別次元の水平と垂直を出している。
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𨥇(金へんに寸)玄英

2020-05-25 05:35:25 | 道教
◎亀鶴斉寿

𨥇(しゅう)玄英は、燕国広陵の人。燕の太守劉守光に仕えて宰相にまでなっていたが、黄老の道を好み、長生不死の修行にいそしんでいた。

ある日、正陽子という道人が彼を訪ね、清浄無為にして心身を養う法と金液還丹を煉る法(内丹のこと)を授けた。

さて正陽子は彼から鶏卵10個と銭10文を借り受け、机上に10文を置きその上に鶏卵10個を重ねて、塔の形を作った。

これを見て、𨥇玄英が驚いて思わず危うい危ういと叫ぶと、正陽子は莞爾として微笑し、「今、栄耀栄華に誇っている人々の危険なことはこれの幾層倍であるか測り知ることができない。」と答え、銭で卵を砕いて、暇を告げて何処ともなく立ち去った。

玄英これを見て多いに悟るところがあったので、その夜家族を集めて酒宴を催し、貯蔵していた財宝をことごとく取り出して打ち砕いたり焼き捨てさせたりした。

翌朝早々に官を辞し、終南山の麓に小庵を造り一人そこに住んでいた。ある日代州の鳳凰山の寿寧観に赴き、壁の上に亀鶴斉寿の四字を書き写した。代州から西蜀までの数千里の間の無数の道観に同時に彼が姿を現して、その門の壁の上に件の四字を書き写した。

その後、彼は屍解に臨み、一道の白気が立ち上がると見えるやいなや一羽の鶴となって何処へか飛び去った。

この当時は宰相にでもならないと、自己実現願望の限界を見極めることができなかったが、今は万人がそれを体感できる時代ではある。

コロナで略3か月世界的に経済活動が停止したのが、地球温暖化も一休止させたのであれば、昨年秋みたいな巨大台風の襲来も一服するのかもしれない。

一方米中戦争も近く、人災、天災が相次ぐであろうことが見える時節である。

それでも現代人に求められるライフスタイルは、神仏を知って、それを生活に生かしていくということ。そこで日々冥想を。

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出口王仁三郎の前世は源為朝説

2020-05-24 06:56:57 | 古神道の手振り
◎軍備で破壊して再生の道筋をつける

出口王仁三郎の前世は源為朝で、その前がムハンマドだったというダンテス・ダイジの口承があるという。

爛熟腐敗の進む時代には、進み過ぎると揺り戻しがきつくなるので、頃合いを見て立替立直しがあるもの。

源為朝は、身長2mを超える大男で、気性も荒く、九州を荒らしまわった他、流罪の後伊豆諸島でも暴れ回った。

保元の乱(1156年)で崇徳上皇方で参戦。無勢のため敗戦の憂き目にあったが、一矢で鎧武者2名を撃ち抜くなど、古今無双の武勇であった。

為朝は終生無冠で、最後は、伊豆で追討軍を受け、32歳で自害したという。

為朝伝説で、気になるのは、以下。
1.義経は本当は八男だったが、為朝に遠慮して、八郎ではなく源九郎義経を名乗ったといわれる。

2.横浜市港南区上大岡東1-8付近は八郎ケ谷と呼ばれ、落人となった為朝が隠れ住んだといわれる。ここに「為朝の祠」があり、今でも近隣の人々が供養している。
3.伊豆大島に流刑となっていた為朝が矢を射たところ海を超え、鎌倉の材木座海岸まで届き、矢が届いたところから水が湧き、井戸ができ、これが現在の六角ノ井といわれている。
(以上3説wikipediaから)

明治45年元旦、出口王仁三郎は、自分は為朝だと言って、友人の持っていた鎮西八郎為朝の強弓をやすやすと引いた。

大正元年から3年初めにかけて出口王仁三郎は、毎日のように強弓を引き、百発百中だった。弓をやめた理由は、世界戦争の型出し(現界に先行して霊界でその事件を実現させるご神業)だと説明した。弓をやめてまもなく、大正3年に第一次世界大戦が発生。

出口王仁三郎は、皇族周辺にまで及ぶ信者8百万の大新興宗教教団を育成し、一夜にして(第二次大本教事件)壊滅せしめられた。これは、第二次世界大戦の型出しでもあり、今後の日本の型出しである。日本教の運命もそのようなものなのだろう。

だから「拝みたい者には、富士山でも造って拝ましたらよいでしょう」と、宗教も宗派もなき時代、万人が神知る時代を宣言している」。

為朝も出口王仁三郎も世界の掃除、立替立直しに先んじて係わったと見れる。

ムハンマドは、キリスト教の高級神霊ガブリエルに召命され、剣とコーランでせまるイスラム教で、東はインドから西は旧東ローマ帝国までを席捲し、難しい爛熟の時代に清新の風を入れた。

ムハンマドは、夜の旅で不思議な白馬で天国に運ばれたというが、これは出口王仁三郎の常用した筋斗雲を思わせる。

立替立直しには、破壊と復興の二相がある。破壊はノアで、復興はナオ。剣、弓など軍備で破壊して、再生の道筋をもつける。それが彼らのやり方なのだろう。

一般に終末予測、予言は破壊だけに終わりがちなものだが、復興の姿を描くものだけが真実に近いものだと思う。
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人間とは魂が肉体を持っていること

2020-05-23 06:12:36 | 冥想アヴァンギャルド
◎至福千年の時代の生き方とは

人間とは、肉体が魂を持っているということではない。魂が肉体を持っているということ。

その発想のもとに肉体は魂の乗り物であるという表現が出てくる。霊主体従とは、これと同義。

次の時代は霊的時代であるというが、肉体は魂の乗り物であると万人が自覚することが最終的な狙いではない。

ババジの弟子のスワミ・ラーマの出くわしたエピソードの中に、ヒマラヤのベテランのヨーギが、横死した若い男性の肉体を引き上げて、その肉体に這い乗って別の人格としてその後生きる話が出てくる。

でもって、人格と輪廻転生の主体は別などとのたまうのだが、とても抵抗のあるエピソードである。

禅の十牛図の第八から第十までは、一旦死んだその肉体に、悟りの後に戻ってきて、下町の商店街を発泡酒の缶をぶら下げて帰って行くみたいな図柄。要するに一旦は、悟りの肉体的衝撃に耐えてくれて弱った肉体だけど、その肉体と人格に再度戻って行く話なのである。

どちらの話も如何に大悟するかということが主旨なのだが、ヒマラヤのヨーギは、今生の肉体では大悟できないことを見切って、次の肉体を得るというショートカットに出た。

一方十牛図は、運よくあるいは出生時から今生で大悟することを予定した肉体で生まれてきて、大悟後その肉体をもいとおしんだという違いはある。

ところが、チベット死者の書を読むと、死のルート・マップ上にも大悟のチャンスはある。臨終正念。ヒマラヤのヨーギが焦って別の肉体をゲットに行かなくても大悟のルートがあることはわかっていたはず。

世の中では、漠然とインドのヨーガは、ニルヴァーナに到達したらそれで終わり、一方日本では、ニルヴァーナ後も人間としての生があるなどと云う。

悟り、ニルヴァーナの側から見たら、確かに両方とも同じかもしれないが、どちらが次の至福千年、千年王国に近いかと言えば、後者なのではないかと思う。
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大悟覚醒者の体を脱ぎ捨てる方法

2020-05-22 00:27:31 | クンダリーニ・ヨーガ
◎文字どおり生死を超える

ババジの弟子のスワミ・ラーマが、大悟覚醒者の体を脱ぎ捨てる特別な方法について幾つかのパターンを挙げている。

1.サマディにいる間に凍死すること。これはヒマラヤのヨーガ行者の特別なグループにとっては伝統的な死に方である由。

2.ヒマラヤの深い川で、呼吸を保ち体を捨てる。ジャラ・サマディ。

3.ヨーガの正座で座っている間に、意識的にブラフマンドラを開ける。スタル・サマディ。

4. 太陽神経叢を瞑想することにより、体内の内なる炎が一瞬の閃きで体を焼き尽くし、すべては灰に帰す。
(以上出典:聖なる旅 -目的をもって生き恩寵を受けて逝く/スワミ・ラーマP182)

3番目は、何も説明がないのでわかりにくいが、ブラフマランドラを開けると呼吸停止、心拍停止が起きるということなのだろうと思う。

彼は、これらは自殺と異なり、痛みはなく恐怖と絶望を伴わないと説明しているが、人間の命の尊さを教育されている常識人にとって、とっつきにくい。また、この点だけ捕らえてカルト呼ばわりされかねない部分ではある。

だが、人間という生命の真実を極めるには、このように生死をも超えなければならないし、文字どおりそうなのだと思う。

そこには、感情的な抵抗、反発は起こるものだと、まず思うのであるが。

そこで好き嫌いがなければ云々という禅の三祖僧璨の信心銘冒頭の言葉が思い起される。
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ラージァ・ヨーガとヨーニ・ムドラー-2

2020-05-21 06:42:54 | クンダリーニ・ヨーガ
◎サハスラーラ蓮華の内にある神秘の月

さらに
『五・一六一
口蓋の根もとに古くからある蓮華はサハスラーラである。この蓮華のカンダ(花心)に下向きのヨーニ(座)がある。』(続 ヨーガ根本経典/佐保田鶴治/平河出版社/P274から引用)

さらに
『五・一八六
前に説いたサハスラーラ蓮華のなかのヨーニ(台座)の下に月がまします。賢者はこれに対して思念をかけるべし。』
(上掲書P281から引用)

この神秘の月には16弁があり、それは甘露に輝き、実際にそれを目撃しただけで、過去の罪障は滅し、未来も見えるという説明が続く。

サハスラーラ蓮華、つまりブラフマランドラはいつ開くか。

ババジの弟子のスワミ・ラーマは、ブラフマランドラは、アートマンとの合一の時にのみ開くとし、それはサマディー(三昧)を通じて起こると言う(聖なる旅 -目的をもって生き恩寵を受けて逝く/スワミ・ラーマP177)

この三昧は、個が残っていない三昧。体験とは言えない体験のこと。

出口王仁三郎は、月宮殿(ヨーニ)を造営し、中に宝座(ブラフマランドラ)をしつらえたのは、目撃者だからできることだったのだろう。ヨーニ月宮殿の土台の上にブラフマランドラ=サハスラーラ。

残念ながら昭和11年第二次大本事件で、月宮殿はダイナマイトなどで徹底的に破壊されたので、いまのような無神論的な日本社会になってしまったところはある。

この件は、日本人は自分自身の中で、神秘の月の台座の上に蓮華を開くことを課題として課せられたというご神業。
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ラージァ・ヨーガとヨーニ・ムドラー-1

2020-05-20 05:28:31 | クンダリーニ・ヨーガ
◎謎また謎のクンダリーニ・ヨーガの秘奥

本の中には、何十年を経て取りつけるものがある。読み進めても何のことか想像も働かないのであれば、散漫に字を追うしかない。

続ヨーガ根本経典もそうした本の一つだった。ラージャ・ヨーガの全容が、ハタ・ヨーガの肉体調整に始まって、クンダリーニ・ヨーガに進み、最後は、ニルヴァーナに進むという全容のイメージがあれば、読み進められようというもの。

この本を購入したのは、1970年代の終わり頃だと思うが、書いていることの見当がつき始めたのは最近のこと。それ以前はせいぜい自分のわかるテクニカル・タームからの連想で読み進めるしかなかった。それでも連続して読めるのは3ページ程度せいぜいだった。

結局、七つの身体論がOSHOバグワンなどある程度詳述されるものが出て来なければ、まともに読み進められる人はほとんどいなかったのではないかと思う。

ダンテス・ダイジのニルヴァーナのプロセスとテクニックは、それを実地体験して全体の概要の概要を呈示してくれたものである。ところが『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』だけで、何のことかわかるというような人は相当に機根の優れた人で修行も相当にできていた人なのだろうと思う。

現代人は、知性人であって、知性で納得しなければ行動を起こしにくいものであるから、クンダリーニ・ヨーガも知性で理解できる全体像が呈示されなければならない。ところが、ゲーランダー・サンヒターや、シヴァ・サンヒターですらメディテーションの部分はぼかされている。
一歩誤れば、廃人や自殺の道もあるからである。

シヴァ・サンヒターのラージャ・ヨーガから、ヨーニ・ムドラーを説明している部分。
『(五)ラージァ・ヨーガ
五・三九-四〇
親指で両方の耳孔を閉じ、人差し指で両眼を、両鼻孔を中指で、残りの四本の指で口をしっかりと閉じて(三九)、空気の出入をきびしく止めるならば、光体として現われた真我が見える(四〇)

五・四一
この光明をたとえ刹那たりとも見た人は、あらゆる罪から解放され、至高な境地に達する。

五・四二
ヨーギーにして、上記の行法を不断に修習した結果その罪汚れを離れたならば、肉体等のすべてを忘れて、かの真我と一体になる。』
(続 ヨーガ根本経典/佐保田鶴治/平河出版社/P246から引用)

真我は、第六身体アートマンにして、本来の自己、「有」の側。
ヨーニ・ムドラーで呼吸停止し、第六身体アートマンを一瞥しさえすればあらゆる罪から解放され、至高な境地に達するとキャッチーな言葉を出している。

そしてその境地が進めば一瞥ではなく、神人一如、真我との合体が起こるとする。

古神道の目無堅間の船とは、ヨーニ・ムドラー状態の人かと想像する。
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自粛警察から日本が戦場になる可能性

2020-05-19 05:41:59 | 時代のおわり
◎コロナ、経済摩擦、米中戦争

自粛の中で営業している商店や配達員にいやがらせのビラを貼ったりファブリーズをかけたりする自粛警察は、妬みそねみから起こる。日本というのは、昔から大勢が右向け右なら全員右向け右になる国ではあるが、戦後の価値観の基軸が緩くなりすぎて、自己チューばかりになったからには、その惨憺ぶりは戦前よりひどいのではないか。

日本が戦場になる可能性について、猫組長がプレジデントにコラムを書いていた。彼の説によれば、コロナ禍には三つの輪があって、それはコロナウィルス感染拡大と経済危機(恐慌)そして米中戦争である。米中経済摩擦の行きつく先は、暴力行使の戦争である。共産主義政権には行動学的に「勝利」はあっても「敗北」はないのだろう。「敗北」を認めることは自らの正統性の自己否定だからである。
記事はここまでで日本が戦場になる可能性は次回の掲載とのこと。

米中が戦争となれば、(既に関税戦争は始まっている)地政学的に隣国である台湾、韓国、北朝鮮、ベトナム、日本が戦場となる可能性は高い。

戦争が終われば、戦前にあった対外債務が消えるわけではないので、日本も戦後しばらく(1980年代まで?)払い続けたように記憶している。よって商工業集積地の空襲の可能性は意外にあるのだろうと思う。先の大戦中は、工業力の大半を棄損した欧州向けに北米、南米から食料や工業製品が大量に送られた実績もあることだし。

これだけミサイルの発達した時代。それはコロナのように突然始まるのだろう。マスク、消毒用アルコールを手に入れるのが大変になったようなことは繰り返されるのだろう。

日本が戦場になることを本当に心配している人は、今は自衛隊関係者とか非常に少ないのだろうと思う。

平和憲法があるから漢字の国が侵攻して来ないと思っているのは、平和ボケの日本人だけである。

大本神諭など出口王仁三郎周辺の予言でそうした話はいくらでも残っている。

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言の葉の誠の道、八十と七十五

2020-05-18 07:09:10 | 古神道の手振り
◎天地を動かす言霊

明治天皇御製
「天地を動かすという言の葉の誠の道を誰か知るらん」

言の葉の誠の道とは言霊学のことであって、既に江戸時代には相当に体系化されたものがあり、出口王仁三郎がそれを進化させた

明治天皇のパートナーとされる昭憲皇太后が一条家よりお輿入れの折、そのお道具の中に『言の葉の誠の道』に関する書物が入っていた由。

出口王仁三郎ファンにとっては、言霊とは七十五声が常識だが、八十が見え隠れすることも意識しておきたい。

出口王仁三郎の霊界物語では正統宗教として三五教(あなない)が一貫して登場してくる。七十五とは、3×5×5=75であって、三と五で成り、5が重なって強調される。

日本国は八十島。霊界物語では、多くの悪人悪神として八十曲津(まがつ)が頻出してくるように、八十は、どちらかといえば悪い意味のものが多い。

改めて現象生成衰滅の原理としての言霊について霊界物語を読み直すと、第73巻9章香具の木の実の段に、各国の国魂神を産んだ母体として八十比女神が登場している。

これは、主神、天之峯火夫の神が、庭の非時(ときじく)の香具の木の実を、左守の神に命じて八十個むしりとらせた。そこで主神がスの言霊を唱えると八十の香具の木の実は、八十比女神に変身した。

 『御鈴ふる厳の言霊幸はひて
  八十比女神は現れましにけり

顕津男の神の神言は八十比女を
  御樋代として国をひらけり

 国々の国魂神を清らけく
  生みおほせたる八十の比女神』
(霊界物語第73巻9章香具の木の実の段から引用)

言霊の八十(やそ)のちまたに夕占(ゆふけ)問ふ
占(うら)まさに告(の)る妹(いも)は相寄らむ
(大意:道の辻で夕方に辻占いしてみた。すると占いでは、はっきりと「あなたの思い人はきっとあなたに寄ってくるでしょう」と告げる。)

これは詠み人知らずの万葉集の歌。ポイントは、『言霊の』が『八十のちまた』の枕詞になっているところ。万葉の古い日本語では、八十の持つ本来のポジティブな意味を解っていたのだ。

ただし、天地は『心願成就』のように恣意的な心願では動くまい。
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立替立直しの概要

2020-05-17 06:51:11 | 古神道の手振り
◎わが身が神を知る

立替立直しという言葉が流行し出しているようなので、ここに概要を記してみます。

立替立直しは出口王仁三郎の用語。
出口王仁三郎は、戦前の古神道教団トップにして、昭和10年の最盛期には信者8百万を有していた。ところが同年、突如として邪教として全国一斉に教団幹部の一斉逮捕、教団施設の一斉破壊が行われた。

出口王仁三郎の収監は7年に及び釈放は昭和17年8月。仮に出口王仁三郎が獄死していた場合、救世主殺しとして日本人全体が祖国を失うディアスポラの憂き目に遭うようなことも考えられたが、奇跡的に生きて釈放されたのは幸運だった。

日本および世界の21世紀における革命にして再生が「立替立直し」。だが天皇は最終的に世界のトップとして君臨する。

1.公的な側面
(1)日本
日本の立替え立て直しは、明治維新や第二次世界大戦の時のように外国勢力が遂行する。
天皇は残る。上流と下流は濁り、中流の人々が社会を改善する主流となる。
日本については、最終的な生存率2%という極めてネガティブな予言がある。
地震などを伴う地殻変動があり、一夜にして〇千メートルも高度が変化する地域もあるらしい。
最初は小三災の飢餓、疫病、戦争で始まり、最後は風水火。
それがこの世の終わりであって、その時日本は再度軍人内閣であることが予言されている。

(2) 国際政治
出来事の順序は明示されていないが、16人の悪人国家指導者が揃ったら、「立替立直し」が始まる。
私の読むところ、世界的な飢餓、疫病、戦争が広がっていく中で、各国が継戦能力をほぼ喪失した段階で、世界の仲介者として天皇が推されるタイミングがあると思う。

ただし、それまでは、最新の科学の粋を集めた生物兵器、化学兵器、核兵器による悲惨な殺戮戦が世界中に蔓延する。それについては、瑞能神歌で一部予言されているが、余りに悲惨過ぎるので、記述されていない。

(3) 新時代
現代の技術文明は破壊されほとんど残らないが、「電信」だけは残る。
今の航空機は空気の揚力で飛翔するが、各人が羽衣ウェアをつけて飛行できるという(ウダーナ気応用の?)科学技術が発展する。

万人が神を知る時代。苦と悲嘆のない七福神の楽だけの時代にして、万人が長寿となり、悪行を行う者はいない。
  この土台の上で、労働は午前だけ3時間。
天候は5日に一回風が吹き、10日に一回雨が降る(五風十雨)温和な気候。     

天皇が世界の君主となり、人々は181段階の身分に組織される(トップは大神)。

人口は大幅に減り、山陽地方に十万都市が一つ、山陰地方に十万都市が一つという程度。金持ちは各地方に一人しか置かず、お金が要る場合は彼から引き出す。
(この人口の縮小は、大量死と裏腹。)

2.私的な側面
すべての成人が少なくとも神を見たことがあるか、神人合一体験をしたことがある。

そのために学校教育で冥想をやることになる。古神道なら鎮魂法帰神法だが、新時代において帰神法をやっても仕方ないので、鎮魂法がメインなのだろうと思う。神知る冥想テクニックは宗派にこだわらない。

万人が神知る時代とは万人が霊を知る時代。霊とは、今の時代はきわもの扱いだが、人間は、エーテル体、アストラル体(霊衣)、メンタル体、コーザル体という霊でできていることを万人が肌感覚で知っているのが新時代。

それを前提に敢えて大正時代に新時代の大予言の書として出口王仁三郎は霊界物語を出した。霊界物語とは、霊界ファンタジーではなく、リアリズムと21世紀の予告文書である。

なお、極ジャンプみたいな地殻変動と飢餓、疫病、戦争などによる人間の手になる事件とは必ずしも同時発生するものでなく、別々に発生するものであることもダンテス・ダイジ(出口王仁三郎に縁がある)が指摘するところである。

人間の心の乱れが、昨今の暴風、大洪水等に大きく影響していることや、この社会体制に内在する真善美誠とは異なるメカニズムが飢餓、疫病、戦争を惹き起こしているという実感は、気のせいではない。

心は、エーテル体、アストラル体(霊衣)、メンタル体、コーザル体などで、現実を改変するパワーとして活動しており、その一部がやがて肉体レベル、現実レベルに現実として出現する。

よって立替立直しとは、他人や他国や日本政府が何かをやることではなく、わが身が神を知るということにほかならない。


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